果たして全ては夢だったのか





 青い髪、灰色の目、顔には大きな傷も汚れもない。体にも、服にも。

 会議後、セラは険しい表情で城の中を歩いていた。歩くと、銀色で縁取られた純白の騎士服の上着の裾が揺れる。


 セラは、女では珍しいが王の騎士だった。王に仕え、王のために剣を振るう。小国ゆえもあり、若くも地位を持っていた。

 この格好とあの会議の部屋にいたのなら、騎士になった後だということは間違いない。年齢的には……。


 違う。問題はそこではない。

 元々寄せていた眉を、よりきつくぎゅっと寄せる。


「……わたしの頭が狂った?」


 仕事に戻るどころではなく、一旦裏庭に出た。

 中庭などとは違い、めったに人が来ることがない小さな庭には静寂が漂う。

 セラは芝生の上に座った。

 空は、青く、静かだ。喧騒は聞こえず、煙は立ち上らない。

 鳥の鳴く声が聞こえ、穏やかに風が吹く、喉かな光景だった。


「でも、わたしは、確かに、見た」


 あちこちで煙が上がり、炎が見えた。

 死体があちこちに転がり、血の臭いと悲鳴が絶えなかった。


「陛下も、エリオスも、アレンも、皆死んだ」


 アレンが最初。

 次がエリオス。

 最後にセラが守れなかった王。

 そして、セラ自身も恥ずべき捕虜となり、処刑された。


 遺体を確かに確認して、この目で命が消える瞬間を見たときもあった。何も出来ず、目の前で彼が死んだときのことは一生忘れないだろう。

 果てしないほどの喪失感と悲しみを味わった。


「あれが、夢?」


 とてもそうだとは思えない。

 だが。

 自分もまた死んだはずのセラは、生きているのだ。


「わたしは」


 一体、どうなっている。

 記憶にある光景が夢だとは思えない。あまりに生々しく覚えているのだ。

 しかしそれが事実であれば、自分は死んだはずなのに、今、生きている。自分だけではない。全員。そんなことはあり得るはずがない。

 死んだ人間は生き返らない。二度と取り戻せない。

 だから、自分の頭の方が信じられない心地に陥る。

 どこまでが、どこからが、夢だ。どこが現実だ。今、ここは──


『お前、記憶持ちだな』


 聞いたことのない男性の声がした。

 空を見上げていたセラは、機敏に辺りを見回す。完全に一人だと思っていた。


 ……けれど、小さな庭にセラ以外の人の姿はなかった。

 けっこう近くから声が聞こえただけに、セラは怪訝に思う。


『ここだ、ここ』


 再度同じ声がした。

 セラは今度は方向を察知し、右の方を見た。……誰もいない。

 青々とした植木の葉がそよ風に揺れるばかりの光景だ。


『どこ探してんだ。下だ』


 三度、同じ声がした。

 下。

 声に従い、下を見る。そうすると、いた。

 一匹の猫が。


『ったく、手間かけさせやがって』


 灰色の、ふわふわした長めの毛をした猫が足元にちょこんと座っている。

 相当手入れされた、どこかの生粋の貴族にでも飼われていそうな種類の猫だと思った。


 そう、猫なのである。


『お前、さっきまでの話聞いてた限りで、記憶を持ってるな』


 猫が小さな口を開くと同時に、声が聞こえてくる。方向的にも猫から聞こえてくる。

 口が動くと、言葉が変わる。


「猫が、喋ってる……?」

『俺の話は無視かよ。猫が喋って何がおかしい』


 いや、おかしいだろう。

 猫と会話が成立していることがおかしい。

 猫と言えば、にゃーと鳴く。彼らが何かを言っているらしいことは明白だが、内容が分かった試しなどない。

 それは当たり前だ。人間と猫の言語は異なる……と、意識するまでもなく通じるはずがないのだ。


 だが現在、セラが溢した呆けた言葉に対する言葉が、猫から発され、会話が成立した。

 小さな猫は、ふっさふっさと毛が豊富な尻尾を苛立ったように振り、透き通った緑の目でセラを見上げている。どことなく目付きが悪い。


「……おかしい……」

『ああ?』

「……頭どころか、目と耳もおかしくなった……」

『おい、どこ行くんだ』


 目眩がしてきて、ふらりと猫から一歩離れた。

 自分はどうしてしまったというのか。まさか、これこそが夢か?

 どこからが夢だ? 今も夢で、全部夢?


『ただの人間ごときが俺のこと無視していいと思ってんのか?』

「……うわー、猫ってそんなこと思ってたんだ……いや、夢かな……」


 夢か現か。

 猫まで喋りはじめて、わけが分からなくなり、セラは庭から出て行きはじめた。


『おいこら、おい!』


 後ろからまた声が聞こえたが、振り向かなかった。


 大体、夢であれ何であれ、かなりの喧嘩腰の呼び止めに好き好んで止まりたがる者などいるだろうか。








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