第39話 将校はサーベルで語る
ついに勝負が始まった。パスカルが来たと聞けば敵軍が後退するとまで言われたギョームと、常に最前線にあって死線を潜り抜けて来た若きブランコ。これは帝国軍史上稀に見る大一番である。
両者の勝負は全くの互角で、ギャラリーは賭けの勝ち負けを置いても素晴らしいものを見たと思った。
「この老いぼれめ!」
ブランコは若さを利してあらん限りの力をサーベルに乗せてギョームを斬りつける。
「インチキ貴族の若造が。そんな物か!」
だが、ギョームはこれを常に最低限の動きでかわし、機あらば反撃を欠かさない。その応酬は殺し合いの真似事というより、高度な舞踏のように見えた。
「司令はん。止めんでええんですか?」
本部の司令室から見ていたロッテ先生は青ざめた。それは明らかに訓練を逸脱し、死の気配が漂っていた。
「ハイゼルベルグ。男というのはああして闘わなければ分かり合えない事もある。言葉よりも闘争が時に優越するのが男という生き物だ」
隣で見ていたブレスト司令はパイプをくゆらせながら、自らの若き日に思いを馳せた。そうして宿敵との遺恨を精算し、あるいは生涯の友を得た事がブレスト司令にも一度ならずあった。
結局のところ、外人部隊が飛龍隊に仲間入りするには多少の流血は避けられないとブレスト司令は腹を決めていた。
30分にも渡って絶え間ない斬り合いが続いた。結局それだけやり合っても互いに決定打がない。
「先生、神父様、この際引き分けにできないんですか?」
見かねたテオドラがアハメド医師とコクトー神父に調停を求める。もはや疲労困憊の2人は気力と意地だけで剣を振るっていた。
「テオドラ。俺は結果の後始末に責任は負うが、結果に介入するのは越権行為だ」
「フーク君。その昔決闘の結末は神の審判として神聖視されたのを知っているでしょう?この勝負の行方もまた神の思し召し次第ですよ」
テオドラは2人が医師と聖職者という職分を放棄して眼前の闘争に興奮しているのが分かった。だが、テオドラはそれに乗れるほど野蛮ではないし、男心に明るくない。
丁度その時、勝負が動いた。ギョームのサーベルがブランコに弾き飛ばされたのだ。サーベルは宙を舞い、逃げ惑うギャラリーの中に落ちた。
ブランコはこれを絶好機と見て、サーベルに左手を添えてブランコの顔めがけて突いて出た。どちらも顔を金網で覆うヘルメットを被っているが、全体重を乗せたブランコの一撃は金網越しにギョームの顔を砕くだろう。
夫の死の予感を見たソフィアの悲鳴の響く中、ギョームはそれを察知して自らブランコめがけて突進し、自ら額を切っ先に叩きつけた。
体重の乗り切る前に標的にぶつかられたサーベルはブランコの手を離れ、遠く離れた本部の壁に突き刺さった。
皇帝の認めた帝国一の使い手たるギョームの真骨頂と言うべき奇襲に、ブランコは一瞬たじろいだ。だが、まだ決着は付いていない。
ギョームはそれを見逃さずにブランコの胴体へ組み付き、不用意にも突き出したままのブランコの右腕を絡めとって自らの腰を支点にブランコを投げ飛ばした。
そうして2人は仰向けに折り重なるようにして地面に倒れ、ギョームはこの勢いを利用して回転してブランコに馬乗りになった。
「中佐殿、弔辞は引き受けた!」
ギョームはブランコに死を宣告する呪いの言葉を吐きながらブランコのヘルメットを剥ぎ取り、最後の気力を込めた拳を振り下ろした。
「殺せ!」
「いいぞ!」
ブランコの血が熱狂するギャラリーに、ギョームの顔に飛び散る。ギョームは怯まない。容赦もしない。瞬きさえしない。殺し合いを家業とするパスカルの男はそういう風に出来ているのだ。
2発、3発と、躊躇ない殺意の乗った拳がブランコの顔に降り注ぐ。だが、ブランコも黙って殴られているような男ではなかった。
ブランコの両手がギョームに伸びた。ブランコは左腕をギョームの首に回して引き寄せると、同時に伸ばした自らの右袖を左手で掴み、逆に右手でも左袖を掴んでギョームの首を両腕で挟み込んだ。
ブランコの思いがけない反撃でギョームの首が絞まる。だが、呼吸が止まってもギョームは殴るのを止めない。だが、ブランコも絞めるのを止めない。壮絶な根比べを目の当たりにしてテオドラはついに泣き出した。
そのまま数十秒もこの対決は続き、何発目かをブランコの顔に見舞うのと同時にギョームは崩れ落ちた。
慌ててアハメド医師が駆け寄り、2人を引き剥がした。ギョームは締め落とされて意識を失い、顔中血まみれのブランコもまた気絶している。
「引き分けだ!」
アハメド医師の判定に誰も異議を唱えられようはずがない。それはもはや銭金の問題ではない。
「神父様の出番が無ければよいのですが」
泣いているテオドラをなだめながら、ベップが目の前の惨状に顔色を悪くした。
「そうならないように祈るのも私の仕事です」
コクトー神父は十字を切り、担架に乗せられて医務室に運ばれていく2人の生還を祈った。
「アホやなあ。サーベルがのうなったのに、その上あんなえげつない」
ロッテ先生は血痕だけを残して消えていくギャラリーを眺めながらそうは言ったが、実際のところ興奮しているのが隣のブレスト司令にはありありと分かった。
「男とは馬鹿な生き物だ。特に、軍人というのは極めつけの馬鹿でなければ務まらん」
ブレスト司令はいつの間にか火の消えたパイプに火をつけ直しながら、2人の若さに少し嫉妬した。とにかく、代理戦争は引き分けという形で終わった。
モーリスとジャンヌが帰ってくると、全ては終わった後だ。ギョームとブランコが凄まじい勝負をして医務室送りになったと地上班員が感激の面持ちで教えてくれたが、2人には彼らの感激ぶりがどうにも理解できなかった。
「帝国に乾杯!」
2人が初雪亭に入ると、ギョームとブランコらしき男がカウンターで仲良くブランデーを酌み交わしている。
らしきというのは、ブランコの顔が倍の大きさに膨れて原型をとどめていないからだ。ギョームもギョームで両手に包帯を巻き、モランにグラスを持たせて酒を飲んでいる有様だ。
「とっつぁん。本気で殺す気で殴っただろ?」
「そうだ。お前を殺せば分遣隊も言うことを聞くだろうと思ってな」
「恐ろしいねえ。パスカルの男ってのは」
「ところでブランコ、あの絞め技は不思議だったな」
「あれはオーギュから教わったんですよ。極東のレスリングの技で」
「興味深いな。今度教えてくれ」
モーリスとジャンヌは顔を見合わせた。自分達の飛んでいる間に2人は殺し合って、その結果すっかり意気投合したらしかった。
「先生、何があったんです?」
ジャンヌは近くの席に居たロッテ先生に経緯を訊ねた。
「男いうもんは、死ぬまで子供の部分がなくならんいう事なんでっしゃろな」
どこか嬉しそうに答えたロッテ先生の言葉の真意がジャンヌには読み取れなかったが、モーリスには分かった。
「おい、お前らも飲め。手打ちの酒は見届け人が多い方がいい」
ギョームが2人にもブランデーを勧めた。とにかく、分遣隊はこの日を境に乱暴者なりに露骨な反抗をやめ、飛龍隊の一部となったのだ。
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