認めざるを得ない
セラは、アレンが嫌いなわけではない。エリオスもアレンも好きだ。
だからこそ、アルヴィアーナに対して余計なことを言うのは避けてきた。
アルヴィアーナという女は、どこから来たかも分からない所謂余所者だった。
この国は小さい部類ではあるが、他国の商人が来るなどすることはある。だから、特別余所者に厳しいわけではない。
しかしアルヴィアーナの場合は別になってしまった。
セラが感じた生理的に駄目な印象は、その他の理由にすぎない。
アレンが行き倒れている彼女を見つけ、保護し、暮らすようになってしまったことが問題だった。
この時点で、一口に他国の者、と他国の商人などと一括りには出来なくなった。
彼女は、国の重要な役割につくアレンの側にいるには身元不詳すぎたのだ。
セラも人のことを言えない生まれではあるかもしれないが、セラは少なくともこの国の生まれだ。現在では国から身分も保証されていた。
アルヴィアーナのように、国が異なり、確たる身分証明も出来ないとなれば話は別物になる。
万が一のことがある。それはアレンとて分かっているだろうと、言ったことがあった。
けれど彼は聞き入れなかった。言っていることは理解できる。だが、彼女を必要以上に疑うべきではない、と。
*
朝、アレンに叩かれた痛みも、エリオスの温もりも本物だ。
走り出して、家に帰る途中の道を行っていたらしい。息を切らせたセラは、家に着く前に、人気のない場所に身を滑り込ませた。
乱れた息が整い、唇を噛む。
今も決して夢ではないが、『記憶』も決して夢ではない。
『記憶』には確かに感覚があり、今も手を握り締めれば、爪が肌に食い込む。
夢ではない。
どちら共が本当のはずがないのだと、一日かけて言い聞かせていたものが、いとも簡単に破られた。
アルヴィアーナに会い、強く思った。
『一日過ごしてみて、どうだったよ』
聞いたことのある声だった。
すぐ近くからの声に、とっさに下を見たのは正しかった。
猫がいた。
今日、裏庭で見た猫だ。
『残ってる記憶は夢だと思えたか? それとも今が夢だと思うことにしたか?』
猫は、やはり喋った。
しかし二度目のセラは、やはり目と耳を疑いつつも、その言葉を捉えることが出来た。
まるで、セラが考えていたことを知っているかのような内容だ。
「……お前は、何」
『俺か? そうだな……まあ、お前の事情を知っている不思議な猫だとでも思っておけばいい。周りに一度目の世界の記憶がない奴等ばかりの中、「その世界」があったことを知ってる猫だ』
「一度目って──」
『国が滅亡しそうなことでも起こったんだろ。それのことだ』
誰もが死に、セラも死んだ。あの一連の出来事は、やはり。
「あれは、本当に起きたことなの」
『そうだ。夢にしては、出来すぎてんだろ』
そうだ。その通りだった。
自分がどうかしたのではないかという状況下で、初めて『記憶』を肯定したのは、『猫』だった。
喋る猫という信じ難いものからの肯定に、これは信じても良いのか、現実だと受け止めてもいいのかどうか迷う。
『同じ事を繰り返されたくなけりゃ、足掻けよ。ぼけっとしてると、また同じ目に遭うぞ』
「同じ目……」
『俺は、具体的にお前がどういう目に遭ったかは知らねえ。だが、お前が記憶を持ったままっていうことは、お前がやり直したいと思うことがあったはずだ』
『記憶』が本当にあったことなら。
やり直したいと思うことがあったかどうかなんて、あるに決まっている。
あの全てを、次々と失った大切なものを、失いたくなかった。
『あるみたいだな。じゃあ喜べ。おめでとう。やり直す機会が得られたんだぜ』
──そうだ。セラは、今、何も失っていない。誰もが生きている。傷ついていない、欠けていない。
アルヴィアーナに奪われる前だ。
「まだ、間に合う」
セラは、ぽつんと呟いた。
どちらも夢だと思えないなら、どちらも夢ではない。
セラは、一度あれを経験し、そして
あり得ないとかどうだとか、もうどうでもいい。
重要なことは、ただ一つ。まだ全てが起こる前だということだ。
アレンが生き、アルヴィアーナがまだいる。
全てはきっと、アルヴィアーナがアレンを殺して姿を消したときから始まった。
「わたしがアルヴィアーナをどうにかすれば、全部、失わなくて、済む」
『そうだ。まあ、そう簡単なことじゃあねえと思うけどな』
アルヴィアーナを見過ごしてはならない。彼女を、アレンから引き離すなり何なりしなければならない。
セラは決意した。
一度受け止めてしまえば、驚くほど戸惑いはなくなった。
『あ、ところで。俺、これから基本的にお前の近くにいるから』
「……なんで?」
猫が、そんなことを言い始めた。
『見守り係みたいなもんだ。俺自身は大したことは出来ないが、相談くらいには乗ってやるよ。他に相談出来る人間なんて存在しねえわけだからな』
「……」
猫に相談、と思うところがあったものの、事実ではあるのだろう。
他に誰かいないのか、分からない。だけれど、相談するにも、一歩間違えば頭がどうかしていると思われるのがおちだ。
「まあ、別に猫は嫌いじゃないし……」
『お? 俺、最高に綺麗な猫だろ? 人間でこの姿に勝てる奴はいねえだろうな!』
どこをどう曲解すれば、そんな反応になるのだろう。褒められたがごとき反応である。
「まあいいや。……でも、誰かの前で話すのは止めた方がいいと思うよ」
『え? あぁ、ま、そうか』
猫は辺りを見回して、理解の言葉を発した。
喋る猫。摩訶不思議な光景だ。
しかし、時を戻ったとしか思えない体験をしたのであれば、些細なことに思えた。
この世には不思議なことがあるものだ。
城に幽霊が出ると言ったとき、師匠がそう言っていた。
この世には、不思議なことがある。信じられないことがある。
だけれど、それが目の前にあるのならば、信じざるを得ないだろう。これは、実際に起きていることだ。
「わたし、今から家に帰るけど、一緒に来る?」
『おお、一丁住まいを見てやるか。期待はしてねえけど』
……思うのが遅かったかもしれないが、この猫、上品な見た目のわりに、結構言葉使いが荒い。
『何だよ』
「いや、別に……そういえば、名前あるの?」
『ヒトに名前を聞くときは、自分から名乗るもんだって教わらなかったのか?』
猫に言われる日が来ようとは思わなかった。
セラは一瞬固まり、笑いそうになった。
「わたしはセラ・ウィリス。王の騎士よ」
『騎士ぃ? あー……言われてみりゃ、そんな格好だな』
「それで、あなたの名前は」
『お前に教える名前はない。好きに呼べ』
人に名乗らせておいて、何だそれは。
しかし猫である。
この成りでは野良猫には見えないのだけれど、不思議猫だからなぁ、と自分でもよく分からない考え方をする。
名前がなくてもおかしくは、ない?
「……じゃあ、ギルで」
『ちなみに理由は』
「裏町にいたとき、かなり偉そうな奴がいたの。そいつ」
『おい』
「そういうところ、そっくり。口調も」
セラは、たった今お手軽に名付けた猫を抱え上げた。
『何すんだ、気軽に触るなよ!』
「運んであげようと思って」
セラは、『二度目』の世界で、『一度目』にはいなかった摩訶不思議な猫と、頑張ることにした。
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