第10話 二人、部屋で ★★★


 やがてリビングの丸テーブルには、フードクーラーを兼ねたサイドテーブルから取り出された、エーテルペッパーのカップグラスが二つ並んだ。


 ちなみにエーテルペッパーの色は、工業色素ギトギトの、強烈な人工色である。

 

 ユーリに勧められるまま、手近な椅子に座ったセリカは、グラスのうち一つを手に取り、恐る恐る、といったように唇を付けてみる。


「……あ、甘っ!? で、でも苦辛にがからい!? いえ、す、酸っぱくて弾ける!?」


 セリカはくるくると表情を変えて百面相ひゃくめんそうをした後、コホン、と咳払いをして、端的たんてきに一言で総括そうかつした。


「……み、妙な味ね」


「ある従軍詩人じゅうぐんしじんはこう記した……例えるなら、砂糖地獄で辛みの悪魔侯爵が、酸っぱみの貴婦人と情熱のタンゴを踊っているような味、とな」


「……何それ」


「嘘だよ嘘。味は、仕入れ日のフレーバーや飲むヤツのマグスのめぐり、体調によって刻一刻こくいっこく変わんだよ。でもな、慣れねえうちは分からねえだろが、このシュワシュワ感がまたクセになんだ。俺は毎日、一本はコイツを飲まないと落ち着かねんだよ……昔からの習慣でさ」


(もしかして、妙な依存性いそんせいがある飲み物とか……?)


 そんなことを一瞬考えたセリカだったが、それを察したようにユーリは笑って。


「そこは問題ねえ、軍医官ぐんいかん殿……いや、医者の保証付きだかんな?」


「ふぅん、ならいいけど」


 いったん納得はした様子のセリカは、だがもうエーテルペッパーを口にしようとはせず、代わりに物珍しそうに、室内をちらちらと見回している。


「なんだ? 見世物みせもんじゃねえぞ。……ははあ、なるほど。もしかして、男の部屋は初めてとか?」


「え! ま、まあ……うちは七人姉妹だったから、そのね、実はあまり男の子の部屋って、よく知らなくて……」


「さすがは箱入り、深層のご令嬢……まさに“お姫様”ってとこか?」


 くっくとユーリが笑うと、セリカはムッとしたように。


「も、もう! そんなことないわよ、お、お父様の部屋くらいなら……」


「はあ? この場合、親父は“男”のカウントに入らねーだろ」


「そ、そうなの? で、でも私くらいの年なら、別に……その、普通だと思う、けど……」


 その語尾は、普段の活気あふれる彼女の様子とは異なり、どうしてもあまり自信なさげになる。


 同室で酒場の娘、しかも弟が数人もいるティガに比べると、自分はどうも一般の少女に比べて、年齢の割に「そういうこと」にはうといようだという自覚が、セリカにはあった。


 以前、実家の手伝いからほろ酔い加減で戻ってきたティガに、恋バナついでに酔いがらみされた時、ついつい劣等感から「男とキスをしたことくらいある!」と無理して見栄みえを張ってしまったことがある。

 結果、男女の機微きびにはとかく目ざといティガに「はいはい」とあっさり見透みすかされて流され、自己嫌悪におちいってしまったのだが……


「どうだか? ま、ただこの部屋は……一般的な“男の部屋”のサンプルにはならねぇってのは間違いねーわな」


「や、やっぱりそうよね? なんか、殺風景っていうか、引っ越したばかりの部屋みたいっていうか……私たちの女子寮の部屋なんかとは、まるで……」


 セリカが改めて部屋を見渡しながら、ぶつぶつという。


「はあ? ネコちゃんワンちゃんのぬいぐるみだの、パステルカラーのカーテンに絨毯じゅうたん、ふっわふわの枕だのがあったほうがよかったってか? 冗談だろ、ここは英雄の鍛錬場たんれんじょう、マギスメイアだぜ?」


 そんな軽口を叩きつつ、ユーリは自分のエーテルペッパーをいかにも美味そうに喉を鳴らして、一気に飲み干した。


「ぷっは~、たまんね~……!」


「どうでもいいけど、本当に美味しそうに飲むわね……あと、腰に手を当ててるの、ちょっとオジサンくさい……」


 白い目を向けてくるセリカに、ユーリは軽く冷や汗をかき。


「う……⁈  いや、そ、そんなこたあねえ……はずだ。だいたいだな、このエーテルペッパーは、ガキにゃ分からんオトナの完全無敵飲料なんだからな?」


「ホントかしら……? なんだか怪しいなあ。やっぱり違法薬剤いほうやくざいの一種とかなんじゃ……?」


「さ、さて、喉もうるおったところで、ぼちぼちいいっしょ。用っての、聞かせてくんない?」


 とりあえず、と水を向けたユーリに、セリカは小さく頷いて。


「そうね、まずはお礼を言わせて。さっきは、ありがとう……あなたが来てくれて、本当に助かったわ」


 表情を生真面目に戻し、ごく自然にそう切りだすセリカだったが、ユーリは油断なく。


「……なんのこと?」


 一応、空とぼけてみせた彼に対して、セリカは苦笑し。


「あら、ずいぶん用心深いのね。まあ、わざわざ顔を隠してたぐらいだものね? でも、一瞬だけ、そのユニークな髪の色が見えたの。

 それにあなたと別れた直後の、タイミングでしょ? 咄嗟とっさにあそこに割って入れるひとっていったら……バレバレじゃない?」


「……そうとも限らんと思うがな」


 肩をすくめ、曖昧あいまいにごした返事をしてみたものの、この態度自体で、暗に肯定こうていしたも同じだろう。

 聡明なセリカは、やはりそれを察したのか、今度はにっこり笑って。 


「でも、強いんだね? 正直、意外というか……ううん、本当にびっくりした。……で、ユーリくんは、どこであれほどの技を身につけたのかしら?」


 セリカの表情には、素直な賞賛しょうさんと同時に、ユーリが何を言ってもあくまで誤魔化ごまかされないぞ、というちょっとした決意みたいなものも垣間かいま見える。


(わりと手強そうだな、こりゃ)


 それを読み取って、ユーリもついに腹を決めた。


「ま、ここに来る前にいろいろあってな。……実はな、俺は前にいた場所で、いろいろやらかしちまって、“追放処分”を受けたのさ」


「あ……それはつまり、退学&放校になったとかそういうこと? へえ、けっこう”ヤンチャなワル”だったんだ? お父様が言ってたわ、自分も若い頃、ずいぶん“ヤンチャ”で“ブイブイいわせた”もんだって」


セリカは楽しそうに笑い、そんな妙なセリフを言う。


(それ、たぶん死語だろ……もしや、ラベルナ地方に生き残ってる古代方言しゃべってんのか、こいつ?)


 とは思ったものの、ユーリからすれば、それはそれで都合がいいとも言える。


「……ま、そんなとこだ。あまり言いふらさないでくれよ。俺にも、世間体とか事情ってものがあるんでな」


 実のところ、ヘカーテ司令相手以外には、傍若無人ぼうじゃくぶじんを地で行くユーリである。


 外面なんてものを気にするはずもないが、やはりお嬢様育ちで根が善良なところのあるセリカは、それを信じたらしく、にっこりと笑い。


「それは、もちろん。ばあやがいつも言ってたわ、人にはそれぞれ事情があるって。そもそもあの時、あなたが顔を隠してたのは、そういうことでしょ? 


 大丈夫、気づいたのは私だけで、ティガにも言ってないわよ。これでも、多少は気をつかえるつもりですからね……でも、ユーリ君。事情があるのは分かったけれど、なぜ、あれほどの力を隠してるの? 

 これまでの魔術実技の授業とかじゃ、とてもそんな風には見えなかったし」


 すでに予想していた率直な疑問。だからユーリは、これまた想定通りの答えを、それとなく返しておく。


「別に。転入してきたばっかで、派手に目立って面倒事めんどうごとはごめんだしな。言ったろ、一度痛い目にあってんだ」


 途端、セリカがぷっと吹き出して、口元をてのひらで押さえつつ。


「え、冗談! 気づいてる? 面倒事も何も、あなた、あのイゴル教授に目のかたきにされてるのよ? ほら、しょっちゅう彼の授業をサボってるから……」


「それは成り行き上ってヤツだ。相手が誰だろうと、頭カチコチで無駄に威張いばってる奴って、どうも合わねんだよ、俺は……そういう性分しょうぶんなんだ」


「はあ~、そうなの? 大人な態度かと思ったら、妙に子供っぽいところもあるんだ……どうにもつかめない人ね、あなたって。そういえば、まだどこのレギオンにも、入ってなかったわよね?」


 ちらりと、詮索せんさくするような視線を向けてくるセリカ。


「別に、誰かと仲良しごっこをするつもりもねえよ。ここじゃ、過去を全部忘れて、自由気ままにやりたいし……この部屋で暮らしてるのも、そーいうこと。それより、あのクソ坊ちゃんたちのことは、学園に報告したのか?」


 多少面倒くさくなってきたユーリは、話を変えようと別の話題を振った。


「ああ、そのことなら……ティガが落ち着いたら、明日あたり、対応はよく話し合うつもり。こう見えても、ティガのことはマジで親友だと思ってるし。それに、なんていうか……『助けた、助けられた』が変な貸し借りになって、関係が妙なことになってもイヤでしょ?」


 苦笑して見せるセリカ。


「ははっ、おトモダチ大事♪ってか。お前らしいっちゃ、らしいな。ま、でも……意外にこの件は、ごくごく自然に、あっさり解決するかもしれんぜ?」


 え、と怪訝けげんそうな顔をするセリカに、ユーリはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべつつ、付け加えた。


「お前らを逃がした後、ちょっとボス猿を、強めにでてやったからな。明日にでも奴ら、“自首”すんじゃねえか」


「そ、そうなんだ……?」


 セリカは、目を丸くして驚いた表情になってから、一転して眼を輝かせて。


「う~ん、やっぱ凄いね、ユーリ君……! あ~、こうなったらどうしても、ちょっと興味出てきちゃった! ねえ、これだけ聞かせて。そもそも、なぜマギスメイアに入ったの?」


「それもまあ、諸事情あって、という奴だ。だいたい、そいつを言うなら……お前は、どうなんだ?」


「えっ、私? ただ、皇国の未来のお役に立ちたい、って……あ、コレ、前に言ったよね?」


「……本当に“それだけ”か? あのマルクディオの配下、お前を殴ったチョコバーデブがいたろ? 奴に反撃でカマした拳の一撃……足運びからして、実に綺麗なもんだったぜ。『お国のために、僕たち・私たちはぁ~!』みたいな薄っぺらい動機じゃ、学生身分だと百年特訓とっくんしても、真似できねえ動きだと思うが」


「ああ……ユーリ君には、分かっちゃうんだね……」


 セリカは静かにそう言って、決心したように顔を上げた。


「うん、あなたの言う通り。本当は、それだけじゃないのよね……」


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明日はひたすら寝て過ごしたい!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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