認めざるを得ない





 セラは、アレンが嫌いなわけではない。エリオスもアレンも好きだ。

 だからこそ、アルヴィアーナに対して余計なことを言うのは避けてきた。


 アルヴィアーナという女は、どこから来たかも分からない所謂余所者だった。

 この国は小さい部類ではあるが、他国の商人が来るなどすることはある。だから、特別余所者に厳しいわけではない。


 しかしアルヴィアーナの場合は別になってしまった。

 セラが感じた生理的に駄目な印象は、その他の理由にすぎない。


 アレンが行き倒れている彼女を見つけ、保護し、暮らすようになってしまったことが問題だった。

 この時点で、一口に他国の者、と他国の商人などと一括りには出来なくなった。

 彼女は、国の重要な役割につくアレンの側にいるには身元不詳すぎたのだ。

 セラも人のことを言えない生まれではあるかもしれないが、セラは少なくともこの国の生まれだ。現在では国から身分も保証されていた。


 アルヴィアーナのように、国が異なり、確たる身分証明も出来ないとなれば話は別物になる。

 万が一のことがある。それはアレンとて分かっているだろうと、言ったことがあった。

 けれど彼は聞き入れなかった。言っていることは理解できる。だが、彼女を必要以上に疑うべきではない、と。





 朝、アレンに叩かれた痛みも、エリオスの温もりも本物だ。

 走り出して、家に帰る途中の道を行っていたらしい。息を切らせたセラは、家に着く前に、人気のない場所に身を滑り込ませた。

 乱れた息が整い、唇を噛む。


 今も決して夢ではないが、『記憶』も決して夢ではない。


 『記憶』には確かに感覚があり、今も手を握り締めれば、爪が肌に食い込む。

 夢ではない。

 どちら共が本当のはずがないのだと、一日かけて言い聞かせていたものが、いとも簡単に破られた。

 アルヴィアーナに会い、強く思った。


『一日過ごしてみて、どうだったよ』


 聞いたことのある声だった。

 すぐ近くからの声に、とっさに下を見たのは正しかった。

 猫がいた。

 今日、裏庭で見た猫だ。


『残ってる記憶は夢だと思えたか? それとも今が夢だと思うことにしたか?』


 猫は、やはり喋った。

 しかし二度目のセラは、やはり目と耳を疑いつつも、その言葉を捉えることが出来た。

 まるで、セラが考えていたことを知っているかのような内容だ。


「……お前は、何」

『俺か? そうだな……まあ、お前の事情を知っている不思議な猫だとでも思っておけばいい。周りに一度目の世界の記憶がない奴等ばかりの中、「その世界」があったことを知ってる猫だ』

「一度目って──」

『国が滅亡しそうなことでも起こったんだろ。それのことだ』


 誰もが死に、セラも死んだ。あの一連の出来事は、やはり。


「あれは、本当に起きたことなの」

『そうだ。夢にしては、出来すぎてんだろ』


 そうだ。その通りだった。

 自分がどうかしたのではないかという状況下で、初めて『記憶』を肯定したのは、『猫』だった。

 喋る猫という信じ難いものからの肯定に、これは信じても良いのか、現実だと受け止めてもいいのかどうか迷う。


『同じ事を繰り返されたくなけりゃ、足掻けよ。ぼけっとしてると、また同じ目に遭うぞ』

「同じ目……」

『俺は、具体的にお前がどういう目に遭ったかは知らねえ。だが、お前が記憶を持ったままっていうことは、お前がやり直したいと思うことがあったはずだ』


 『記憶』が本当にあったことなら。

 やり直したいと思うことがあったかどうかなんて、あるに決まっている。

 あの全てを、次々と失った大切なものを、失いたくなかった。


『あるみたいだな。じゃあ喜べ。おめでとう。やり直す機会が得られたんだぜ』


 ──そうだ。セラは、今、何も失っていない。誰もが生きている。傷ついていない、欠けていない。


 アルヴィアーナに奪われる前だ。


「まだ、間に合う」


 セラは、ぽつんと呟いた。

 どちらも夢だと思えないなら、どちらも夢ではない。

 セラは、一度あれを経験し、そしてのだ。

 あり得ないとかどうだとか、もうどうでもいい。

 重要なことは、ただ一つ。まだ全てが起こる前だということだ。

 アレンが生き、アルヴィアーナがまだいる。

 全てはきっと、アルヴィアーナがアレンを殺して姿を消したときから始まった。


「わたしがアルヴィアーナをどうにかすれば、全部、失わなくて、済む」

『そうだ。まあ、そう簡単なことじゃあねえと思うけどな』


 アルヴィアーナを見過ごしてはならない。彼女を、アレンから引き離すなり何なりしなければならない。


 セラは決意した。





 一度受け止めてしまえば、驚くほど戸惑いはなくなった。


『あ、ところで。俺、これから基本的にお前の近くにいるから』

「……なんで?」


 猫が、そんなことを言い始めた。


『見守り係みたいなもんだ。俺自身は大したことは出来ないが、相談くらいには乗ってやるよ。他に相談出来る人間なんて存在しねえわけだからな』

「……」


 猫に相談、と思うところがあったものの、事実ではあるのだろう。

 他に誰かいないのか、分からない。だけれど、相談するにも、一歩間違えば頭がどうかしていると思われるのがおちだ。


「まあ、別に猫は嫌いじゃないし……」

『お? 俺、最高に綺麗な猫だろ? 人間でこの姿に勝てる奴はいねえだろうな!』


 どこをどう曲解すれば、そんな反応になるのだろう。褒められたがごとき反応である。


「まあいいや。……でも、誰かの前で話すのは止めた方がいいと思うよ」

『え? あぁ、ま、そうか』


 猫は辺りを見回して、理解の言葉を発した。


 喋る猫。摩訶不思議な光景だ。

 しかし、時を戻ったとしか思えない体験をしたのであれば、些細なことに思えた。


 この世には不思議なことがあるものだ。

 城に幽霊が出ると言ったとき、師匠がそう言っていた。

 この世には、不思議なことがある。信じられないことがある。

 だけれど、それが目の前にあるのならば、信じざるを得ないだろう。これは、実際に起きていることだ。


「わたし、今から家に帰るけど、一緒に来る?」

『おお、一丁住まいを見てやるか。期待はしてねえけど』


 ……思うのが遅かったかもしれないが、この猫、上品な見た目のわりに、結構言葉使いが荒い。


『何だよ』

「いや、別に……そういえば、名前あるの?」

『ヒトに名前を聞くときは、自分から名乗るもんだって教わらなかったのか?』


 猫に言われる日が来ようとは思わなかった。

 セラは一瞬固まり、笑いそうになった。


「わたしはセラ・ウィリス。王の騎士よ」

『騎士ぃ? あー……言われてみりゃ、そんな格好だな』

「それで、あなたの名前は」

『お前に教える名前はない。好きに呼べ』


 人に名乗らせておいて、何だそれは。

 しかし猫である。

 この成りでは野良猫には見えないのだけれど、不思議猫だからなぁ、と自分でもよく分からない考え方をする。

 名前がなくてもおかしくは、ない?


「……じゃあ、ギルで」

『ちなみに理由は』

「裏町にいたとき、かなり偉そうな奴がいたの。そいつ」

『おい』

「そういうところ、そっくり。口調も」


 セラは、たった今お手軽に名付けた猫を抱え上げた。


『何すんだ、気軽に触るなよ!』

「運んであげようと思って」


 セラは、『二度目』の世界で、『一度目』にはいなかった摩訶不思議な猫と、頑張ることにした。







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