第27話 飛龍隊に乾杯

「よう、トンネル掘りの倅」


 ヴァション少尉はドミに肩を掴まれ、しまったと言わんばかりの表情を浮かべた。テオドラは何が起こったのか分からずおろおろしている。


「泥臭い兵卒上がりの工兵将校にしては良い娘を連れてるじゃないか?」


「ドミ大尉、彼女は…」


 ドミはバション少尉がテオドラの身分を説明するよりも先に2人を引き剥がすと、乱暴にテオドラの手を取って踊り始めた。


「田舎娘もたまには悪くない。肉ばかり食っていると魚をたまには食いたくなる。男にとっての女も同じだ」


 ドミは下品な口説き文句を並べながらしばし踊った。テオドラはと言うと、ドミの獣のような乱暴さに恐れをなして言葉が出ない。


「見事な赤毛だな。俺は赤毛が好きだ」


 ドミは皮手袋のように大きな手でテオドラの頭を撫でる。だがその時、事件が起きた。


「ん?何を隠している?」


 ドミはテオドラのヘアバンドの下に何か固い物が隠れているのに気付いた。そしてその正体に興味を惹かれ、無礼にもヘアバンドを剥ぎ取った。


 ダンスフロアがどよめいた。そこにはテオドラの2本の角が隠れていたからだ。客は一応龍人の存在を知っているが、それでも本物にお目にかかるのはモーリス以外今日が初めてである。


「こりゃあ驚いた。この店はペットはお断りじゃなかったのか?」


 ドミはさっきまで色目を使っていたテオドラに、一転して汚い物を見るような視線を送った。


「こういうゲテモノは悪食と無学で名高い水兵少尉殿に進呈しよう」


 ドミは汚い言葉でテオドラを罵りながらモーリスを目ざとく見つけ、あろうことかテオドラを突き飛ばした。テオドラは平静を装って踊っていたアリスの背中にぶつかった。


「どうした?上官に物を貰ったら敬礼せんか。それとも、無駄飯食らいの海軍じゃ敬礼の仕方も教えんのか?」


 ドミは返事も待たずにテオドラから剥ぎ取ったヘアバンドを投げ捨て、笑いながら店の奥に消えていった。モーリスは思わず殴りかかろうとしたが、それを察知したアリスがモーリスの腕を掴んで止めた。


「駄目よ。あんな獣でも貴族で上官だわ」


 モーリスもアリスももはやダンスをする気は起きず、テオドラを伴って席に戻った。


「あれが親衛隊将校でしかも参謀だってんだから、世の中間違ってら」


「よせよ。聞こえると何をされるか分からないぞ」


 バション少尉は先任者としてモーリスの軽率な行動をたしなめる。ドミは過去に筋の通らない決闘をふっかけた挙げ句、3人もの男を決闘の出来ない身体にしていた。


「テオ。災難だったな」


 モーリスがそう言ったところでテオドラの心の傷は消えない。公衆の面前で恥をかかされて今にも泣きそうだ。


「飲み直そうぜ。冷えた白ワインを2本注文しておいてくれ。俺はトイレに行ってくる」


 モーリスはそう言い残してトイレに立った。だが、モーリスは別にトイレに行きたいわけではない。行くべき理由があったのだ。


 トイレは店の奥にある。入ると上手い具合に先客は洗面所で手を洗っているドミだけだ。モーリスはドミがトイレに入ったのを見ていたのだ。


「何だ?野蛮人の田舎漁師か」


 ドミは品性下劣だが、相手を罵る言葉のバリエーションだけは豊富である。


「俺は軍人だから、上官に何を言われても我慢しますよ」


「それは良い心がけだ。漁師よりガレー船漕ぎの奴隷向きだな」


「だけど、テオにやった事は男として許せねえ」


 モーリスの言葉を聞くなりドミは向き直り、おもむろに濡れた左手でモーリスの胸ぐらを掴んだ。


「ならどうなんだ?」


 ドミは凄み、事もあろうに腰のサーベルに手をかけた。聞きしに勝る凶暴さだ。


「決まってるだろ」


 だがその次の瞬間、ドミの右脇にモーリスの左の拳がめり込んだ。モーリスは親衛隊将校であると以前に海の男であり、喧嘩慣れしている。


 まさか少尉に殴られるとは思わなかったドミの膝が崩れ、20センチ以上も背の低いモーリスと視線が同じ高さになった。


 モーリスはこれを逃がさず右手でドミの長い髪を掴みながらのけぞって胸ぐらの左手を切り、その勢いでドミの鼻に強烈な頭突きを見舞った。


 ドミはモーリスの一撃で鼻血を吹きながら大の字に倒れ伏し、気絶してそれきり動かなくなった。


「なんだ。見掛け倒しだな」


 モーリスはそう言い残してトイレを出た。席に戻ると丁度注文したワインが来たところである。


「帰りの馬車に遅れると不味いんで今日はこれで失礼します」


 モーリスはボーイに代金を払うと、ワインボトルを手にテオドラを連れて足早に出て行ってしまった。


「素敵」


 何が起こったのかいち早く察したアリスは、モーリスの気骨に思わず胸をときめかせた。


「よせよ。格好良いけど長生きしないぞ」


 兄の中尉はこれに釘を刺した。だが、彼もそうは言いつつモーリスにまた会ったら酒を奢るつもりでいた。


「テオ、走るぞ」


 店を出るなり、モーリスはテオドラと一緒に走り出した。


「何をしたんです?」


 テオドラは走りながらモーリスに訊ねた。テオドラも山育ちであり、足元はブーツなのでモーリスに負けず劣らず足が速い。


「想像付くだろ」


「ありがとうございます」


「気にするな!」


 二人はそうして陸軍省近くの公園まで逃げると、噴水の縁に腰掛けた。


「飲み直そうぜ」


 モーリスは両手に持っていたワインボトルを2人の間に置いた。


「将校らしくないがこいつは盗んで来た」


 続いてモーリスはコルク抜きをポケットから取り出し、ワインの栓を抜いてテオドラに手渡した。


「モーリスさん、本当にありがとうございます。私の為に」


「いいさ。俺じゃなくても同じ事をしたよ」


「あ、手に血が付いてます」


 テオドラはバッグからハンカチを出し、ドミに一撃を見舞った左拳の傷に結んだ。


「畜生、今更痛くなってきた」


 モーリスはテオドラの手当てしてくれた左手を見て顔を歪めた。拳を傷めないように肋骨は避けたはずだが、それでも傷は浅くないようだった。


「そういう時は酒ですよね」


「そうだな。飛龍隊に乾杯!」


「乾杯!」


 二人はワインボトルを掲げ、ボトルに口を付けて一気に呷った。走った後の身に冷えた白ワインは一層美味く感じられた。


「けど、後の事は大丈夫なんですか?」


「大丈夫じゃない時は逃げてまた船に乗る」


「スパルタカスが寂しがりますよ」


「連れて行ったら駄目かな?」


「それは無理ですよ」


 2人は大いに笑った。道行く人は驚いていたが、もはやそれはどうでもいい事だった。


「そろそろ馬車が出る。戻ろう」


 モーリスは時計を見ると、ポケットから葉巻を取り出してくわえながら立ち上がった。


「あ、それは私が」


 テオドラはモーリスの葉巻に口を寄せて小さな炎を吐いた。一瞬辺りが明るくなり、モーリスの葉巻に火がついた。


「龍人って便利だな」


 モーリスはテオドラが炎を吐くのを初めて見た。そうして連れだってワインを飲みながら公園を通り抜け、2人の帰りを待っていた馬車に乗り込んだ。


「おい、エスクレド。昨日は随分羽目を外したらしいな」


 翌日の午前の射撃訓練が終わって昼食を取りに戻る道すがら、ギョームはモーリスに言った。覚悟はしていた事だが、それでもモーリスは肝を冷やした。


「軍法会議ですか?」


「いや、心配するな。軍人はそのくらいでないといかん」


 流石に近衛親衛隊の横の繋がりは強く、ギョーム達がパーティーの席上に居る間に話は会場に届いたという。


「あの男は悪名高い親衛隊の面汚しだ。でかしたぞ」


「けど、話が上に行ったら…」


「司令も褒めていたぞ。お前はフークを守るという任務を完遂したからな」


 ブレスト司令としてもテオドラに言ってはならない事を言ったドミを許す気はなく、モーリスを官憲に差し出す気はないのだ。モーリスは胸をなでおろした。


「しかし、情けないのはドミだ。本物の軍人なら今朝にもお前に決闘状を届けるのが筋なのに、病気と称して親父の領地へ逃げ込んだそうだ」


「決闘って、おやっさん…」


「安心しろ。決闘してもお前が勝つ。負けるくらいならお前はここにはおらんだろう?」


 モーリスは決闘に引っ張り出される自分を想像して困惑したが、思い直した。あれだけ手酷く痛めつけられても決闘を挑む男気がドミにあるなら、そもそもテオドラにあんな事はしないだろう。


「アハメド先生じゃなかったのがあいつの幸運だ。先生なら領地に逃げる事も出来ん身体にしただろうからな」


 通りがかったアハメド医師が意味ありげに笑った。言われてみればアハメド医師は大柄でがっちりしていて喧嘩が強そうだ。きっと、異民族故に人に言えないような苦労もしたのだろう。


「だが忠告しよう。アリスはよしておけ。気が強いから尻に敷かれるぞ」


 ギョームは笑いながらモーリスの肩を叩くと、アハメド医師と一緒に先に行ってしまった。


 結局、この件はブレスト司令の工作とドミの日頃の行いもあってお咎めなしで終わった。


 それ以来モーリスはドミを叩きのめした男として一躍将校団の名士となり、しばらくはどこの酒場へ行っても軍人に奢ってもらえる人気ぶりで、テオドラと一緒に大いにタダ酒を楽しんだ。

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