第9話 意外な来訪者


 次の瞬間、マルクディオが、セリカへとおどりかかった。

 この至近距離では、正当防衛として魔術で対抗しようにも、詠唱はおろか、マグスを練ることすらも間に合わないだろう。


 セリカが強い怒りを込めてマルクディオを真っすぐに見据え、ひっ、とティガが思わず目を閉じたその瞬間。


 ゴキィッ!


 派手な音を立てて、マルクディオの身体が吹き飛んでいた。


「おゴァッ⁈」


 そのまま背を建物の壁に打ち付けられ、苦痛の息を漏らすマルクディオ。

 だが、彼が地面に尻から崩れ落ちるより先に、黒い人影が、その腕をねじりあげて無理やり立たせる。


「がっ……!」


 うめき声とともに、彼の手からぽろりと落ちたドルカ・ナイフを、その人影は無造作に足で踏みつけた。


「……文字通り、てめえはゴミクズ以下だな」


 続いて、いくぶん低い声でこう発する。


「おい、成金のクソ坊ちゃん。どこで手に入れたか知らんが、そいつはお前の玩具おもちゃじゃない。ドルカの暗殺傭兵が使う、純粋な殺しのための武器……電理魔装ですらない、魔装騎士としてはむしろ恥ずべき道具えものだぞ。学生身分で、分を越えたな」


「な、なんだ、お前は……」


 思わぬ乱入者に向かって、マルクディオは憎々しげにそう吐き捨てるのが精一杯である。

 その人影――ハンカチーフで顔の下半分を覆い、その場で拾い上げたぼろきれを、ローブとフードのようにすっぽりかぶったユーリは、それに対し、ただ一言。


「さあな、通りすがりのお節介せっかい野郎だよ」


 セリカとティガは、突然の乱入者を、唖然あぜんとして眺めている。


「けど、てめえのような勘違い野郎を見ると虫唾むしずが走るぜ。自分の実力、相手との戦力差もろくに分からんやつが、偉そうにしてんのはな」


 ユーリはそんな二人と、腰を抜かしたように動けない取り巻きたちを後目に、さっさと次の行動に移る。


 まず、ねじりあげたマルクディオの腕を外すと、よろめいた彼の腹部に、拳を突き入れた。まるで手を添えただけのような、ごく軽そうな一撃……だが続く瞬間、マルクディオの背が空中に浮き上がり、口から反吐へどを吐き散らしたところを見ると、相当の衝撃であったらしい。


 そのまま棒切れでも蹴飛ばすように、彼の足を刈って地面に寝ころばせ、太腿を無表情に踏みつける。


「ぎゃあああ!!」


 みっともない悲鳴を上げ、マルクディオは残った手足をじたばたさせて、踏みつぶされかけたカエルのように暴れた。


「うるさく騒ぐな……これでも手加減してやってるんだ」


 続いてユーリは、転がっているドルカ・ナイフを拾い上げる。彼がかがんだ拍子に、一瞬だけフードが揺れ、銀灰色ぎんかいしょくまじりの一筋の髪がのぞく。


(あ……!?)


 それはちょうどセリカの位置からだけ、はっきりと見えた特徴だった。だが、それを見るや、彼女はすぐ、はっとした表情を浮かべる。皇国では珍しい、その髪の色は。


(ユーリ、君……?)


 そう、最近セリカに何かと縁がある気がする、あの奇妙な男子生徒のもの。

 そんなセリカの心中の呟きを他所よそに、ユーリは拾ったナイフを軽く上へ放り投げる。

 続いて空中で素早く柄に開いた穴に人差し指を通し、そのままもてあそぶようにクルクルと回転させた。


「それとも、こいつでそのまま、指から順に、腕一本ぶんぐらいをバラバラに“解体”してやろうか……そうすりゃ、ちょっとは聞き分けも良くなるだろ」


 そんな言葉を聞いた時、セリカの背中に、思わず冷たいものが走り抜けた。

 そう発したフードの向こうの彼の瞳には、恐ろしく冷徹な光が浮かんでいたからだ。もしかして、それくらいは本気でやりかねない、と思うほどの。

 それはマルクディオも同様だったようで、彼はたちまち、顔面蒼白がんめんそうはくになって黙り込んだ。


「ふん、ようやく騒ぐのをやめたな。雑魚は雑魚らしく、地べたに這いつくばって大人しくしてろ」


 直後、空気を切り裂く音とともに、ナイフがユーリの手元から掻き消え。


「うわっ……!」


 腰を抜かしたように尻から崩れ落ちたのは、ティガを捕えていた取り巻きのニキビ面の少年である。ナイフは鋭く空を裂いて飛び、彼の頬をかすめて、背後の建物の石壁・・に突き立っていた。

 あまりの勢いに、壁と垂直に突き刺さったナイフが、衝撃を殺しきれずわずかに揺れる。びぃん、と弓の弦が弾けたような振動音が、周囲に鳴り響いたその刹那せつな


 ユーリはさっとつむじ風のように移動。放心したように腰から座り込んでいるニキビ面の少年との距離を、一気に詰める。


「ひっ」


 逃れようと座りながら後ずさりした相手に、ユーリはごく軽く、トン、と足を踏み鳴らす。

 たちまち、地面を地龍のように走り抜けた強烈な衝撃波が、哀れな少年に襲いかかる。


「ぐぎゃっ……!」


 標的に到達した瞬間、それは竜巻のような上昇回転エネルギーに変化。

 

 それをもろに受けた彼は、遠心力でカカシのようにねじびた両腕を、身体ごと猛烈に横回転させながら、数メルテルも吹き飛ばされて白目を剥いてしまった。


 そっと手を伸ばしたユーリは、あっさりティガを奪い返し、セリカのほうへ向けて、その身体を押し出した。


 そのまま手首をひらひらと動かし、二人に「去れ」と合図を送ると、セリカはハッと気づいたようにティガの手を引き、さっと駆け出した。


「くそ、逃がすな!」「ま、待て!」


 マルクディオの手下どもが、追おうとするが……


「おい、お前らのボスの赤毛猿はここだ。何なら、もうちょっと厳しくしつけけてやってもいいんだぞ?」


 ユーリの声に、取り巻きどもが一斉に振り返る。地面に這いつくばったマルクディオが、再びユーリの足に掌を踏みにじられ、ひぃひぃうめきながら、手下どもに合図を送る。彼らは仕方なくセリカたちを追うのをあきらめ、その場に立ち尽くした。


「よーし、お利口りこうだ、クソ坊ちゃん。そんまま、間抜けどもは大人しくさせておけよ。下手に指示出すと、死人が出るかもしれんからな。覚えとけ……戦場じゃ上の無能のせいで、何の意味もなく石ころみてえに人が犬死にすんだ」


 ユーリはそれから、セリカらの足音が遠くに消えたのを確認し。


「さて、もういいだろ……立てよ、クソ坊ちゃん」


 ユーリはそっと、マルクディオを解放してやった。ふらふらと立ち上がった彼の尻をどん、と軽く蹴り飛ばしてから、ユーリはうんざりしたように言う。


「どうだ、ちょっとは薬になったか? これにりたら、ちっとは自らの振る舞いを考えろ。いざってとき……実力もわきまえず無駄にイキがるヤツが、一番始末に負えねんだ」


 それから、ユーリは少し考え。


「俺はあくまで、“通りすがりの部外者”だし、このマギスメイアは学の独立と自治が原則だ。それを重んじて、俺が自ら上に報告するような野暮やぼな真似はやめておく。


 だから今回の悪事については、お前たち自身で、学園側にしかるべき報告をしろ。あの“お姫様”と被害に遭った友人殿が、動く前にな……そうすれば、ちょっとは上の心証しんしょうもマシだろう。厳重注意は食らうだろうが、もしかすると、数週間の停学程度で済むかもしれんぞ?」


「わ、分かった……」


「なら、いい。行けよ」


 ユーリが突き飛ばすようにしてその身体を押しやると、マルクディオは取り巻きたちに抱きかかえられて、よろよろと去っていく。少し離れたところで、吐き捨てるような彼らの罵声ばせいが響いた頃には、ぼろきれをかぶった男……いや、ユーリの姿は、かき消すようにその場から失せてしまっていた。


※ ※ ※


 数刻後。

 ユーリは、自室でベッドの上に寝ころんでいた。

 そこは、マギスメイア構内にそびえる博物棟の隣の小さな建物だ。書庫・倉庫の他、かつて研究者の実験施設としても使われていた場所でもある。


 本来、マギスメイアはほぼ全寮制なのだが、この部屋は、ヘカーテ司令の計らいで手に入れたものだ。そんな経緯もあり、自分がここで悠々一人暮らししていることは、ユーリ自身、あまり大っぴらにはしていない。


 ベッドの他には、調度品は机と椅子が一組。他には、簡単なダイニングとセットになったリビング風のスペースに、丸テーブルと椅子がいくつか。


 机の近くの壁際には、大きな本棚があり、ぎっしりとアナログ本と電理書籍ソフトが詰まっている。

 一人暮らしには広すぎるくらいだが、天井に設置された電理魔晶ランプの明かりは、その部屋を照らすのには十分であった。


 今、ベッドに横たわるユーリが、空中に浮遊する面晶体めんしょうたいに投影して読んでいるのは、物理学と魔領域および電理魔術についての最新の論文集である。


 ベッドの脇にあるサイドテーブルには、冷えたエーテルペッパーがなみなみと注がれたグラスが乗っている。

 それは、飲めば体内のマグスを軽く覚醒させ、血流と頭脳の働きをも良くする軍用電理人工飲料であり、軍にいるときに覚えた、ユーリの数少ない嗜好品しこうひんの一つだ。


 時折それに口を付けながらも、面晶体のページをめくるユーリの眼が止まることはない。彼の視線は確実にページを追い、その内容を正確に脳裏に刻み込んでいく。ちなみに、ユーリの読書傾向は典型的な乱読型である。ジャンルを問わずあらゆる本を読むが、最近では、電理魔術の他に、魔領域についての研究書が多い。


 その時、部屋の扉に据え付けられたブザーが、数度鳴った。

 読書に集中していたユーリは、ちらりとドアに目をやったが、面倒だな、とばかり、そのまま放置する。


 自分の時間を邪魔されるのが耐えられない彼の性格に加え、こんな時に隠者のいおりめいたこの場所を訪れる来客が、ろくな相手であるはずがない。


 居留守を決め込んだ形だが、なおもブザーの音は鳴り続けるばかり。

 ユーリは頭を一つ振って、仕方なく電子本を閉じると、ベッドから飛び降り、扉のロックを解除した。


「あんたは……」


 そこに立っていたのは、セリカ・コルベットだった。

 照明あかりの光に照り映える、薄銀苺色ストロベリーブロンドの髪。先程切り裂かれた制服は、部屋で脱いできたのだろう。今は白いワンピース風の外出着に着替えている。


「あ、あの、こんばんは、ユーリ君……」


 セリカは、どこか少し気後れしたようにぎこちなく笑うと、そっと会釈した。

 ユーリは、いぶかしげに彼女を眺め。


「……よくここが分かったな」


「う、うん、学生課で、ちょっとね」


「そっか。ま、別に秘密にしてるわけでもねーからな。ただ逆に、あんましペラペラしゃべられても困っけど。で、何の用? あんたの寮の門限なんか知ったこっちゃねえけど、級長様が外出するには、わりと遅めの時間だと思うんだが」


「少し、あなたに聞きたいことが……。ねえ、少しだけ時間をもらってもいいかな?」


「……」


 ユーリは少し迷惑そうに額にしわを寄せたが、結局は彼女を室内にまねき入れた。


「ふぅ~……ま、じゃあ、どうぞ。飲み物は……エーテルペッパーでいい? まあ、他のもんを、って言われても困んだけどさ」


「……? あ、ありがとう、いただくわ」


 エーテルペッパーが何かは知らない様子ながらも、セリカはそう言って愛想笑いめいた微笑とともに、そっと頭を下げた。


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今日は、辛口と中辛を混ぜて作った特製カレーを食べます!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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