セラ・ウィリスのやり直し

久浪

死に、時が戻ったその場所に





 だからあの女は好きになれなかったのだ。そう思わずにはいられない。


 兄弟子であり、実の兄のように慕っていた男の死体を前に、セラは呆然としていた。

 彼の白いシャツ、黒いズボンという軽い格好は、寝るときの服装だと知っていた。家族同然だ。一緒に暮らしていたことがある。

 しかし、今ピクリとも動かない彼は眠っているのではない。

 息をしていないのだから。


 朝、会議の時刻になっても彼は来なかった。

 昼、別件で集まることになった場にも彼は来なかった。彼の部下に聞くと、今日は誰も姿を見ていないという。

 さすがにおかしいと感じ、彼の家に赴いた──結果がこれだ。


 家の中に入ると使用人が倒れていた。

 胸騒ぎが生まれ、大きくなり、そして。

 見つけた。


「セラ、──セラ!」


 呆然と死体を見ていると、体を強く引かれ、抱き寄せられた。

 セラは、頬に触れる服を握った。


「……エリオス、……アレンが、アレンが、」


 抱き締める力が強くなった。


「一度、城に戻ろう。改めて、状況を調べに──」


 状況?

 その言葉を聞いて、セラは気がついた。

 なぜ、この兄弟子は死んだのか。自殺? そんなはずはない。そんな人柄ではなく、何より彼の手にも周りにも刃物も首を吊るロープもない。傷や痕すらないのだ。毒? ──いや、その前に、『彼女』は?


「アルヴィアーナは」


 セラは、顔を上げた。


 アルヴィアーナは、変わり果てた姿となった兄弟子の婚約者だ。

 どうしてもセラが好きになれなかった女性。

 今その名を出したのは、彼女を心配したからではなかった。嫌な予感がした。


 家の中をくまなく探した。アルヴィアーナはいなかった。死体も、姿自体がなかった。


「アルヴィアーナがいない」


 室内は兄弟子が倒れていた一室のみ窓が割れ、部屋が荒れていた。まるで室内に嵐が吹き荒れたかのような惨状だった。窓は内側から割られたようで、室内に硝子は散らばっていなかった。

 強盗?

 いや、それにしては門も、扉もきっちり閉まっていたし、家の中が荒らされた様子がないのはおかしい。

 誰かの恨みによる殺人と考えても……。


 嫌な予感は募るばかりで、街を警らしている隊を率い、街中も探させた。

 だが彼女は見つからなかった。今日彼女を見たという人もいなかった。


「なぜ、いないの」


 さらわれた?

 違う。

 違う。


 とにかく、昨夜眠りについたかも分からない兄弟子は、今朝目覚めることなく死んだ。

 誰がそうしたのか。目撃者などいなくとも、一つの考えが明確に浮かんできた。あの女がやったのだ。セラには確信があった。


「アルヴィアーナ……!」


 いけ好かないところもあるが、部下のみならず国民から慕われる兄弟子だった。

 アレンがアルヴィアーナという女を選んだことが、彼のただ一つの気の迷いだとセラは思ってきた。

 けれどアレンはその指摘だけは決して聞き入れず、ときに怒った。


 だが今、彼女の姿がないということは、そういうことではないのか!


 アルヴィアーナの捜索は困難を極めた。王都中を探して見つからなければ、範囲は一気に広大になる。

 地方各所に似顔絵を配っても……なぜか、捕まる気がしなかった。

 セラの兄弟子の一人、王の騎士たる男の葬儀は、静かに執り行われた。


 しかし、この死は始まりにすぎなかった。

 葬儀から僅か一月、突然他国からの侵攻に遭った。

 前触れのないことだった。その国との関係は、良好であったはずだったのだ。

 あっという間に、国は戦場となった。兵が死に、民も死に、多くの血が流れた。

 思い出そうとして、脳裏に甦るのは、血が染み込み、誰かが倒れた地だけだ。

 セラ自身、血を流し、血を浴びた。

 何度も、剣が握れなくなりそうになった。よろめき、膝をついた。それでも立った。

 セラには守るべきものがあった。


 民を、国を、王を。


 民が死んだ。部下が死んだ。もう一人の兄弟子が、死んだ。

 土地が踏み荒らされる。拭っても拭っても血が取れず、剣の柄から手が滑りそうになる。体中が傷を追い、悲鳴を上げていたが、止まることはあり得なかった。

 もう、セラしかいない。セラが守らなければならない。


 ──気がつけば、捕虜となっていた。

 王は死に、セラたちは負けた。敗戦国の者として、見せしめにされた。他国まで連れて行かれ、街中を歩かされた。

 ふらふらとして、現実味がなかった。負けた。負けた。負けた。守れなかった。何もかもを失った。

 セラにとって、国なんて、二の次だった。失いたくなかった大切な人たちは、全員失われた。


 これから何をされようと、最後には殺されようと、構わなかった。ぼんやりと、牢の中で過ごした。

 色が失せた世界の中、不意に、嫌に鮮やかな色が過った。

 セラは顔を上げた。


「あら、見事にぼろ雑巾のようね」

「──」


 出す声がなかった。


 一人の女が、立っていた。

 毒々しいほどに鮮やかな色のドレスを身につけ、化粧を施し、髪を艶やかに結い上げた姿は、豪奢で牢には不似合いだった。


 アルヴィアーナがいた。


 兄弟子の一人の婚約者。あの日、姿を消したきりの女。戦が始まってからは忘れ去っていた存在。


「……アルヴィアーナ」


 目を疑ったセラを、アルヴィアーナは見下ろす。


「滑稽ねぇ。やっぱり、私は人間が笑っているより、そんな顔をしている方が好みよ。──いいざまで」

「どうして、ここに、」

「アレンの死体は見つけてあげた?」


 その言葉に、頭が真っ白になった。


「彼を殺したのは、私よ。気がついていた?」

「──!」

「今回あなたの国が攻められたのも、私のせい。ねぇ、どうかしら? どんな気持ち? 国を滅ぼされるのは、どういう気持ちになるかしら?」

「……アルヴィアーナ」


 まさか、まさかまさかまさかおまえが、原因か。

 全部、全部。


 女は言うだけ言い、セラに背を向けた。ドレスの裾が優雅に揺れ、香水の香りがふわりと漂った。


「これで私がその国にいた痕跡を含めて、何もかも全て消えたわね。ああ、すっきりしたわ」


 セラは、呆然と牢の床を見るしかなかった。


 そして、とうとうセラも死ぬときがきた。

 処刑台の上、誰かが何かを言っていた。周りに集まる民衆が何かを言っていた。

 何を言っているのか、わざわざ聞こうという気さえ起こらなかった。


 前方、民衆が集まっている場所より遥かに高い場所に、観覧席のようなものが設けられていた。

 中央に、男が現れた。冠を被っていることから、王なのだろう。

 王の隣にアルヴィアーナがいた。見せつけるように王にしなだれかかり、紅で真っ赤な唇が歪み、笑う。


 あの女が侵攻の原因を作った。

 元から内通者だったのか。分からない。

 分からないが、今、敵国の王の隣にいる事実が示すところは、『そちら側』の人間だということだ。本人が決定的な言葉を言いもした。

 やはり、アレンを殺したのも彼女だった。

 彼女がセラの大切な存在を奪った。何もかもを奪った。


 だから、得たいの知れない者に入れ込みすぎるのは良くないと言ったのだ。


 ああ、もしも過去に戻ることが出来るのなら。あの女に出会った瞬間にでも戻れたなら。

 一も二もなく、


「殺してやる──」


 処刑台の上で、セラは、死んだ。




 *








 死んだはずなのに、今、同じく死んだはずの兄弟子二人と、王を前にしているのだから意味が分からない。

 セラは、陽が射し込む室内にいた。

 目を覚ましたばかりのように、頭がはっきりしない。そればかりではなく、急激な環境の変化に、強い混乱状態にもあった。


 激しい表情をし、何かを叫ぶ民衆はいない。一つ一つの意味が取れない声も。


 円卓があり、両手で足る数がいるだけで、部屋自体も静かだ。見慣れた光景だった。いつも会議に使い、大抵は紛糾することも珍しい場。


「……ゆめ……?」


 無意識に胸の辺りを擦り、呟いていると、コツコツという靴音が横の方から聞こえてきた。

 誰かが、近づいて来ている。セラは、この靴音を知っている。

 しかし、そちらを向く前に強い衝撃が頭を襲った。何かで、思いっきり叩かれた。

 衝撃で、乱れた青い髪が視界の端に入った。


「会議中に寝て、のんきに起きてんじゃねえ!」


 乱れた髪は避けないまま、セラは、ゆっくりと声の方を見た。

 黒い髪と、目付きの悪すぎる黄色の瞳。『前日』に軽口を叩いたっきりの別れになった兄弟子──アレンが、丸めた紙束を持って、立っていた。

 あの日、変わり果てた姿を見た兄弟子。彼が。


 つー……と、セラの目から、頬にかけて何かが伝った。


「──えっ、おい、泣──?」


 途端に、アレンは狼狽えた様子になった。


「アレン、いきなりそんなに強く叩くことはないだろう」

「だって、セラが居眠りしてやがったから」

「セラ、大丈夫か?」


 席を離れ、弟弟子を嗜めつつも、セラの元にもう一人近づいてきた人がいた。

 セラは、のろのろと視線を移す。

 すると、金色の髪、橙の瞳──まるで、太陽を表すような色彩が目に入った。

 もう一人の兄弟子──エリオスが顔を覗き込むように、身を屈めた。


 セラの目からは、ぼろぼろと、大粒の涙が零れ落ちる。

 エリオスは驚いた顔をして止まったが、すぐに手を伸ばして、セラの顔にかかる髪を避けた。


「あーあー、可哀想に。痛かったな、驚いたな」


 小さな子ども扱いをしないでとか、『いつも』そうされたのであれば言っただろうことは、言えなかった。


 最期の最期まで、「泣くな」と言って、戦場で死んだ彼。


「エリオス……」

「うん」


 エリオス、ともう一度、セラは呼ばずにはいられなかった。

 ──わたしの、大切な人。








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