かつて以上に温かく感じる





 現時点で最も重要な点は、今が「いつ」かということだ。

 日常がひっくり返り始めた日──アレンが死ぬまで、どれくらいの期間があるのか。

 朝、猫を残し部屋を出ると、廊下でエリオスと会った。邸には、数年前までアレンもいたし、もっと前は師もいた。しかし、今は使用人を除けばエリオスとセラのみとなっていた。


「エリオス、今何歳だったっけ?」

「え?」


 おはよう、と穏やかに微笑んでセラに挨拶した直後の唐突な質問に、エリオスはぱちぱちと大きく瞬きした。

 そんなエリオスに、セラは頷き、繰り返す。


「歳」

「何だ、セラは私の年齢も覚えてくれていないのか?」


 笑いながらも、エリオスは答えてくれた。

 その瞬間、判明した。アレンが死んだ年だった。分かってしまって、息が止まりそうになった。


「セラ?」

「……エリオスも、けっこう歳取ったね……」

「まだ一応二十代だから勘弁してくれないか」


 一応も何も二十代だ。セラが誤魔化すために歳を取ったなんて言っただけ。


 アレンが死ぬ年。

 アレンが死ぬまで、後どれくらい。

 今、季節はいつだ。昨日、庭はどんな様子だっただろう?


「セラ、顔色が悪くないか」

「──だいじょうぶ」


 大丈夫じゃない。

 今朝、アレンは生きているのだろうか。彼が死ぬ前日、どんな様子だっただろう。思い出せない。

 だって、予兆なんて──


「セラ」


 セラの髪を、そっとすくう手があった。

 エリオスが、セラの顔をよく見えるように前髪を避け、頭を撫でる。


「体調が悪いなら、無理をしてはいけないよ。昨日、居眠りなんていつもはしないのにしていたから……今日は休むか?」


 橙の瞳が優しい感情を宿して、セラを覗き込んだ。

 エリオスってこんなだったかな。こんなに、彼の手は温かかっただろうか。こんなに、彼の瞳は。

 不意に、泣きそうになった。


「……エリオスって、優しいわりに、仕事とかには厳しいのに、休んでいいとか言うの?」


 セラは、無理矢理軽く笑った。


「セラのことは甘やかしてあげたいと常々思っているよ」


 エリオスは、セラの額に手を当て「熱はないな」と、頬に手を滑らせた。

 その手に頬を委ねてしまいそうになって、心臓がきゅう、と締め付けられたように感じられた。


 ──わたしは


 一刻も早く、確かめなければならないことがある。


「……エリオス」

「ん?」

「わたし、体調は悪くない。……ただ、陛下に、提出期限が過ぎた書類、出してないこと思い出した」

「……それはまずい」


 セラが口にした内容に、エリオスが一瞬固まった。

 かなりまずい事項だからだ。


「だよね。大至急優先して仕上げてくる」

「陛下の機嫌がいいときにでも、そっと出しておいで」

「機嫌がいいときって、陛下の機嫌はいつも変わらないじゃない」

「それもそうだ」


 少しおかしそうに笑ったエリオスに、セラは「じゃあ」と言って踵を返す。


「セラ」


 手を取られた。引かれ、気がついたときにはエリオスの腕の中にいた。


「具合が悪くなったりしたら、言うんだよ」


 柔らかく抱擁され、優しい言葉をもらって抱擁は解かれる。

 セラは今度こそ彼に背を向け、足早に、部屋に戻る廊下を歩く。ぎゅっと唇を引き結ぶ。一々こんな風になってどうする。


『おい、起きたなら、俺のこと起こせよぉ』


 部屋につく前に、猫がふらふらとやって来た。どうやってドアを開けたのか。

 セラは足を止めず、猫を掴んで回収する。


『お前、俺の扱いが雑すぎるぞ』

「うるさい」


 落ち着け、落ち着け。

 どくどくと打つ心臓を宥めようと、無意識に猫を鼓動が逸る胸に押し付けるように、抱き締めた。


『う、ぐぇ』

「ごめん」

『ごめんと、思うなら、行動で示せよ……』


 腕の中から声が聞こえるとは分かるが、言葉は頭の中に入らなくなる。

 廊下を進むにつれ、鼓動が早くなっていく。

 落ち着け。大丈夫。


 アレンが死んだ年といえば、昨日のあのアルヴィアーナの様子では、アレンとアルヴィアーナはすでに婚約した後か。

 もうそこはいい。次、重要なことは、季節だ。季節は。──一体、今はいつだ。










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