第11話 告白 ★★★

「……なら、どんな理由だ?」


 その先をうながすようなユーリの言葉に、セリカは。


「う~ん……その、笑わないでね?」


 そして彼女はふと上目遣うわめづかいになり、頬をかすかに紅潮させた。


「や、笑うも何も、まだ何も聞いてねぇんだけど」


 セリカはなおもしばらく言い渋るかのように、少し眉根を寄せていたが、やがて思い切ったように口を開いた。


「えっとね、つまるところ……私がここにいるのは、皇国や幻魔の脅威に苦しんでる人たちだけじゃなく……ひいては、この世界全てを救いたいから」


「へぇ? “世界全部”ってか?」


 いかに優秀とはいえ、たかが魔術学園の一生徒がずいぶん大きく出たものだ、と思わずユーリは少し苦笑した。


「もう、笑わないでって言ったのに! だから嫌だったのよ……」


 そう言って口を尖らせるセリカの顔が、ますます赤くなる。


「……ああ、わりぃ悪ぃ。ただ、その、なんつうか……」


「分かってる。目指してるのが人類を救う英雄だなんて、まるで10歳かそこらの子供みたいだ、って言うんでしょ。もちろん、ここに通ってる生徒には、それぞれにいろんな事情があるわ。


 例えばティガは、将来軍に入って家計を助けるため。皇国軍は高給だもんね。他に、己の秘めた電理魔術の力を思うままに操りたいって子もいるし、いずれもっと深く魔術の研究をしたいから、という人だって」


「そうらしいな」


「でも、私が通う理由は……やっぱりまずは人を、誰かを助けたいからなの。困ってる人、特に命の危機にさらされてる人、をね」


「なんだ、世界全体っつーのから、急にスケールが下がったな」


 混ぜ返すように言うユーリに、セリカは小さく眉を寄せて。


「もう、ちゃんと続きも聞いてよね? 最初は小さいところから始めて、ってこと。まずは身近な人を助ける。それから、次は街の人。続いては国家を。それから、ゆくゆくは……幻魔の脅威そのものから人類みんなを救いたい。


 出来ることなら、大陸中から魔領域が消え去って、幻魔が完全に地上から姿を消す……そんな世界を見てみたいんだ。


 人類が安寧あんねいの時と本当の平和を取り戻す、その助けになりたいの。これ……めちゃくちゃ恥ずかしいけど、本気マジだから」


 頬をさらに赤らめ、薄い銀苺色の髪をひとふさ、人差し指にくるくると巻き付けてもてあそびつつ、セリカはそう言い切った。


「……」


 ユーリは、しばし無言になった。

 ずいぶん真っ当だ。というか、いっそ真っ当すぎる。それはまさしく、学長室の壁の碑文やら、構内にあるラケイアの銅像の台座やらに彫り込んである、マギスメイアの設立理念そのもの。イゴル教授などがよく口に出す、魔装騎士の理想像に限りなく近い。


(こいつ、根っからの優等生じゃね? ……つまらんといや、これほどつまらん回答もねえかもな)


 そう感じてしまうのは、ユーリだからこそ、かもしれない。

 彼は戦場を知っている。綺麗事では済まない、幻魔との戦いの実際を。そして、その裏で流れる多くの血のことを。さらに、彼は重ねている。幾多いくたの経験を、あの魔領域で過ごした永遠にも等しく思えた孤独な時間を……

 一千万の魔をほふり、百万の異界を踏破とうはしてきた末、しかし一切むくわれることなく……彼は今、ここに在るのだから。


(どこまでも青臭い……砂上の楼閣ろうかくめいた理想ってヤツ。けど、それをこんなにマジに言ってのける奴は……久しぶりかも、な)


 どこか珍獣を眺めるような、ユーリの苦笑ぎみの表情をどう取ったのか。

 セリカは焦ったように顔を赤くしながら、少し早口で続ける。


「も、もちろん! そう考えるようになった理由も、ちゃんとあるわ……! あ、あのね、実はここから先は、ティガにもあまり、話したことないんだけど……」


 セリカはいったんそこで言葉を切り、急に真剣な表情になると、ユーリをじっと見つめてきた。

 その澄んだ蒼い瞳に、ユーリの顔が映り込み……雪花石膏アラバスターのように白いセリカの肌のおもて、ほんのり上気した桜色と合わせて、一瞬、部屋に妙な空気が流れる。


(う。コイツ……)


 ユーリは顔をしかめた。改めて眺めてみると、この少女は本当に美しい顔をしている、などと、うっかり思ってしまい。

 ヘカーテや暗黒街の娼婦などが持つ、どこか影と背徳の匂いのする美とは異なる……まさに純粋で無垢な“少女”から“女”へ変ってゆこうとする、この時期特有の美しさ。


(ちっ)


 もはや、決して己が持ち得ないもの……得体の知れない苛立いらだちと同時、どこか居心地の悪いような妙な気持ちに追われたユーリは、思わずがらにもなく、フッと視線をらしつつ。


「なんだ、その……言いにくいってんなら、別にいいぜ? 無理には聞かねえさ」


 しかし、セリカは静かに微笑んで、ゆっくりと首を横に振り。


「ううん……自分でもちょっと不思議だけれど、ユーリ君になら、きっと大丈夫だから」

 

「そ、そうかよ」


「うん。それじゃ、えっと……実はね、私、他のお姉様たちとは母親が違うの……正確には、お父様の第二夫人の娘なのよ。そしてね、小さい頃に私、ちょっとした事件に巻き込まれたことがあって……」


 それからしばらく……ぽつり、ぽつりとセリカは語り続けた。


 かつて、故郷のラベルナで海魔――海棲幻魔かいせいげんま――の大襲撃があり……危険が迫るラベルナの公都から避難する途中、大公および貴族層の完全放逐ほうちくを叫ぶ思想犯たちによる、魔導鉄道の爆破テロ事件に巻き込まれたこと。

 その混乱の中、セリカは生みの母を失ったのだという。

 彼女は娘と同じ色の髪を持つ美しい女性で、元はラベルナ大公たる父に仕え、身辺警護も兼ねる護衛女中バトルメイドの出身だったそうだ。


 目の前で起きた彼女の死に酷くショックを受けた幼いセリカは、もはや口もきけない状態で、そのまま犯人たちに連れ去られたらしい。その後は広大な森の中に打ち捨てられた古い館に、しばらく監禁されていたというのだ。


「そこに……あの人がやってきたの」


 セリカは、あくまで静かにその情景を語った。

 武装した政治犯たちをいとも簡単に打ち倒し、全員の意識をたやすく刈り取ってしまった一人の少年のこと。幼い彼女が心的外傷トラウマによる放心状態で記憶もおぼつかない中、鮮やかな手腕で賊を制圧した後、最後まで無言で立ち去った、名も知らぬ英雄のことを。


「でも、たった一つだけ……はっきりと覚えているわ。おびえて物も言えなかった私に、その人は無言で近づくと、そっと頭をでてくれた。それから、屋敷の庭に生えていた笛鳴草ふえなきぐさを折り取ると、それを吹いてくれたの。優しいけれどなんだかもの悲しい、印象的なメロディだった……」


 ときどき、遠い過去を懐かしむように目を伏せながら、それでもセリカは休むことなく語り続ける。


「これは、事件がすっかり解決した後に聞いた話なの……彼は、たまたま特殊な訓練の最中で、ラベルナに滞在していたんだって。


 父が軍時代の知り合いに特別に頼んで派遣してもらった、皇国軍で最年少の凄腕すごうでの魔装騎士だったそうよ。


 今思えば、実際は年齢だけなら数歳しか変わらなかったんだろうけど……小さい頃って、数年の違いがすごく大きく思えるものね?」


 セリカの青い瞳の中に、静かに揺れる魔晶ランプの光が映り込む。ユーリは、ただただ押し黙っている。


「私、あの人に一言ひとこと、お礼を言いたかった。彼は大人に比べれば、体格こそ華奢きゃしゃなほうだったと思うけれど、その背中が、あの時にはとても頼りがいがあって、大きく見えた。


 本当、小さい女の子向けの絵物語に出てきた、王子様みたいだなって……ふふ、確かにちょっと子供っぽいよね」


「……」


 ユーリの沈黙をどう取ったのか。セリカは寂しげに、小さくかぶりを振ると。


「いわゆる幼い憧れ……だったんだと思う。訓練自体が秘密のもので、名前も所属部隊も明かせないということだったけれど、それから何度も、父を通じて彼に手紙を書いたわ。けれど、各地で転戦を繰り返す彼には、一通も届かなかったみたい。


 その後……人づてに聞いたの。彼は、軍の任務でとある魔領域に行って、そのまま部隊ごと行方不明になったって」


 それは目を伏せたセリカにとって、きっと少し辛い記憶なのかもしれなかった。


「ふぅん。魔領域で、ね……」


 ユーリはそっと、眼を閉じ……思い出す。あの事件は、彼にとってはさしたることもない過去の一幕。かつて無数にこなした、今となっては詳細しょうさいすらも忘れてしまった任務ミッションの一つに過ぎないもの。


 ただ、それは忘れ得ぬ思い出の時間の中、確かに実存じつぞんした出来事ではあった……。

 信じあえる仲間たちと戦った、遠き日々。

 今のユーリにとって、それはもう、ずっとずっと以前のことだったように思える。


 (【幻神将隊アーリア・グラディエス】、か……)


 流民るみんの孤児出身の自分にとって、似た境遇のはぐれ者が集められたあの部隊……【幻神将隊グラディエス】は、やはり、かけがえのない特別な場だったのだ。

 それは、あまりにも早く訪れて去った黄金時代にして、自分ユーリにとって、ただ一つ最後に身をゆだねられた、短い安らぎの季節……。


 何より、あそこには“あの少女”がいた。無二の大魔術の使い手であり、部隊の華であり、ユーリにとっては……特別だったある女性ひと。そしてもちろん、今よりもいくらかは純真だった“あの頃”の自分にとって、心底大事だと思えた仲間たちも。


 だが自分たちは、あまりに無謀な作戦における盤上ばんじょうの駒、皇国のための捨て石として半ばあざむかれて、あの第七魔領域に足を踏み入れ……

 

 そんなとりとめもない回想に入り込んでいたユーリの意識を、震えるように絞り出されたセリカの声が、ふと現実に引き戻した。


「私、何も言えなかった。気持ち一つも、届けられなかった。いったい彼はどんな人だったんだろう? いったい毎日、何を考えて戦っていたんだろう? 


 “お姫様”の私は、それまで何も知らなかった……本当のお母さんのことすら、自分と似た髪色で、私をすごく可愛がってくれる優しいメイドさんだと思って過ごしてきた。

 大公領の大きなお屋敷、塀に囲まれた世界で、なぜ自分たちだけが比較的安全で豊かな暮らしをしていられるのか? それすら、きちんと考えたこともなかった。


 笑っちゃうよね、貧しさから税すら払えず魔導城塞都市ポリスの外で暮らさざるをえない、毎日が幻魔の危険や死と隣り合わせの流民るみんの人々がいることすら、私、まったく知らなかったのよ? 政治犯たちが彼らに同情し不平等に反発した結果、貴族の富の再配分を訴えて、あんな事件を起こしたことも……

 

 日々の平和だってそう。誰かが支え、守ってくれるから保たれている……無償じゃないの、等価交換とうかこうかんなのよ。私が絵本を見てお唄を歌って、蝶やお花をでて暮らしている同じ時間、無限の荒廃野こうはいやで、封じるべき魔領域の中で、彼と仲間の人たちは、ひたすら血とほこりにまみれて、幻魔と戦っていたの。


 そうと知った時、もう……もう、分からなくなった。一体、私は今、何をすべきなのかって……。

 そうね、“知ってしまった”以上、のよ。自分が本当に今、なすべきことは何なのかって……そんなことばかりを思って日々を過ごすうちに、私はいつしか……お父様に頼んで先生を付けてもらって、基礎的な剣と魔術の稽古けいこをするようになっていたわ。


 姉さんたちや周りの人には奇妙がられたけれど、稽古に打ち込んでいる間だけは気が安らいだ。上達するたびに、彼の事が少しずつ、分かっていくような気がしたの。つまるところね、私は彼の“あの背中”を目指して、これまでずっと、頑張ってきたのかもしれない……もちろん、全く家や皇国のためじゃないといえば、それは嘘になるけれど」


「なるほど、な……」


 ユーリはそんなセリカに対して、なんとも曖昧あいまい相槌あいづちを打った。



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今回は、少しキャラ掘り下げを。どうぞ続きにも、ご期待ください。

お読みいただき、ありがとうございました。当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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