第4章 飛龍の黙示録

第22話 ナゼールと十一人の反乱軍

 帝国の東部国境に程近いのその女子修道院は、銀嶺山脈の切り立った崖の中腹にへばりつくように建っている。


 その夜、古代は砦であったというその修道院へと続く急で壊れかけた石段を登り、門を叩く者があった。


 この修道院に暮らす数十人の修道女のうち、年若で耳の良いのイザベルという修道女がこれに気付き、大きな門をどうにか開けた。


 イザベルは気絶しそうになった。そこに立っているのは、拳銃を手に持った男であった。服は破れ、顔は血まみれで息も絶え絶えだ。


「神の御慈悲を。山賊から逃げて来たんだ」


 イザベルは修道院に男を入れるのを躊躇したが、神の教えに従ってこの哀れな逃亡者を招き入れ、重い扉を閉めた。


 知らせを受けて起き出してきたリジェ修道院長は逃走者を台所に通し、夕食の残りと顔を拭く布を与えた。


「山賊から逃げて来られたとか?」


 顔の血を拭って食事を手早く食べ終わった逃走者に、リジェ院長は事の経緯を訊ねた。


「この際告白します。俺も山賊の一味だったんです。だけど、連中のやることがあまりに罪深いので、付いていけないと思いました。それで逃げ出したら一度は捕まってこの有様です」


「まあ、それは気の毒に」


「ほとぼりが冷めるまで匿ってください。連中が諦めた頃に警察に自首します。どうぞお願いします」


 逃走者は十字を切り、リジェ院長に頭を下げた。


「そういう事ならお引き受けいたしましょう。ただし、その物騒な物はお預かりします」


 リジェ院長が逃走者がテーブルに置いて後生大事に握りしめていた拳銃を取ろうとした時、事件が起きた。逃走者は拳銃の銃口を傍らに居たイザベルに向けたのだ。


「神なんて居ねえよ。今日から俺ここは俺たちの砦だ」


 その頃、この修道院から程近い所で演習をしていた砲兵第3連隊は、小隊長の死体と置手紙を残して山砲と1個分隊11人が消えたというので大騒ぎになっていた。


 手紙には分隊長であるロガシアン・ナゼール軍曹の名義で、下士官兵の待遇への不満と徴兵制度への否定、そして反乱の声明が書かれていた。ナゼールは分隊と山砲を率いて帝国に反乱を起こしたのだ。


 事を知って真っ青になった中隊長は大慌てで連隊長に事態を報告し、小隊長と分隊は別途訓練に出たという名目でひとまず事態をもみ消し、捜索の準備を始めた。


 その頃、逃走者に化けて修道院を乗っ取ったナゼールは修道女を全員叩き起こして地下室に押し込み、門を開いて麓の岩陰に隠れていた部下に合図をして、分解された山砲を修道院に運び込ませていた。


 夜明け前には山砲の全部品と20発の砲弾は修道院に運び込まれ、修道院の屋上で組み立てられた。3キロ程先にある村に照準が合わせられ、その上で砲はシーツを被せて擬装された。


「分隊長、やりましたね」


 ナゼールの右腕であるジャン・ブルガン上等兵は、礼拝堂で手紙を書きながらワインを飲んでいたナゼールの煙草に火をつけた。修道女を欺くためにナゼールを殴ったのはこの男である。


「分隊長なんてよせ。俺達にはもう階級も役職もない。俺はもうただのナゼールだ」


「じゃあナゼール、国は俺たちの要求を飲むかな?」


「飲むとも。飲まないと国がひっくり返る」


「ナゼール、尼さんは結構粒が揃ってるぜ。頂いちまいましょうよ」


 女好きのピエール・ソルニエ一等兵がやって来て、目をギラギラとさせながら修道女が押し込められている地下室の方に視線をやった。


「ソルニエ、大事な人質だぞ。上手く行けば月派の王様みたいに女を侍らせて暮らせるんだからお預けだ。それと、鳩を持ってこい」


 ナゼールは書き終わった手紙を通信筒に入れると、盗んで来た連隊の駐屯地向けの伝書鳩に結びつけ、夜明け前の空に放った。


 連隊は演習の一部という名目で捜索隊を出すつもりであったが、それに先んじて連隊にナゼールから伝書鳩で手紙が届いた。


 問題はナゼールの要求で、3日以内に金貨で150万ソリドゥスと新大陸への逃走を保証しなければ村を砲撃し、修道女を辱めて殺した上で反乱の事実を世間に公表するというものである。


 連隊だけでは手に負えない問題であり、連隊から師団へ、師団から陸軍省へ、そして正午までには皇帝の耳に報告が入った。


 陸軍高官を集めて御前会議が開かれた。少人数なので大部隊を展開して鎮圧しようという強硬意見も出たが、これは即座に否決された。


 仮にそうして鎮圧に成功したとしても、反乱の事実が世間に知れて国家の威信を大きく損ね、模倣犯が出るのは必定である。


 しかし、要求を飲んだところで新大陸へ逃げたナゼール達が秘密を守るとも思えない。一旦は要求を飲んで船上で暗殺という手段も検討されたが、陸軍としてはこの件を他所へ漏らす事自体が問題である。


 何しろ金貨で150万ソリドゥスというのは実に重量400キロ以上の巨額で、皇帝と陸軍だけで秘かに用意するのはとても不可能であり、何より海外逃亡を許すとなるとどうしても他省庁に話が漏れる。


 そこで、皇帝の発案で飛龍隊による奇襲が提案された。事が事なのでブレスト司令が直接宮殿まで呼び出され、皇帝から直々に極秘任務として伝達された。


「マルセル、この問題を解決できるとすれば君しかいない。頼む」


「陛下、嫌とは言いませんが、これは相当な難問ですぞ」


 皇帝に頭を下げられてはブレスト司令も断れないが、この任務は困難である。


 修道院は上は150メートル、下は50メートルの断崖絶壁にあり、周囲3キロに渡って遮蔽物がない。出入り口は石段を登った先の重く厚い表門だけである。事実上の密室だ。


「司令、修道女には申し訳ないですが、いっそ誤射ということにして砲撃してカタを付けては?」


 本部に戻って作戦会議が開かれ、ギョームがいきなり提案したのがかなり乱暴な強硬策である。


「大尉はん。修道院にそんな事したら教皇も怒りますやろし、他の国まで文句言うてきまっせ」


 議事録を書いていたロッテ先生が外交的見地からこれを止める。彼女に本来会議に口を出す権限はないのだが、ブレスト司令はいちいち文句を言わない。


「おやっさん、第一尼さんごと修道院をぶっ飛ばすなんて罰が当たりますよ」


 ギョームの案は確実だが、修道女の命と正統十字派の国家への忠誠が犠牲になる。それは反乱より始末が悪い事態を招くだろう。


「演習を名目に周辺住民を避難させて、その間に鎮圧部隊を突入させて始末するのはどうでしょうか?」


 ジャンヌは地図上の駒を動かし、いくらか穏当なプランを提案する。


「大部隊を投入するとどうしても敵の砲撃は避けられません。秘密裏に鎮圧して証拠を隠滅しないと任務は失敗です」


 ベップはジャンヌの並べた駒を払いのけ、地図上の村を指で叩いた。怪しい素振りを見せれば村が砲撃されるのは間違いないというわけだ。


「クルチウスの言う通り。極秘のうちに鎮圧せよとのお達しで、機密保持の為に我々だけでやれとも指示を受けている。それに、この石段は3人では通れない狭さだそうだ」


「するとやっぱり、上から直接俺達が行くしかないんですかね」


 モーリスが修道院を抱えた銀嶺山脈を指差した。


「危険だが、それしかあるまい」


「司令!だったら私にお任せください。兵役も果たせず脱走した腰抜けの砲兵など皆殺しにしてみせます」


 ギョームは明白な危険と直面してパスカルの血が燃えたぎるのを感じていた。


「小ギョーム。修道女の命がかかっておるのだ。力押しでは彼女達を危険に晒す事になる」


「無論です。現地に行って細かい作戦を詰め、その上で奴らを血祭りに挙げねばなりません」


 砲兵第3連隊の演習に飛龍隊が合流するという体裁を陸軍省が整え、その日の夕方に夜行列車で飛龍と飛龍乗り達は演習地へと向かった。


「いいか?狭い室内だと拳銃よりもサーベルが頼みだが、人間というのは案外簡単には死なないものだ。鶏を絞めるのと同じでコツがある」


 機密保持の為に貸し切りにしてもらった寝台車で、ギョームは人の斬り方を部下にレクチャーする。そのはしゃぎようはまるでピクニックに出かける子供のようであった。


「相手を突き刺したら心臓の方へ目掛けてサーベルをえぐり、確実に致命傷を与えて素早く引き抜く。うかうかしていると肉が固まって抜けなくなる」


 一方、修道院では修道女が地下室から出され、ナゼール達の世話と表向き平穏なふりをするように求められていた。


 朝方に村の雑貨商が、午後には郵便配達夫が石段の下まで配達に来たが、修道女達は何事も無いように応対して品物を修道院まで運び込み、不審を悟らせなかった。


 だが、屋上から修道女達はライフルで終始狙われていたのだ。勿論、不審な点を見せれば皆殺しという脅し付きである。


「ナゼール、手紙は郵便屋に預けたぜ」


 司令室代わりの礼拝堂で手を縛られたリジェ院長と話していたナゼールにブルガンが報告する。郵便配達夫にリジェ院長の名前で連隊長に宛てた手紙を託してある。


「よし、尼さんを地下から引っ張ってきて昼飯を作らせろ。妙な素振りをしたら構わねえ。全員で頂いて、その後生きたまま火で炙ってやれ」


「この獣め、地獄に落ちなさい!」


 ナゼールの残酷極まる命令にリジェ院長は呪いの言葉を投げかけた。


「院長さんよ、あんた自分の立場が分かってないらしいな?地獄なんてのは啓典に書いてある単なる脅しだぜ。俺はこんなまやかしに乗るほどお人好しじゃねえ。本物の地獄ってのはこの世の事だ」


 ナゼールは手にしたライフルを構えると、説教台の奥にある十字架にかけられる神像の眉間に弾を撃ち込んだ。地下室の方から恐怖の悲鳴が漏れた。


「おお、なんと罪深い事を!」


「俺はあんな胡散臭い大工の倅に世話になった覚えはねえ」


「神よ、この罪人にどうか救いを」


「救いだと?ふざけんな!生まれついての貧乏と金持ちが居る。貧乏な奴にだけ徴兵くじが当たって、金持ちの将校に殴られる。そんな世の中を神が作ったってのか!」


「神は試練を与え給うたのです」


「馬鹿野郎!試練しか寄越さねえならそれは神じゃなくて悪魔だ。大体、啓典に出てくる悪魔は異教の神だって言うじゃねえかよ。そんな勝手な話があるか?」


「なあブルガン。ナゼールは何を考えてるんだ?あんな婆さん放っておけばいいのに」


 台所で料理役を命じられた3人の修道女を見張りながら、ソルニエがブルガンに訊ねた。


「ナゼールは啓典は筋の通らない事しか書いてないから許せないんだってよ」


「ふうん。俺は字が読めないからよく分からねえや」


「俺もだ。だから神父様の言う事は何となく有り難いと思ってたけど、ナゼールに会ってから考えが変わったよ」


「けど、俺はナゼールの言ってる事もよく分からねえんだ」


「簡単だろ。俺達はこれが上手く行けば新天地で優雅に暮らせる。それだけだ」


 修道女達には未だナゼール達の素性や目的が掴めずにいる。ただ、恐怖に突き動かされて言われるままに仕事をこなすだけである。

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