覚悟が消えることはない





 元大魔法使いは、去る国を振り返った。


「いいところだ」


 リンドワールと比べると小さな国は、気候も民も穏やかで、緑豊かな土地だった。一度、この国が戦禍にまみれたとは思えない。

 いや、そもそも一度目のことであり、此度は起こっていないし起こらない予定なのだ。


「こういうところでのんびり暮らしたいな」

『暮らせばいいだろ。お前、もう役立たずだし』


 肩に乗る使い魔が、すかさずそんなことを言ってきた。「辛辣だなぁ」と元大魔法使いは苦笑する。


「僕の居場所はリンドワール──いや、彼女の側だ」


 リンドワールの女王のいる場所こそが、大魔法使いの安住の地だった。


『愛しの女王様もご無事ってわけか。魔女の企みはことごとく潰せた。おめでとう、平和な日常がこれからも過ごせるってわけだ。……嫌だなぁ、あの女王、俺の毛並みをぐちゃぐちゃにするんだ』

「では、ここに残るかい?」

『それはそれでなぁ。……どっちにしても風呂に入れられるんだ……。俺もやり直したい……』

「おや、どこから?」

『お前と出会うところから』

「きちんと出会い直したいと」

『違えよ!』


 使い魔は毛を逆立てて反論した。耳元でそんな大声は出さないでほしいな、と大魔法使いはのんびりだ。


「そういえば、使い魔の契約はどうする? 辛うじて繋がっている名残も、もう切れるだろう」

『……そうだな』

「ご苦労様。他の使い魔たちにも言ったのだが、もう自由にしていいよ」


 使い魔の契約は、使役する彼らを縛るものだ。対価は支払っているが、それがなくなり、ましてや魔法使いでない者からは使い魔は離れるのが普通だ。

 だが猫の姿をした使い魔は、


『それなら自由に、もうしばらくお前のところにいる』

「おや」

『別に、かなり先までお前と強制的にいるかもしれなかったときを思えば、この先なんて一瞬だ。だから、暇潰しでいるだけだ。使い魔じゃねえから、言うことを聞かなくていいしな。ああ自由だ』


 大魔法使いは目を丸くしていたが、笑った。くすくすと笑い、「そうかあ」と嬉しそうにした。


「随分彼らに馴染んでいたようだから、契約が切れれば、それこそ暇潰しに彼らのところにでも行くのかと思っていたのだが」


 大魔法使いが示した人物はセラとエリオスだった。

 魔女に滅ぼされそうだった、小さな国の騎士たち。


「最初は反対して、行ってくれたのも渋々だったのに、手も貸してあげてくれたんだね」

『……反対したのは、時間を巻き戻すなんていう、「時」に逆らう魔法は何があっても使うべきじゃないと思ったからだ』

「彼らは、どうだった?」


 猫は少し黙した。


『……お前、どうして、単に魔女を探して見張っておけなら未だしも、魔女に何かされた人間をそれぞれ戻して、場合によっては助けてやれなんて言ったんだ』


 その問いは、セラがした質問に重なるようで、知る事情の範囲が異なることでより深くを抉るものだった。


「僕たちが、全ての魔女を捕まえようとしても同時には出来ない。その間、自主的に足止めしてくれるだろうと思って」

『……被害者だから、そうだろうな』

「それに、どうせなら、やり直させてあげたいと思ってね。僕のように思った者が他にもいるのなら、魔法の環から外し記憶を残してやり直す機会を与える。きっと誰もが元凶の魔女にたどり着くから、出来る限りの足止めは自分たちでやってくれれば嬉しい。──後は、魔法使いのいる国としてリンドワールが引き受ける」


 時を巻き戻すという、他の魔法使いには出来ないことをしたばかりか、さらに魔法を付け加えた魔法使い。

 彼は、去ろうとする国を目を細めて見る。


「不思議なこともあるものだ」


 予想外のことがあった。

 予想外の『彼ら』に関わっていた使い魔は、『彼ら』を示したと分かったらしい。『俺も驚いたぜ』とぼやいた。


 大魔法使いと呼ばれた男であっても、万能ではなかった。

 今回、やり直しの機会を与えたのは、各魔女のいる地でそれぞれ一人、そのはずだった。まとめて、そういう風に条件付けをしたはずだった。

 しかし、この地には二人いた。


「全く同じ大きさの思いがあったということなのか……けれど、思いが全く同じ大きさなんてあり得ないと思う派なんだよ僕は」

『知らねえよ。単なる誤差なんじゃねえの?』

「これだけ大規模な魔法を使ったから? じゃあ、記憶を共有できる幸運な二人だね。……いや、幸運なのかな」


 元大魔法使いは、かつての記憶が共有できるとしても、大切な存在にその記憶を与えたいとは思わなかった。


「まあ、いいや。起こったことは起こったことだ。彼らのこの先の幸せを願おう」

『思ってねえだろ』

「心外だ」

『お前、今回のことは正解だったと思ってんのか』

「どういうことだ?」

『お前の魔法によって、記憶を持ったまま戻ってきたあいつらは、やり直しの機会を得た。そう言うと綺麗に聞こえるけどな、そんな甘っちょろいもんじゃなかったぞ』


 何を見聞きしたのか、使い魔は苦い声をした。


『あれは、普通に過ごしていればするはずのない目だった。それに、覚悟も普通のものじゃねえ』


 使い魔をちらりと見た元大魔法使いは、「それはそうだ」と言った。


「一度失ってしまったのだから、次はもう失わないという気概がある。僕もそうだ」


 今度は、使い魔がちらりと見た。


「次、失いそうになったとき、僕は他がどうなろうと彼女を優先してどんな手でも使って守るだろう。──彼らも。今ある時間がどれほど貴いものか知ってしまった」


 それが、正解か?


「各地で起きたはずの被害は食い止められた。これから災厄を起こそうとする魔女も全員捕縛した。僕からすれば、私情も含めてして良かったと思うとも。やり直した全員がそう思うだろう。他の、客観的に見た視点は知らない」


 知るはずのなかった覚悟、感覚を得たかもしれない。

 それがこの先、何かに影響してくるのか。


 リンドワールに関して言えば、リンドワールは大魔法使いを失った。かつては、国は滅びかけても大魔法使いは力はそのままに、いたのだ。

 しかし今回、大魔法使いは力を失い、代わりに女王は死なず国も滅びかけなかった。


 元大魔法使いに関しては、在り方は変わる。社会的な地位的にも、心持ち的にも。

 これまでは、女王に仕え、国に仕えた魔法使いだった。女王に言われれば、国を優先して国を救いにいった。

 けれどこれからは違う。どんな形ででも女王の側にいて、何かあれば女王を最優先にする。国? 今回は国も救う方法を前以て模索したが、二の次だ。彼女がいなければ意味がない。


 こういう風に、やり直しを行った者の中には、一度目とは在り方が変わる者がいるだろう。だが、それでもいいだろう。

 そもそも一度は失われた未来だ。これから先の選択肢に間違いも何もない。


「さあ、魔力がなくなって、永遠というほどあった僕の寿命もあと少し。僕も、今ある時間を一秒でも長く、彼女の元で過ごしたい。さっさと帰るよ」

『はいはい』


 出来るだけ後悔なきよう、全力を尽くして生きるのだ。










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セラ・ウィリスのやり直し 久浪 @007abc

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