第37話 6時のあなた

 結局この訓練飛行は都合3回行われ、分遣隊の面々は1年も激戦地を転戦してきたような状態になって勤務を終えた。


「便所が酸っぱい臭いで一杯だったぞ!あいつら夕食は食えんな」


 ギョームはグラディウスの体を洗ってやりながら興奮に叫んだ。時に頼もしい助っ人であり、時に恐るべき内なる敵である外人部隊を飛龍隊は打ち破ったのだ。


「けど、おやっさん。これが何日も続くと衰弱して死にますよ」


 船乗りだけあってモーリスは分遣隊の身の安全が気にかかる。このまま食べられずに戻す一方だと、身体が弱って最後は気がおかしくなる。モーリスはそれで死んだ人間も何人か見てきた。


「しかし、慣れてもらわないと駄目だ。私とエスクレドは明日郵便飛行に出ますが、本部での飛行訓練は昨日同様に?」


「甘いぞシャルパンティエ。明日はより厳しくやる。フーク、5000メートルまで飛ぼうと思うが可能か?」


「5000メートルってどのくらいです?」


「銀嶺山脈で一番高い山がそのくらいだ」


「なら飛べますけど、息が詰まって気絶しても知りませんよ?」


「俺達は大丈夫だ。そう、俺達はな」


 ギョームの狙い通り、ブランコは夕食の席に姿を現さなかった。だが、分遣隊は初雪亭に居たのだ。


 酔いには酔いで対抗しようという事なのか、飛龍乗り達が初雪亭に入った時点で既に相当の量を飲んでいる。


 マリオンのピアノとジャンゴのギターに合わせてカルロが男とは思えないメゾソプラノの歌声で歌い、オ―ギュは扇子を手に奇妙な踊りを踊る。


 それは外人部隊らしい、色んな土地の文化の入り混じった不思議な宴席である。ジーンは飲酒を戒める月派なので案外酒が弱いと見えて、テーブルでビールジョッキを睨みながら黙っている。


「やあ、命知らず諸君」


 部下が盛り上がるのを横目に、煙草を吸いながらカウンターでモランに酌をさせて一人ちびちびと飲んでいたブランコが向き直って言った。


「認めよう。陸では俺達の勝ちだが、空ではあんたらの勝ちだ」


「だったら何だ?」


 ギョームは身構えた。歌い踊っていた面々が示し合わせたように出入り口に立ち塞がったからだ。これには地上班員も色めきだった。


「この際はっきりと決着をつけようじゃねえか」


 ブランコはくわえ煙草で立ち上がり、ギョームを睨み付けて紫煙を吹きかけた。だが、ギョームは瞬きさえしない。


「支度だ!」


 ブランコがそう言って指を鳴らすと分遣隊は出入り口から離れ、モランが事前に用意したらしき大量のブランデーグラスを受け取り、テーブルに並べ始めた。


「これは外人部隊で決闘にならない程度の喧嘩のケリをつける時にやる『6時』ってゲームだ」


 丸テーブルの外周にグラスが並べられ、続いてテーブルを二分するように一直線にグラスが並ぶ。そうして丁度時計が6時を指した形に並んだグラスに、モランが次々ブランデーを満たしていく。


「合図と同時にそれぞれが1分と31分のグラスから飲み始める。そうしてテーブルを半周して次は中心へ。先に真ん中のグラスを取って飲み干した方が勝ちだ」


「いかにもお前達の考えそうなゲームだ。サーベルで闘う勇気も高潔さもないらしい」


「外人部隊で決闘を安売りしてたら、死人ばかり増えてせっかく手に入れた植民地はアルビオン辺りに横取りされちまう」


「親衛隊はそれでも負けなかった」


「俺達が助太刀したからね」


「若造め、お前がどれ程の手柄を立てたというんだ?」


「大尉殿、これはとても男らしくて軍人に相応しい決闘です。酒は神が作りたもうた物。そして神は正しい者に味方するのが常。サーベルで戦うよりも美しいではないですか」


 モランはどう転んでも儲かるので、3本目のボトルの栓を抜きながらもっともらしい理屈を述べてギョームを焚き付ける。


「姐さん。全部でいくらだ?」


「上等のブランデーを用意しましたので、9ソリドゥスです」


「よし。釣りはとっといてくれ」


 ブランコはモランが中央のグラスをブランデーで満たしたのを見計らい、ポケットから取り出した5ソリドゥス銀貨を居合わせたギャラリーに掲げ、中央のグラスに落とした。


「さあ、そっちも銀貨を入れな」


「いいだろう。受けて立つ」


「大尉。ここは私が」


 挑戦に応じようとしたギョームを遮って前に出たのはジャンヌであった。


「酒保商人呼ばわりされたのに黙って引き下がったとあっては、家名に傷が付きます」


「おや、それは聞き捨てなりませんね」


「そういう意味じゃない」


 正真正銘の酒保商人であるモランの抗議を制しながら、ジャンヌはやはり銀貨をギャラリーに掲げてからグラスに入れた。


「お姫様。もう後戻りはできないぜ?」


 ブランコは煙草を手に取ってジャンヌの顔に突き付け、好色そうな嫌な笑みを浮かべた。


「人は後ずさりするが、飛龍は後ろ向きには飛ばない」


 ジャンヌは一歩も引きさがらず、今にも嚙みつきそうな勢いでブランコを睨みつけて応じる。既に地上班員はどちらが勝つか賭けを始めている。


「粋がったって女は女だ。だが、外人部隊は女子供も容赦なく殺す」


 ブランコはオーギュが差し出した灰皿に煙草を捨て、開始地点に移った。


「よし、この勝負は私が立会人を務めよう。このくらいなら死ぬことはないのを請合う」


 祭り好き故に立会人を買って出たアハメド医師が睨み合う両者を分け、コクトー神父が祈りの言葉を捧げる。


「侯爵。50ソリドゥスも賭けてるんだから頼みますぜ」


「マリオン。任せとけって」


 胴元役のマリオンが賭け金を方々から受け取りながらブランコを励まし、オーギュが紙切れに賭けた人間の名前と金額を書き留めていく。どちらも異様に手馴れていた。


 とてもそうは見えないが、マリオンの言葉を信じるならブランコは侯爵の爵位を持っているらしい。


「あの下品な男が侯爵だと?シャルパンティエ、確かか?」


「名前が内海の東岸風なので亡命貴族でしょう。もっとも、亡命貴族の爵位など怪しい物です」


「これは親衛隊と外人部隊の代理戦争だ。死んでも恩給が出るように計らってやるから命を惜しむな。おい、俺はシャルパンティエに150ソリドゥス!」


 ギョームはジャンヌに親衛隊の名誉の死守を命じ、妻のソフィアが驚くのも厭わず下士官時代の月給に匹敵する大金をジャンヌに賭けた。


「軍法は詳しくおへんけど、法務死になりますやろか?」


「明らかに不可能ですが、大尉と陛下は旧知の仲ですので超法規的措置は期待できるかと…」


 ロッテ先生も分遣隊には遺恨があるので、こっそり20ソリドゥス金貨をベップに預けてジャンヌに賭けた。マリオンの帽子はそうして集まった金銀貨でずっしりと重くなって垂れ下がっている。


 ジャンヌが酒に強いのも、分遣隊が飛龍酔いで万全のコンディションでないのも知れているので、賭け率はほぼ拮抗しているようだった。


「オッズは外人部隊が1.85倍、親衛隊が2.15倍」


 開始3分前に賭けが締め切られ、オーギュは懐中から取り出した木枠に珠の沢山通った串が連なった装置を賭け金の一覧を睨みながらしばらくいじっていたが、唐突に手を止めてオッズを読み上げた。


「あれは子供に計算を教えるおもちゃじゃないですか?」


 モーリスはオーギュの持った装置の大きな物を小学校で見た覚えがあり、このオッズに不安を覚えた。


「あれは計算器です。大陸世界ではかなり昔に姿を消しましたが、極東で独自に発展して、極めて高速かつ正確な四則演算が出来ると聞いています」


 地上班員もオーギュの計算を胡散臭く思ったようだが、ベップは賭け金の表を手に取り、その計算が間違いでないことを確認してついに勝負の準備が万端に整った。


「10秒前だ」


 アハメド医師が時計を手に告げると、ジャンヌとブランコはテーブルを挟んで向き合った。背後は黒山の人だかりである。


「3、2、1、スタート!」


 アハメド医師の号令と共にコクトー神父が騒々しい音楽をピアノで奏で、2人は同時に最初のグラスを手にして一気に中身を飲み干した。

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