第5章 青ジャケットに赤ズボン

第26話 帝都の休日

 飛龍乗り達は書類の上では日曜日が休日となっている。ブレスト司令、テオドラ、アハメド医師、ロッテ先生も同様であり、コクトー神父は月曜日がそうだ。地上班員は曜日によらず、5日働いて1日休む輪番である。


 だが、実際のところ飛龍隊の創設以来飛龍乗り達に休日という物はなかった。毎週どこかのパレードや、さもなければ他の任務に駆り出されてずっと休日返上である。


 晩秋になってパレードには肌寒くなってくると、ようやく飛龍乗り達に休日が来た。飛龍乗り達は朝の礼拝が終わると、めいめい支度をして地上班が仕立てた馬車の2階に乗り込んだ。久しぶりの命の洗濯である。

 

「テオドラ、素敵なドレスだな」


「暇を見て作ったんです」


 最後に乗り込んだテオドラは普段着である龍人特有の修道服を脱ぎ捨て、若草色の田舎風のドレスに身を包んで揃いのヘアバンドで角を隠している。そのドレスをジャンヌに褒められて満面の笑みを浮かべた。


「上手ねえ。この子には教えても作れそうもないわ」


 ギョームの隣に座っていたソフィアが、裁縫の不得手な娘のミシェルの頭を撫でながらテオドラの仕事に賛辞を贈る。


 パスカル一家は近衛騎兵連隊最先任下士官の座を託したギョームの甥がパーティーを開いてくれるので、揃って出かけていくのだという。


「諸君らを陛下から預かる身として一応聞くが、皆どこへ出かける気かね?」


 パイプの煙がいつもより多く見えるブレスト司令は、アハメド医師と共にギョーム達の招待を受けている。彼らにとっては近衛騎兵第1連隊はやはり心の故郷なのだ。


「私は会計士の所へ行って、後は観劇でもしようかと」


 ジャンヌは家の再興を狙い、士官学校時代から給料の多くを各種の投機に運用して少しずつ領地を買い戻している。帝国の劇場は将校なら木戸御免であり、その願いを邪魔しない安上りな娯楽であった。


「私は帝立図書館へ行って、あとは必要な器具を買い揃えます」


 ベップに限って言えば、本部に残っても帝都に居てもあまりやる事は変わらない。違いは道具や資料の多寡だけである。


「俺はサーベルを修理に出して、その後は特に決めていません」


 モーリスは幾らかの名所を巡って、後は酒を飲んで過ごす事になるだろう。


「それで、フークは?」


 テオドラは言葉に困った。帝都に行くという事それ自体が目的になっていて、行った後の事を考えていなかったのだ。


「そういう事ならエスクレド。予定のない者同士ということでフークに付いていろ」


 思いがけない命令にテオドラとモーリスは顔を見合わせた。


「フーク、ちゃんと手帳は持っているな?」


「はい。言われた通り持ってます」


 テオドラは携えた麦藁のバッグから軍属の身分を証明する手帳を取り出した。


「ならエスクレドの通れる所はどこでも通れる。まさか、エスクレドは女人禁制の社交クラブには行くまい」


「北東部には行くな。あの辺りは治安が悪い」


 ギョームはブレスト司令の狙いを察し、田舎育ちの2人に忠告を授けた。


「エスクレド。親衛隊将校の務めとして同伴の女性は死守するように」


 ブレスト司令にこう言われてしまうと、モーリスも男として、義侠心に富むエウスカル人として嫌とは言えない。


 馬車が陸軍省に到着するまでに乗った人間の大半は目的地近くで降りてしまい、モーリスとテオドラだけが陸軍省の厩舎に残された。


「どこへ行きましょう?」


 テオドラはモーリスの方が多少は帝都に詳しいと思っているようだった。だが、モーリスの帝都の知識も官公庁の所在を除けば大差ない。


「まずはこいつの修理を頼みに行こう」


 モーリスは腰のサーベルを鳴らすと、ギョームから教わった陸軍将校御用の軍装屋に向かった。


 連隊によって細かい違いはあるが、濃紺のジャケットに赤いズボンの帝国軍人はどこを歩いても目立つ。


 特に近衛親衛隊の制服は他の連隊のそれよりも派手であり、平日はいつも帝都上空を飛んでいるので、見る人が見ればモーリスが飛龍乗りと分かる。


 そこへ極めつけに目立つ腰まである赤毛をなびかせたテオドラが付いて歩けば、道行く人は皆振り向く。モーリスはまだ水兵時代の感覚が抜けていないだけに、余計に偉くなった気がした。


「これこれは。余程の激戦を潜り抜けたようで」


 モーリスのでこぼこになったサーベルを見て、装具屋の店主は思わず感嘆の声を上げた。だがそうなった経緯は詮索しない。それが御用商人のマナーである。


「どのくらいで戻って来ますかね?」


「再来週には。しかし、流石に名高いエスクレド少尉。サーベルの扱いはお手の物のようですな」


 店主はお世辞とスペアのサーベルをモーリスに渡しながら、いわく有りげに隣のテオドラを見た。


 何しろ軍服の男しか出入りしない店でなのでテオドラは明らかに浮いている。出入りする他の将校の視線も皆テオドラに向いていた。


 これはどこへ行っても同じであった。公園で噴水を見物していても、買い物で店に入っても、2人はやけに注目を浴びた。


 2人がの意味に気付いたのは、カフェテラスで昼食後のコーヒーを飲んでいた時であった。通りがかった新聞売りが2人を見かけて声をかけたのだ。


「少尉殿。こいつは俺のおごりです」


 にやけ面の新聞売りは、そう言って赤茶色の新聞をテーブルに残していった。


 その新聞は部数の為なら飛龍隊の敵にも味方にもなる、主体性のないゴシップ紙『疑え!』である。


「あれ?飛龍隊の記事がありますよ」


 平素新聞など読まないモーリスはテオドラが熱心に新聞を読むのを眺めていたが、そうするうちにテオドラはある囲み記事を発見した。


「記事?」


「エスクレド少尉のサーベルですって」


 モーリスは頭をひねった。ナゼールの反乱は機密であり、陸軍省への出入りも出来ないゴシップ紙が記事にするはずがないからだ。


 ところが、記事を読んでいたテオドラの顔はみるみる赤くなり、ついにはモーリスに黙って新聞を突き出した。


 モーリスはその記事を読んで仰天した。記事中のモーリスは行った事もないアルミニアでさる侯爵の未亡人を誘惑した挙げ句、寝室に忍び込んでものにしているのだ。それもまるで見てきたように克明に書かれている。


「ふざけやがって」


 モーリスが怒ってみたところで後の祭りである。どうやら『疑え!』は普段からモーリスのこの手の記事を勝手に書いているようで、少なくない人がモーリスの夜の武勇伝をある程度信じているらしい。


 とすれば、モーリスと行動を共にするテオドラが何者と思われているかも明白である。テオドラは私服で角を隠している限りは単なる田舎風の娘に過ぎないのだ。


「どうします?」


 テオドラは急に周りの視線が気になり始めた。だが、それはモーリスも同じである。


「それなら、目立たない所へ行こう」


「どこへ行っても私達は目立ちますよ」


「女連れの将校が一杯居る所へ行けばいい」


 モーリスはそういう場所に心当たりがあった。というよりもそこは当初の目的地である。帝都の少し外れ、近衛師団の駐屯地に程近い所にそのダンスホールはあった。


「どうだ?ここなら目立たない」


「そうですね。皆同じ」


 その店には近衛親衛隊の制服を着た将校がうじゃうじゃと居て、その多くが女性連れであり、楽団が流行りの音楽を騒々しく奏でている。誰も2人に目を留めない。


 ここなら安心と思った2人はもとより酒好きなので、急ピッチで飲んでたちまち陽気になった。


「ようし。踊りましょう」


 先にそう切り出したのはテオドラであった。


「あんなの踊れるか?」


 モーリスはこの誘いに二の足を踏んだ。漁師が踊らないわけではないが、他の客の踊っているそれは自分の知っているそれとは全く別物に見えた。


「山風と海風を足せば都会風になりますよ」


 テオドラは分かったような分からないような理論を展開し、モーリスの手を取ってダンスフロアに引っ張って行った。


 果たして海の物とも山の物ともつかない2人のダンスは奇妙な調和を見た。ただならぬ踊り手が来たのかと思ったのか、それとも気味悪がったのか、テーブルに戻った時には2人は注目の的である。


「やあ、エスクレド少尉。不思議なダンスだったな」


 近衛工兵中隊の制服を着た、モーリスより少し年長らしき大柄な少尉が通りがかって2人に挨拶をした。


「ああ、これはどうも。そちらは?」


「近衛工兵中隊のレネ・バション少尉だ。飛んでる姿だけはかねがね。そっちの娘さんは?」


「飛龍隊の顧問のテオドラ・フークです」


「へえ、じゃあ噂の龍人の娘ってのは君か。角を隠すと普通の娘さんだね。素朴な美を別にすればだけど」


「そんな。美だなんて…」


 モーリスより洒脱なバション少尉はテーブルの空いた椅子に腰かけると、2人にビールを御馳走してくれた。


「エスクレド。君は闇夜に星を頼りに飛んで走る汽車に追い付いたって話だが、航海術の応用か?」


「ええ。星で大雑把に針路を決めて、町の灯と地図を見て微調整して」


「大した物だな。しかし、俺も兵卒上がりだから手探りで将校をやる大変さは分かるよ」


 バション少尉は2人に興味深そうに質問を次々投げつける。血気盛んな若手将校にとって、飛龍に乗って飛ぶというのは魅力的な冒険であった。


「皇帝陛下と銀嶺山脈の花に乾杯!」


 誰かが乾杯の音頭を取った。いつの間にか若手将校の人だかりが出来、一行は大きなテーブルに移ってますます盛んに飲んでご機嫌である。


 モーリスはその特殊な軍歴に欠けた同年代の将校仲間という存在に出会い、テオドラは将校達に女扱いされて悪い気はしない。それはどちらも飛龍隊にはない物であった。


「テオドラ。俺と踊ってくれるかな?俺のダンスは帝都風だけど」


「勿論」


 テオドラはバション少尉に誘われて再びダンスフロアに出た。バション少尉はダンスが上手く、モーリスと踊った時よりも幾分かそれらしく見える。


「この小さな身体であんなに大きな飛龍に乗るなんて、信じられないな」


「飛龍って利口なんです。飛ばないなら馬より簡単ですよ」


「参ったな。俺は馬は引く専門で乗るのはどうも」


「おい、バション。変な事をするとパスカル大尉に斬られるぞ!」


 同席した近衛騎兵連隊の中尉が2人を冷やかす。


「エスクレド少尉、私達も行きましょう」


 その中尉の妹だというアリスという背の高い娘が今度はモーリスを引っ張り出した。


「新聞で読んでどんな女たらしかと思ってたけど、本物は誠実ね」


「あんな新聞でたらめさ」


「けど、海の男は港ごとに女が居るんでしょう?」


「女の方も同じでね。それで喧嘩になるんだ」


「まあ、怖い」


 こちらのダンスは上手い事嚙み合わずに不格好である。だが、もはやそんな事を気にするモーリスではない。実に楽しい帝都の夜であった。


 だが、将校というのは気持ちの良い男ばかりではない。そこへ現れたのは極めつけの不良将校であった。


「何だ?腰抜けのひよっこが集まって。ここは小学校か?」


 モーリス達の席に集まった将校達に悪態をついてダンスフロアに割り込んで行ったのは、190センチを超える長身にブロンドの長髪を蓄え、参謀である事を示す袖章を軍服に刺繍した大尉である。


「嫌なのが来たわ。目を合わせちゃ駄目」


 アリスがモーリスが男と目を合わせないように気を付けながら秘かに耳打ちした。


「嫌なの?」


「あれはジョルジュ・ドミ大尉って近衛砲兵連隊の参謀よ。ドミ侯爵の不義の子で、人の女の横取りと喧嘩が何より好きな最低な奴」


 ドミはアリスの言う通り横取りしがいのある相手をしばらく物色していたが、やがてバション少尉とテオドラに目を付けて乱暴にダンスフロアを突っ切って行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る