人前では気をつけなければ




 仕事終わりに一人で帰路についていると、音もなく、猫が隣に着地した。


『よ、セラ』

「ギル──」


 セラはとっさに猫を素早く抱き上げ、周りを確認する。

 薄暗い道には人は見えず、セラはほっとして、猫を見下ろす。

 まだ家にはついていないのに、この猫と会うとは思っていなかった。


「ギル、家で留守番してるはずでしょ」

『え? お前、この三日間、俺が家にいたと思ってたのか?』

「え、違うの?」


 だって、部屋に置いてきた。


『普通に城について行ってるけど』


 家からどうやって出たの、と言おうとして、そういえば閉めてきたはずの部屋の外に出て来ていたときがあったと思い出す。


「……ちょっと待って。まさか、ギルがいるって、使用人にばれてる?」


 出て来ているとなると。


『それは知らねえな。だが、家の中を歩き回ったわけでもねえから、どうだろうな』

「ああ、そう」


 ばれていたら、誰かに問われているか。

 しかし、どうやってドアを開けているのだろう。取っ手に手が届くのか、と、猫が二本足で立ってドアノブに前足を伸ばす図を思い浮かべる。

 同時にギルを眺める。……この猫、態度の大きさのわりに体は小さいからな……。


『なあ、お前、王の子どもなのかよ』


 唐突な問いに、セラは瞬いて、猫独特の目を見つめる。


『ちらっちらそういう話聞いたから、子どもかって聞いてんだけど』

「いや……子どもだけど子どもじゃない」

『どういうことだそりゃ。俺は謎かけみたいなまだるっこしいの嫌いだぜ』

「謎かけじゃなくて、子どもっていうなら立場的におおむね合ってるんだけど、実の子どもじゃないし、正式な子どもでもない」

『んん?』

「わたし、元は裏町出身で、陛下が拾ってくれたの」


 セラは今騎士をしているが、生まれと途中までの育ちでは、決して縁がなかっただろう。

 裏町と呼ばれる、表の街に隠れた、かつては無法地帯とも呼ばれていた柄の悪い地域にいた。

 そこに、当時騎士で街の警護の役目を担い、裏町の治安に手をいれようとやって来た人が今の陛下だった。

 今は陛下だが、元々あの人は公爵だった。

 王位継承権が回ってきて、王位に就くことになり、あの家からも出ることになった。


「陛下は父親で、師匠で、主。わたしには兄弟子が二人いるけど、二人も元々貴族でも何でもなかった」

『へぇ。そんな奴らが、よくも大層な地位に就けるもんだな』

「陛下が支持されている証だろうね」


 誰もが、セラたちが貴族でも何でもなかったと知っているけれど、侮ってくる者はいない。もしかすると表向きだけかもしれないけれど、いないのだ。

 その大きな理由の一つは間違いなく、セラたちを育て、騎士にすると決めた人ゆえだ。


「この答えで充分?」

『ああ。ちょっとはお前のこと知っておくべきかと思って聞いただけだ』

「ふーん」

『それより、お前、いつまで俺のことこんな風に吊っておく気だよ』

「吊るって、言い方が悪いな」


 抱っこだ、抱っこ。

 胴が伸びた状態が不服らしい猫は、じとりとした目で見てくる。セラは、そう言われるとすぐには下ろしたくなくなる。

 それにしても、毛がふわふわだ。

 脇と言い表す他ない箇所に差し込んだ手を、もみもみと動かしてしまう。


『おい、揉むなよ』

「ギル、毛並み良いね」

『おいおい今さらかよ。せっかく毎晩お前の側で寝てやってるだろ。あ、お前のベッド中々寝心地いいよな。シーツもすべすべだし、枕ふわふわだし。俺の前の寝床には勝てねえが、及第点だ』

「それはどうも」


 と言うか、枕使ってるの?

 それは……。

 この猫、外から連れ帰ったし、今も外に出ているようだし、一度洗うべきだろうか。

 ふわふわで、汚れなどないような毛並みをしている猫を、じろじろと見る。


『何だよ、俺の容姿がいいから見たくなる気持ちも分かるけどよ、あんまり見るなよ。俺だって照れる』


 そう思って見ているのではなく、むしろ反対に疑いをもって見ているのだ。


「ギル、水に濡れても大丈夫な方?」

『水? 雨に降られるのは好きじゃねえな』

「そっか」


 じゃあ、言わずに入れるか。

 念のため、においを確認してみようと、腹にもふっと鼻を埋める。


『──俺としたことが、唐突すぎて固まっちまったぜ。何してんだよ。変態か?』

「どうして変態扱いされなきゃいけないの。……うん、においは普通か。まあ、どのみち近い内にお風呂かな」

『……風呂? ちょっと待て風呂ってなんだよ。なんでそうなる』


「セラ?」


 ギクリ、とすると共に、猫を締めてしまった。『ぐぇぇ』とか聞こえた気がするが、たぶん気のせいだし、構っていられなかった。


「え、エリオス」

「やっぱりセラか。こんなところに立ち止まってどうしたんだ……」


 どうも立ち止まっている間に、後から帰路についた彼に追い付かれたらしい。帰る先は同じなのだから、そうもなる。

 白い服と、金色の髪が、薄暗い中でもよく際立ち、見えた。歩み寄ってきたエリオスの視線が、セラの手元に下がる。

 ギルだ。


「これは──」


 喋ったところは聞かれたか?

 いや、ギリギリ大丈夫か。

 セラは反射的に、この猫の存在を隠さなければならないと思った。その結果、


「これは、その……ぬいぐるみ!」

『だれがぬ──』


 次は意図して抱き締め、胸に押し付けた。声を出すな、という意味を込めて。あと、今となっては動くな。


 エリオスは、セラと、セラが両腕で抱く猫を見て、ぱちぱち瞬いた。そして、微笑む。


「そんなに隠そうとしなくても、飼っても大丈夫だよ」


 ……ぬいぐるみには見えなかったらしい。


「そ、そう?」

「うん。ここで拾ったのか? ……綺麗な猫だな」


 力を緩められ、自由になった猫が、綺麗だと言われて得意気にした。

 この猫は本当に褒められるの好きだな。


「暗くなる前に帰ろう」

「うん」


 こうして、思わぬ形で不思議猫は公認猫となった。








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