第5話 幻魔


 その日の夜。

 丘の上には、月の光が落ちていた。


 かつてはさぞのどかな田園地帯だったのであろう。

 だが、今は荒れ果て、崩れかけた石垣や家畜小屋の跡、廃屋はいおくなどが面影をとどめているばかりだ。


 ドーリス地方と呼ばれたここは、かつては風光明媚ふうこうめいびで、上質なチーズや優れたブドウ酒の産地だったという。


 だが、すでに食糧生産は地下の巨大農場ドームと全自動電理魔導機械オートマグスメーションにとって代わられ、天候すらも完全管理されている今、農夫や作物が生い茂る農場などという牧歌的な光景は、ほぼ見られない。


 そんな、すでに人影が絶えて数十年は経っていると思われる荒れ果てた大道路を、まるでつむじ風のように走り過ぎていく影がある。


 やがて皇国軍の戦闘服を身につけマントを羽織った人影――ユーリは、丘の向こう、ちょうど森に入る道の入り口で、ぴたりと足を止めた。

 森の木々は、不気味に風に揺れている。ろくに手入れされていないので、いずれも伸び放題だ。


やがて、気配。

ぞろり、と濃い闇の中から、何かがはい出す。

月明かりの下、無数に蠢く影と、色とりどりに輝く目――

”幻魔”だ。


 それらは、それぞれにおぞましい虫や奇怪な小動物を思わせる、雑多な姿をしている。 ぬらりとした体表は、いずれも毛や甲羅のようなもので覆われており、人間にとっては、本能的に嫌悪感や忌避感を覚える容貌をしているものばかりだ。


 そんな幻魔の群れを前に、ユーリは内心で舌打ちする。


(ちっ、事前情報より多いじゃん。ざっと二十はくだらないじゃねえか。魔領域から新しく湧き出て、増えたってとこか)


 ユーリはいつもの癖で、相手の戦力を分析する。服のポケットに入れた魔導軍章まどうぐんしょうは、周囲の状況を察知し、持ち主に危機を伝える機能も持っている。それを逆用すれば、過去、軍のデータベースに登録済みの幻魔については、脅威度を測ることも可能なのだ。


脅威値スケア・ポイントはっと……ざっとこっちの群れが500、あっちが250に、300……合わせて1050ちょい、か。なんだかんだで、ってとこかね)


 そんなユーリの様子をうかがうように、薄闇の中にぎらつく、赤や青の眼。

 威嚇するかのようにかっと開かれた口。長さも形も様々な牙や、不気味に蠢き、蛇のようにちろちろと出し入れされる舌。


 次いで、まず一匹が。それから、それにならうように次々と。

 幻魔たちはそれぞれに喉もしくはそれに該当する器官を震わせると、唐突に不気味な声を上げ始めた。


 たちまち大気が震え、森の木の葉が大量に舞い落ちたが、単に振動だけを取ってみれば、所詮しょせんは嵐に伴う大風程度。それでも、彼らの咆哮は非常に危険なものだった……特に、人間にとっては。

 それは【恐声きょうせい】と呼ばれる、幻魔独自のおたけびなのだ。


 不気味さ以上に、何より恐ろしいのは、その特殊な効果であった。

 それを聞いたものは、その共鳴し合う特殊な魔力波によって、心を破壊され、精神を狂わされてしまうのだ。


 魔力波であるから耳栓などで防ぐことはできず、並の人間ならば即座に失神したり、最低でもパニックを起こし、錯乱状態になるのは避けられない。


 だからこそ、幻魔との戦いにおいて、特に接敵しての多人数戦は、まるで意味をなさない。凡百ぼんびゃくの兵士など何人集めたところで、恐声一つを浴びせかけられれば、全員が木偶でく同然という状態に陥ってしまう。


 ただ、精神を研ぎ澄ませ、理力で覆った魔装騎士だけが、それに耐えることがレジストできるのである。

 そしてもちろん、皇国最強の魔将たるユーリならば、その程度は造作ぞうさもないことだ。


「無駄だ……ピィピィ小鳥みたいにさえずってんじゃねえよ」


 不敵に唇をゆがめると、ユーリは即座に、身体を覆うようにマグスを発した。

 背中のマントが、下から風に吹き上げられるように、一気にはためいた。

 同時、ユーリの右目が深紅の輝きを宿し、一気に光を発した。


「【炎獄魔斬(メギドグレイブ)】」


 そう発すると同時に、右腕を高く掲げる。

たちまちユーリの背から立ち昇るマグスは、鮮やかな朱色に彩られた炎樹となり、夜空を焦がさんばかりに炎の枝葉を広げた。


 燃え盛ったその炎が、続いてユーリの右手の長剣に一気に流れ込み、刀身を灼熱化させる。

 この長剣は、もう一つ、ユーリの左手にある短剣とともに、電理魔装武器マギスギアと呼ばれるもの。

 いわば、魔法を使用する上での補助道具であり、それ自体がマグス回路の力を増幅するものだ。いわゆる通常の武器としても使えるが、魔装騎士の象徴ともいえる特別な装備でもある。


 まるで真っ赤に燃え上がる溶岩と化したような長剣の輝きに、幻魔たちはそろって、少しひるんだ様子を見せた。だが、それでも特に向こう見ずな一体が、牙を剥いてユーリに躍りかかる。


 それに呼応し、ユーリの右腕が、流れるように動いたかと思うと。

 次の瞬間、空間がぜた。

 灼熱の長剣から一気に放出された爆炎が、あっという間にその幻魔を消し炭に変え、荒れ狂う勢いのままに、粉々にして消し飛ばしたのだ。


「ギギギギギィ!」


 おののくように、幻魔の群れがざわめく。


「も一つ、おまけだ!」


 ユーリの背に揺らめく魔力像マギスビジョン炎樹えんじゅが、たちまち凍てつくような青い氷柱状に変化し。

 左腕に握った短剣が、今度は青く冷たい光に覆われる。

 続いて、放たれたのは猛烈な凍気の渦である。


「【氷獄魔風(フローズン・ゼフィロム)】」


 一瞬、吹雪が周囲に吹き荒れたのもつかの間。

 夜の闇があっという間に戻ったかと思うと、月明かりの下にきらめく、いくつかの氷の棺が周囲に生まれ出ていた。


 それらの中にはいずれも、瞬間的に氷漬けになってしまった幻魔たちが、まるで彫像のような姿で、ぴくりともせず絶命していた。

 

 かくして幻魔の群れは、一瞬にしてその数を半分以下に減じられてしまったことになる。


 さすがの幻魔たちにも、動揺――幻魔にそういった人間的感情を当てはめることが不自然でないならばだが――した様子がうかがえた。


 ふとその中の一匹、数えきれない触手と、その先に揺れる無数の目玉を持った奇怪な姿の化け物が、妙な動きを見せた。

 まるで天を支えようとするかのように、触手群を上方へと伸ばしたのだ。


(ちっ、魂信種こんしんしゅか!)


 ユーリは心中で舌打ちをした。

 魂信とは、人間の想像を絶する、幻魔独自の能力の一つだ。


 まるで伝令役のように、特定の幻魔は、己が得た情報や体験を、魔力波に変えて、魔領域へと伝えることが可能なのだ。


 それが、どんな意味を持つのか。

 そう、かつて人間が幻魔に太刀打ちできなかった原因が、そこにあった。

 幻魔は、魂信によって情報を受け取り、それを取り込んで「進化」するのだ……。


 それは、単に人間を食らって一個体が強化されることとは、本質的に危険度が異なる。


 たとえ人間が一時的に優勢になろうとも、その戦術に、その武装に、たちまち幻魔は適応してしまう。


 火で焼けば不燃性の鱗を生やし、酸で溶かせば体表を抗酸化させてそれに対抗する。


 銃で撃ち倒せば、皮膚を硬質化させ銃弾への耐性を得る。砲を打ち込めば、砲弾を受け流す特殊装甲を体得する。


 つまるところ、いくら幻魔を全滅させ追い払おうとも、次に生まれて襲い来るものは、より強大になっていくばかり。


 だからこそ、人がこれまで知り得た戦術や武装では、幻魔に対抗することがかなわなかったのである。


 そしてその陰惨な“幻魔戦争”の最中さなか、皇国と列強が手を組んだ連合軍すらも敗走に敗走を重ね、世界が絶望に覆いつくされようとしたその時。


 始まりの魔女と呼ばれた英雄ラケイア、ラケイア・オリュンピアスが、初めて編み出したのが、新たな魔法――電理魔術でんりまじゅつであった。


 祖先から脈々と受け継がれた人の血、その中に含まれる超常の力――マグス。

 それを抽出し、おのおのが持つ魔装や、天与の資質であるマグス回路の中で練り上げる。


 いわば、精神の力の上澄みとも言えるそれを使って、物理法則、自然現象その他、現実世界の情報定義を改変・上書きし、超常現象を引き起こすのだ。それこそが、幻魔を滅するための人類最後の武器、電理魔術なのである。


 その力には、さしもの幻魔も対抗することができなかった。魂信こんしんで彼らが仲間に伝えることができるのは、あくまで形ある技術の産物に関する情報と、せいぜい敵の要注意個体・・・・・の情報程度であったからだ。


 物理現象に関する科学知識と魔装の力に基づき、己のマグスを刃に、盾にと自在に変える電理魔術。その究極の対幻魔技術の開発により、各地で幻魔の脅威を抑え込むことが可能になって、ようやく人類は一息つくことができたのである。


 ユーリは、一度腰を落とすと、脚のバネを使って飛翔した。ただそれだけで、マグスで強化した脚力は、軽々とその身体を超人的な高度にまで到達させる。

 そのまま、空中から横なぎに一閃。

 触手群は全て薙ぎ払われ、次々と燃え上がる。


 数秒後には、その不気味な幻魔は、まるでナメクジのような体表ごと、真っ二つになっていた。これでユーリの特技や戦術情報は、いかなる幻魔や魔領域にも伝わることはないだろう。

 音もなく地上に降り立ったユーリの身体に、続いてごうっと凄まじい風が吹きつけられる。


「高みの見物ってのを決め込んでたみたいだが……ようやく、おでましか」


 群れの統率者――グリフォンである。


 だがその姿は、神話に登場する鷲の頭に獅子の身体を持つ魔獣とは、いささか異なっている。

 猛禽類もうきんるいの頭とは別に、もう一つ獅子の頭を持っている、双頭そうとうの姿なのだ。さらに翼はまだ小さく、その巨体を飛行させるにはいかにも不釣り合いだ。


 ただ、幻魔もまた、人間のマグスとは別系統の魔力を扱うことができる。

 おそらく森の木々の上からこちらを観察しており、配下が半減したのを見て、風の魔力を操り、滑空かっくうするようにして降り立ったのだろう。


 そもそも、このタイプの幻魔を指して「グリフォン」と呼ぶこととて、実質的には、人間が神話になぞらえて付けた通称名に過ぎない。


 その名の由来は、食欲旺盛な肉食タイプであることに加え、成長すると巨大な翼を広げて飛行能力を得ることにある。

 今、ユーリに相対しているグリフォンは、翼がまだ育ち切っていないのは明白ではあった。


(それでも何人か食ってるな、こりゃ)


 皮肉な笑みを浮かべつつ、ユーリは心中で呟いた。

 その巨躯きょくからの推定である。

 

 おそらく第一発見者たる電理監視網のメンテナンス要員か、周辺地域封鎖に動いた軍人の一部が、襲われたのだろう。ざっと数人以上は食わないと、ここまでにはなれない。統率者であるからには、頭一つ以上、抜け出た存在感と力が必要なのだ。


 だからこそ、この巨躯にふさわしい翼が生え出たときには、被害はさらに拡大するだろう。


 壁はともかく、空中にまで影響を及ぼす皇都の電理魔導障壁は越えることができないだろうが、並みの魔装騎士では、かなり手こずることになるはずだ。


(なるほどねえ、だからこそ俺、ってわけ……。体のいい使い走りをさせられたもんだ)


 ユーリは自嘲じちょう気味に再び唇を少しゆがめ、目の前に降り立ったグリフォンの双頭を見つめた。いや、使い走りどころか、そこらの魔装騎士なら絶望的な相手のはずだが……ユーリはそれを、野良犬退治でも任された、といった風に、舌打ち一つで済ませている。


 そんなユーリを、相手も挑発的に睨み返してきた。肉食獣特有の丸い瞳孔を持ち、黄金めいた光を放つ獅子の瞳に、深い茶色の、感情を思わせない典型的な猛禽もうきんの瞳。


(ま、いいか。まずは、小手調べってとこで!)


 ユーリの全身から、吹きあがるようなマグスの波が出現し、瞳が赤光しゃっこうを帯びる。

 再び長剣を構えなおし……勢いよく、巨大な相手に向かって突き出した。


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お読みいただき、ありがとうございました。

当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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