血の惨劇




 私の体内時計で、日本時間だったらきっと午前零時を回った辺りの頃。

 重厚な扉からカチャリとした不釣り合いな軽めの音がして、私が居候している陛下の部屋に本人である陛下が入ってきた。

 見た目はいつもと同様キンキンキラキラの超絶美形でくたびれた様子は一切無いけれど、纏うオーラは疲労度マックス感をプンプンに漂わせている。

 まあ、良くも悪くも神の領域に突入している超絶美形な彼は、疲労による衰えが外見に現れないという体質なだけで、体を触れば、肩も背中も頭皮だってコチコチに凝っている程にいつも酷く疲れていた。

 そして私は、そのように疲れている陛下を心の底から待っていた。

 だから、陛下の部屋にある食卓用テーブルに屁っ放り腰な体勢で、疲労度マックスオーラ纏う彼を大歓迎な呈で迎える。


「あ! 陛下、とてもいいところに帰ってきた! お・か・え・り・な・さい!」

「……いいところだと?」


 陛下の形の良い黄金の眉が不審そうに中央に寄った。


「はい! ねねね、へ・い・か!」

「……なんだ。それにその変な体勢はどうした」


 ふぅを息を吐きながら、陛下が食卓に凭れかかっている私の方へと近づいてくる。

 そしてある一定の距離を保ったところまで来ると足を止め、彼は右手を腰に当てた。


「……で?」

「あのね、えっとね、備蓄が切れてて」

「備蓄? 何の?」

「生理用ナプキンですよ! ほら、生理の時にオマタに装着するやつ! それの備蓄がね、無くなってて!」

「…………」


 陛下の疲れていても澄んでいる紫の瞳に嫌そうな色が宿った。


「んでもって今さっき、生理が突然やってきて困って、今、適当にトイレにあった拭くものを大量に充てているんですけど、心許無くてどうしようかと。リーザ達は下がっちゃったし、この状態で長いお城の廊下を歩くのはなぁって。部屋の外の警護の人達に言うのも、ちょっぴり抵抗あるでしょ?」


 全員、男の人じゃん? 私ってば純真可憐で繊細な麗しの乙女だしさ、と続けると、陛下は皺の寄った眉間を空いていた左手でコシコシと揉みだした。


「……何故、前回の時に補充しない? 在庫切れは前回で当然予測できた事だと思うが?」

「あー…言おうと思って忘れていた的な感じ?」

「…………」

「ま、そんな事はどうでもいいんです! でね? へ・い・か! 貰ってきて? 生理用ナプキン! もうね、今直に!」

「……疲れているんだ」

「え? じゃあ、私ってば、このまま血を垂れ流せっていうんですか? 陛下の寝台、めっちゃ汚れちゃいますけど? 翌朝、真っ赤になるまで」

「………………」

「いいのかなぁ? まあ、私は構わないですけどね? 自分の血だし! 明日の朝、リーザ達がシーツ交換してくれるだろうしさ! でもでも、もしかしたらシーツを超えて陛下の寝台自体に染みちゃうかも? んでんで、陛下にもついちゃうかなぁ、私の生理の血が!」

「……………………」

「それでもいいですか? ね、へ・い・か!」

「…………分かった。行ってくる」


 腰と眉間に当てていた手を外し、黄金サラサラストレートな羨ましい髪を、気持ちを切り替えるようにザックリと前から後ろに梳いて、陛下はトボトボとした様子で彼自身の部屋から出て行った。







 私の体内時計で三十分を超えた頃。

 ずっと食卓に屁っ放り腰で寄りかかっていた私が、オマタからジワジワと出てくる血の気配にモゾモゾとしていると、カチャリと扉の音を立てて陛下が戻ってきた。

 入室すると彼は真っすぐに私の方へとやってくる。

 陛下は手にしていた小袋を食卓の上にポンと放った。


「貰ってきた。充ててこい」

「おおおぅ、ありがとうございます! ちなみに誰に貰ってきたんですか?」

「……女官長に」

「ややっ、そういう人が居るですね」

「居る。口が堅いし信用出来る人物だ。まあ、そのような事は今はどうでもよいから、早く行ってこい」

「はーい」


 陛下が放った小袋を持ち、漏れて足に伝わないよう細心の注意を払いながら、私はアヤシイ歩き方でトイレへと向かった。







 落ち着かないレベルな広さを誇る陛下専用のトイレで色々と処理をして部屋に戻ると、陛下が豪華応接セットのソファーに座り、何やらやっていた。


「陛下、何をしているんですか?」

「温かい茶を用意している」

「陛下ってば、お茶が淹れられたんですか?」

「一応な」

「でも何で?」


 そこまで豪華応接セットに近づきながら彼と会話して、私は陛下が座っていた長いソファーに腰を下ろした。

 陛下の隣だ。ローテーブルを挟んで対象側だと些か互いの距離が遠くなり、会話するのに声量を上げないといけないからだ。まあ、上げると言っても少しだけだけれどね?

 横に座った私に、陛下は手際良い感じでお茶を淹れ終えて、私の前に其れを置いた。


「月のモノの時は体を温めた方が良いだろう? 腹が痛くなったりもするだろうし」

「今はまだ痛くないかなぁ」

「事前に飲んでおけ。それ用の茶葉を貰ってきた。夜中に腹痛で騒がれ起こされるのだけは余が耐えられない」

「なんでですか?」

「先程も言ったと思うが、疲れているんだ。そして小娘、お前に今、その疲労に止めを刺されている」

「え、ごめんなさい?」

「いいからもう黙って飲め」

「はい、いただきまーす」


 私は素直に目の前に置かれた美麗で繊細なティーカップに手を伸ばした。







 音を立てない事を心掛けながら数回ほどフゥフゥと息をかけて冷ましつつ、お茶をコクリと飲んで。

 その味にちょっぴり感動して、私はお茶から陛下の方へと視線を移した。


「このお茶、結構、美味しいかも」

「それは良かった」


 そう答えながら、横の陛下も上品な様子でティーカップに口を付けている。

 黄金の髪も、伏せ気味な長い睫毛も、超絶美形顔も、全てが絵になるレベルでキラキラしていた。


「あれ、陛下も同じお茶を飲んでいるんですか?」

「ああ」

「でもこれ、生理用じゃ?」

「茶は茶だ。なんでもよい、もう全てが面倒臭い。どうでもいいんだ、飲めればな」

「おおぅ、そうですか」


 何処をどうとってもやさぐれている陛下の様子に、私は仕方ないなぁと眉を下げた。


「そんなに疲れているなら、私が滋岳さん直伝のマッサージでもしましょうか?」

「いやいい。下から血を垂れ流している者にされてもな」

「言い方!」

「……そうだな。悪かった。もう疲れ過ぎていて、発言内容にまで気を遣えない」


 言って、グイッとお茶を飲み干した陛下は、ローテーブルにティーカップを置いた。


「余は寝る。お前は、のんびりと茶でも飲んでから寝ればよいのでは?」


 立ち上がり、陛下は王様お仕事用の高級服をサクサクと脱ぎ始める。

 脱いで其れをバサリとソファーの背凭れに無造作に掛けると、今度は様々な装飾だったり、タイだったりを外しだしては、その辺りにポイポイと放った。


「あれ、お風呂は?」

「……明日の朝に」

「えー…同じ寝台で私が横で寝るのに?」

「…………睡眠を優先したい」

「仕方ないなぁ。じゃあ、お風呂に入らない人は、私に触らないで下さいね」

「………………分かった。そもそも言われずとも触らない。一刻も早く寝たいしな」


 そこまで言って、陛下はシャツのボタンを外しながら、彼自身の寝台へと向かった。







 言われた通りにお茶をのんびりと飲み干し、ポカポカと体が中から温まった私は、陛下が横になっている彼の寝台に潜りこんだ。

 勿論、トリエス製生理用ナプキンがズレないように慎重になりながらだ。

 けれども寝台の方は多少は揺れたようで、睡眠を優先すると宣言していた陛下の隠れていた紫の瞳が姿を現した。


「まだ寝られていなかったんですか?」

「……疲れ過ぎて逆に脳が覚醒しているというのかな。考えたくはないのに、色々と頭を巡るんだ」

「たとえば?」

「主に仕事の事だ。しなければならない事が山程あるからな」

「おおぅ。それって、もう職業病じゃ? あんまり考え過ぎると色々と病みますよ? 精神的にとか」

「……そうだな」

「あ、じゃあですね、私が気持ちよくグッスリ眠れるよう、妖子ちゃん秘蔵のお話第二弾を陛下に今から語りますね!」

「要らない。黙って静かにしてくれる事が一番の余の希望だ」

「ままままま、そんな事を言わずに、とりあえず聞いて? 別に陛下に反応は求めていませんから、眠くなった時点で私に断りなく寝ちゃっていいですからね?」

「…………」

「ほいじゃ、妖子ちゃん秘蔵のお話第二弾の始まり始まりー! タイトル、えっと、題名は、とある殺人鬼の襲来」

「………………」


 生理用ナプキンがズレないよう気を付けながら、私は仰向けから陛下の方へと横向きになって、彼の体を掛布の上からポンポンと赤ちゃんをあやすように叩きながら話し始めた。


「昔々……という程の昔の話ではございません。とある新大陸からとある島国に、とある物が輸入されてきました。とある生物が断末魔をあげながら切り刻まれた肉のミンチを固めたもの、血のような真っ赤な粘液と黄土色の粘液、細かく刻まれた生のままでは涙が出る刺激物、長い胴体を輪切りにした酢漬け、とある生物の仔の為の母乳を無慈悲にも強奪して固形化したもの、それらをバンズという名のパンに挟んだものを右手に持ち、」

「…………」

「悪魔の植物を裁断してプツプツポコポコと煮えたぎる油の中に投入したものを左手に。気泡を発生させる禍々しく毒々しい黒い液体を携えた者が入国してきたのです。その男の名は伏せます。口にするのも恐ろしいからです」

「………………」

「男の容姿は独特でした。血に浸したのだろうと思われる真っ赤な髪。その髪は脳の神経細胞を模したのではないかと思われる程、千々に乱れておりました。また肌は純白で、血の通う生物ではない事を証明しておりました。両眼の淵は黒く落ち窪み、流れる涙も黒色でございます。その男は普段から血の通う人間を噛みつき引き千切って貪り喰っているのでございましょう。鼻の頭も、唇も不吉な血の赤に染まっておりました」

「……………………」

「服装も奇抜で、一見、膿汁で染めたようにも見える黄色の服に、血の赤と生ける屍の白を縞模様にした袖、そして足。その姿は、それはもう悪魔のよう、殺人鬼のようでございました」


 物語を語りながらポンポンと陛下を赤ちゃんのようにあやし続ける私の手をそのままに、彼は横に寝転がる私に手を伸ばした。

 伸ばした先は私の唇。陛下の綺麗な形の指が口に触れたので、あむっと私は軽く咥えた。


「…………最初に輸入と言っていたが、実話ではないよな?」

「あれ、ちゃんと聞いていたんですか?」

「………………横で語られれば、聞きたくなくとも耳に入る」

「そうですか?」

「で?」

「え? あ、えっと、実話ですよ」

「は?」

「え?」

「そのような存在をみすみす入国させたのか?」

「はい。大歓迎だったと思います。今も大人気で子供からお年寄りまで大好きだと思いますけど」


 陛下が黄金の眉を寄せた。


「……分からない。お前の世界の感覚は」

「そうかなぁ? ちなみに私も大好きです。定期的に食べたくなるんですよねぇ」


 癖になる食べ物っていうのかなぁ、と続けると、ポンポンとあやしていた私の手を陛下は握り、長い黄金の睫毛を持つ目を閉じた。


「…………もういい。やはりお前とは分かり合えないという事を再認識しただけだった。寝る」

「はいはい、おやすみなさい」


 先程よりは眠そうな声音になった陛下の頭をナデナデといった感じで何度か撫でて、彼の寝息が聞こえてきたのを確認してから私も目を閉じた。

 トリエス王城ヴィネリンスの夜は静かで、そして穏やかだった―――。


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