第23話 Sargent Nazaire Superstar

 修道院は10人の反乱者を3組に分けて8時間刻み、つまり、常に6人か7人が修道女と外を見張り、残りが休む体制が取られていた。リーダーのナゼールはほぼ不眠不休である。


 修道女は両手を縛られて地下室に押し込められ、用事がある時に必要な人数だけが出されてまた押し込められる。


 屋上は2メートルの高さの胸壁で囲まれており、奥に建て増しされた鐘つき堂の前に鎮座する山砲は下からは死角になって見えない。屋上には常に3人からの人数が銃を手に出ていて、胸壁の銃眼から周囲を見張っている。


 だが、まさか上から敵が来るとは考えないところに反乱軍の僅かな油断があった。上空実に3000メートルの雲に隠れながら屋上の様子を見ていたのが、抜群の視力を持つモーリスである。


 修道院の死角になる山影から飛び立ち、迂回しながら高度を上げ、実に2時間をかけて雲の中に飛び込んだのだ。


 目の眩むような高さから屋上の様子をスケッチしたモーリスは、更に2時間をかけて修道院のほぼ正面にある村に裏手から入った。


 山砲が門の奥にあるのか屋上にあるのかはっきりしなかったが、屋上にあると判明したのは大きな収穫であった。だが、既に2日目の夜が来ようとしている。


 村と近辺に住む人達は動けない病人や老人を村の教会に残し、他は陸軍が口実を作って退去させている。陸軍としてはこれだけで大変な手間と出費である。


 臨時の司令部となった村長の屋敷には飛龍隊と砲兵第3連隊長のモンクール大佐、砲兵第3連隊の所属する第3師団長のヴァンサン少将が集まり、どういう手筈でこの難題を攻略すべきか議論が行われた。


「反乱軍から郵便配達夫に託された手紙で連絡があったそうだが、要求を飲む場合どうやって合図するのかね?」


 ブレスト司令は手紙の受け取り主であるモンクール大佐に訊ねた。


「はい。たまたまある修道女が足を怪我してこの村の病院に入院しておりまして、彼女を明日の正午に金貨を積んだ馬車に乗せて、金貨と皇帝からの承認の手紙とともに届けさせろとの事です」


 モンクール大佐は顔に生気がない。この事態を収束させても責任を問われて良くて左遷、おそらくは予備役に編入されて軍歴は終わりである。


「それで、その後は?」


「修道女を人質に10人連れて、砲弾と共に馬車で駅まで行き、そのまま一般の客に混じって列車に乗せて港まで行って、同様に一般の新大陸行きの客船に乗船。修道女と砲弾は新大陸に着くまで手放さないとの事です。何かあれば砲弾で自爆すると」


 ヴァンサン少将がナゼールが指示した逃走経路を地図で辿って説明する。


「今夜にも夜襲をと思っていましたが、自爆する覚悟がある相手だと厄介ですな」


 反乱軍が持ち出した砲弾は重量3キロの榴弾20発。大半は修道院の各所に配置されて自爆に備えていると見るべきだろう。どれかが爆発すると他の砲弾に誘爆する危険がある。


「こんな物は単なる脅しだ。兵役に耐えられないような根性なし連中にそんな度胸があるはずがない!」


 ヴァンサン少将はギョームと似たような見解を述べる。


「それが師団長、そうとも言えません。首謀者のナゼールというのは大変な食わせ者です」


 モンクール大佐は警察から取り寄せたナゼールの身上報告書をテーブルに投げ出した。


「専ら貴族や富豪のパーティーに紛れ込んで盗みや詐欺、恐喝を働いていた男です。逮捕歴はありませんが、警察の知らない罪状が相当にあるようです」


「何故そんな男を下士官に昇進させたのだ!」


 ヴァンサン少将はモンクール大佐に怒鳴り散らす。


「それが、勤務成績は抜群でして…」


「将校ならともかく、下士官兵の身上調査などいい加減だ。恐らく、ナゼールは徴兵くじに当たった時からこの計画を練っておったのだろう」


 ブレスト司令の言う通り、毎年何万人という男が除隊しては入営する帝国軍において、入営者の身上調査にあまり手間をかけることは出来ない。


 まして、入営者を抽選で決める徴兵くじは不正が多く、貧しい程よく当たるという悪評があった。従って、犯罪者が軍に紛れ込むことは多く、ナゼールもそうだったというわけだ。


「単身で脱走するならともかく、小隊長を殺した挙げ句に山砲を持って分隊ごと逃げたとなると、このナゼールというのは只者ではあるまい」


 ブレスト司令はパイプで煙を吐きながら考え込んでしまった。


「何か危険思想の類を持っている兆候はなかったのか?あるいは他国のスパイという可能性も有り得る」


 ヴァンサン少将は身上報告書を読みながらモンクール大佐にまくし立てる。


「ナゼールの所持品には1冊の本さえありませんでした。手紙も身寄りがないのでやり取りがありません。ただ、毎週礼拝の度に司祭に問答をふっかけて、しばしばやり込めたという話です」


「相当頭が切れるようだな。他の脱走兵はどうかね?」


「思想どころか、大半は読み書きが出来ません。貧しい農民や労働者ばかりです」


「だからナゼールに付いて行ったのかも知れんな。司祭をやり込めるというのはなかなかできる事ではない」


「馬鹿馬鹿しい。そんな事で兵隊の人気を取って、11人で反乱だと?」


「師団長。確かに馬鹿馬鹿しいですが、その11人に帝国が振り回されているのも事実ですぞ。少なくとも、ナゼールには自爆の覚悟があるはずです」


 自爆は最悪の結末と言わねばならない。それこそ革命やクーデターが起こる可能性さえある。


「連隊長。連中の白兵戦の能力はどの程度かね?」


「一般的な砲兵です。銃が一応扱えて力持ちですが、それだけです」


「実戦を経験した者や殺人の前科者は?」


「小隊長を殺した以外には、軍と警察の知る限りはおりません」


 砲兵には敵と向き合っての白兵戦の機会はまずないので、一応銃の扱いは教えるが大した訓練はしない。つまり、各人の戦闘力は低いという事だ。


「でしたら、私に考えがあります」


 意外にもベップが口を挟んだ。


「ナゼールの作戦は緻密ではありますが、我々飛龍隊の存在を考慮していない点で欠陥を抱えています」


 ベップは参謀としての教育を受けたわけではないが、それでもクルチウス博士と言えば帝国で知らぬ人のない知恵者である。ヴァンサン少将もそれを知っているので、一応は話を聞いてみる気になった。


「極東には策士策に溺れるという諺があります。策士ナゼールを出し抜いてやりましょう」


 ベップは地図上の駒を並べ替え、そのプランを披露し始めた。


「いいか?俺達は今や皇帝を強請る天下の大悪党だ」


 翌朝6時、つまり天下分け目の勝負を6時間前にして、地下室の扉を重石で塞ぎ、屋上に全員を集めてナゼールが演説をぶった。全員が空のワイングラスを持っている。


「だが、俺達はどうせ軍隊に居ればただ働き同然で鉄の塊を運ばされ、殴られ、ひもじい思いをして5年も兵役を務めて、それで除隊したら貧乏暮らしに逆戻りだ。お前らの娑婆での商売は何だ?右から順に言ってみろ」


「小作人」


「俺は港湾労働者」


「辻煙草売りだ」


「俺も小作人」


「失業者!」


 右から若い順に並べられた10人の部下達が、めいめい恵まれない境遇の凝縮されたような答えを述べる。


「俺は詐欺師だ。そして、俺達は一昨日までは生身のチェスのポーンだった。だが、今はキングをチェックしている黒のクイーンだ。チェックメイトは近い。チェスを知らない奴も居るだろうが、つまり、勝利は目前という事だ」


 ナゼールの想像通り、何人かはチェスのルールを知らなかった。それ程無学な部下達である。


「敵はキングの駒を倒して降参する事も出来る。だが、悪あがきで思わぬ手を打って来ないとも限らない。いずれにしても、俺達の運命は天国か地獄か。言い換えれば、鉛か黄金かだ!」


 ナゼールの演説には聞く者だけに分かる妙な説得力がある。そうして10人はナゼールに付いて来たのだ。


「失敗すれば死ぬ。だからこそ、全員新大陸に着くまでは黙って俺に命を預けて欲しい。承知ならそのグラスにそこの水をくめ」


 ナゼールは足元に置いたボウルに自らのグラスを入れて水を汲んだ。全員がこれに続いた。


「よし、円陣を組め。これは極東の悪党が喧嘩に行く前に、末期の別れをする時の流儀だ。歳の若い奴から順にグラスの水を飲み干せ」


 山砲の前で11人が円陣を組み、次々とグラスの水を呷った。


「よし、お前達の命は今から俺が預かった。新大陸で会おう!」


 ナゼールがグラスを地面に叩き付けると、まるで申し合わせたように全員がほぼ同時にこれに続いた。11個のグラスが彼らの命綱の山砲の前で砕け散った。


「いいか?この作戦は正直に言えば、ギャンブルだ」


 一方同じ頃、ブレスト司令は飛龍乗り達への訓示をこう切り出した。


「修道院の見取り図は手に入ったが、敵がどこに居るかは分からない。とすれば、最後は運が我々に味方するか、それとも反乱軍に味方するかだ」


 飛龍乗り達は、ギョームさえもこの期に及ぶと緊張が隠せない。各人の力と時の運で全てが決まるのだ。


「陛下は我々が戦死した場合には特進を約束してくれている。また、第3師団も全面的な協力を約束してくれた。とにかく、我々は親衛隊将校である以上、その命は陛下の物だ。諸君らに死ぬ覚悟はあるか?」


「あります!」


 ブレスト司令の問いに最初に答えたのはジャンヌであった。


「嘘は感心せんな。人間は口では勇ましい事を言えても、本当に死ぬ覚悟など簡単に出来ん。私とて例外ではない」


 虚勢を張るジャンヌの足は震えていた。


「だが、それでいい。生き延びることを願え。その執念が運を呼び寄せる。ギャンブルとはそういう物だ」


 ブレスト司令がテオドラに目配せすると、テオドラは5人の持っているグラスにワインを注いだ。


「ワインの半分は残した。残りは作戦が成功した後に祝い酒として飲むか、フークが我々の墓標にかけるかだ」


 飛龍乗り達は思わずグラスに視線を落とした。その赤ワインは自らの血のように思われた。


「帝国と、生への執念に!」


 号令一下、飛龍隊はワインを飲み干し、ワインとグラスをテーブルの地図の上に置いて部屋を出た。

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