第20話 小説飛龍隊学校

 ベップは飛龍の活用法について凄まじい量のアイディアを陸軍省に提出したが、平時における活用法として一番有益とみなされたのが、軍の宣伝の為の飛行であった。


 各地の祭りに花を添える為に是非飛龍をという声は多く、飛龍隊には日曜日の休日がない日々が続いた。


 その週の日曜日は鉄とガラスの街の記念日で、飛龍隊にパレードに参加してくれというお達しである。何しろ飛龍隊とこの街は互いに恩があるので、歓待ぶりは大変な物である。


 飛龍隊の飛行時間も10月に入って各200時間に達し、どこへ行っても皇帝の日と同じように飛んで着地することが可能になっていた。


 だが、困ったのはどこへ行ってもパーティーに呼ばれる事である。果たしてこの日も飛龍隊は市長の屋敷に招かれ、近隣の有力者や来賓と共にフルコースの料理でもてなされた。


 これはジャンヌやベップには何でもないが、モーリスやテオドラはテーブルマナーどころか、飛龍隊に入るまでフルコースの料理など見た事もなかったのだ。


 ギョームとて根は下士官なので、テーブルマナーの知識は見様見真似でしかない。パレードを難なくこなせるようになった飛龍隊は、今や飛行よりも宴席で危険に晒されていた。


 仕方がないので、覚えるまではジャンヌとベップの真似をして誤魔化すようにという情けない通達が出ている有様である。あるパーティーでは、ジャンヌがスプーンを落としたのをモーリスとテオドラも真似して恥をかいた事さえあった。


「ブレスト閣下。飛龍の鞍が以前と変わったようでしたな?」


 熱心な飛龍隊のファンであるヴァルニエ署長はブレスト司令の隣の席で上機嫌である。


「飛龍についてはまだ何もかも手探りですので、日々試行錯誤して改善しておるところです」


「閣下自ら手綱を握る事は?」


「この身体でなければ試したと思いますが、私は乗せてもらう専門ですな」


 こうなるとそろそろ飛龍隊の方にも質問が飛んでくる。マナーを知らない組は料理との格闘で手一杯なので、その度肝を冷やす事になるのだ。


「パスカル大尉」


 近くの村の村長だという老人が、向かいの席に座ったギョームに声をかけた。


「都の方やと近頃はお役人の旦はんを乗せて飛ぶ言わはりますけど、わてみたいなじじむさいもんでも飛龍には乗れますやろか?」


 ギョームは返す言葉がない。村長の東部訛りが聞き取れないのだ。


 鉄とガラスの街は帝国東部の国境地帯にあり、少し行けば大小の君主が入り混じった隣国アルミニア連邦である。東部国境地帯はアルミニア語の影響が強く、アルミニア語そのものが話されている事も多い。


「大尉。自分でも飛龍の後ろに乗れるだろうかと村長は聞いております」


 事態を察し、12の言語を話せると自称するベップが通訳をする。


「ああ、そういう事なら、揺れで酔うのを我慢すれば誰でも乗れます」


 ベップはこれを通訳し、そのままアルミニア語で話し込み始めた。これに呼応するように訛りのある来賓がアルミニア語で話し始め、見えない国境が席上に出来てしまった。


「へえ、そんな事が」


 土産に貰ったガラス食器のセットを官舎の食器棚に並べながら、ギョームの話を聞いて妻のソフィアは笑った。


「将校というのは大変な物だ。だからパスカルの男は昇進を断って来たんじゃなかろうか」


 居間のテーブルで火薬の包み紙を使って煙草を巻きながら、ギョームはぼやく。


「俺はどうせ何年もせずに退役だからこの際それでいいが、問題はミシェルだ。あの娘はもう将校の娘であって、下士官の娘には戻れない」


 ギョームは巻きたての煙草に火を点け、煙の昇っていく天井を睨んだ。この上で娘のミシェルが寝ている。来年から1年遅れだが上の学校にやろうと夫婦で相談している最中である。


 帝国の教育は義務教育として5年制の小学校があり、モーリスの学歴はここまでである。


 その上に4年制の上級小学校がある。ギョームが行ったのはここまでで、これでも下士官としてはかなりの高学歴と言えた。下士官でも読み書きのできない者が少なからずある。


 中流以上の家の子供は小学校から5年制の中等学校に行く。ジャンヌやブレスト司令はここから更に4年制の士官学校へ進んでいる。ギョームはミシェルを中等学校に入れるつもりであった。


 更に金と知能に恵まれた子供は中等学校を経て高等学校から大学と進むが、ベップは家庭教師に学び、アハメド医師は南方大陸からの留学生なので特殊である。飛龍隊は学歴もまちまちなのだ。


 思い悩んだギョームは、翌日初雪亭にベップとコクトー神父を招いた。


「というわけで、ミシェルが学校について行けるように力を借りたい」


 ギョームに頭を下げられて2人はたじろいだ。弾雨の中を平然と闊歩するパスカルの男が頭を下げるのは、歴史的にも珍しい光景である。


「私は構いませんよ。土地の子供に教育を授けるのも教会の務めですからな」


 コクトー神父は心強い返事である。十字派の教会で使われる教会語と、神学についてはこれで大丈夫だ。


「それで大尉。ミシェル君をどうしたいのですかな?」


 ベップは即答しない。


「どうしたいと言うと?」


「どの程度の教育が必要なのかで私の教育の内容も、また準備の期間も変わってきます。女性が高等教育を受ける機会は限定的ですが、おそらくミシェル君の大きくなる頃には道が開けるはずで…」


「その…将校の娘として恥ずかしくない程度の教育を授けてやりたい」


「というと、士官学校へ?それとも師範学校に進ませて教師にでも?」


「つまりパスカル大尉。将校の夫と口喧嘩をしてやり込められない程度ですな」


 コクトー神父が先に分かりやすい結論を出した。ギョームとしては、ミシェルを将校や教師にする気はない。


「成程。それなら明日からでもやりましょう」


「有難い。モラン、スパークリングワインを出してくれ!」


 一安心とギョームは目の前のビールジョッキを一気に空け、モランに祝い酒を注文した。


「~~~~~」


 モランはボトルとグラスをテーブルに運んでくると、何やら呪文のような言葉をつぶやきながらグラスにワインを注いで去って行った。


「何かのまじないか?」


「いささか奇妙な訛りがありますが、あれは教会語です。恐らくは北部アペニン語の影響が…」


「学校で学ぶ事など世間では役に立たないと。確かに、間違いとも言い切れませんな」


 ギョームを不安にさせる一言であった。モランの学歴は誰も知らない。とにかく、翌日からミシェルの進学に向けた予備教育が始まった。


「さあ、まずは数学から始めましょう。数学はあらゆる学問や技術の根幹であって、決して疎かにできない物です」


 訓練後に教会の説教台に立ったベップは、いささか退屈気味のミシェルを前に数学の重要性を解く。だが、12歳の少女にそれが理解ができるかというと怪しい。


「そんなに心配しなくても、利口な娘じゃないですか」


 後ろで見ているのが飛龍乗り達である。勉強嫌いだったモーリスはミシェルの境遇に内心同情した。


「エスクレド!お前は何も分かっていない。漁師は思う様殴り合って酒を酌み交わせば分かり合えるのかもしれんが、中流階級の娘はそうじゃない」


 ギョームはかなり失礼な事を言ったのにも気付かない。ミシェルの事となるとギョームはこうである。


「私も大尉と同感だ。ことにあの年頃の金持ちの娘は、古いケーキのような手合いが多い」


「女伯。ケーキって?」


「見てくればかりは凝っているが、中身は腐っているのさ。食べるとはらわたが腐る」


 ジャンヌは貧乏貴族故に自らが学校で味わった惨めさを思い出し、思わず貴族にあるまじき汚い言葉を使った。


「シャルパンティエが正しい。それで、そのドレスを着た猛毒にどうやって対処した?」


「秘訣は3つです。まず決して連中のように振舞わない事。そして常に首席で居る事。そして最後は、人に見られない所で、服に隠されている場所を確実に殴りつける事です」


「皆さん、ここは神聖な教会であり、学び舎ですよ」


 先に教会語の講義を終わらせて見学していたコクトー神父がたまらず釘を刺した。アハメド医師は我関せずで笑いをこらえている。この人は常に陽気である。


「いいなあ…」


 同席していたテオドラが思わずつぶやいた。


「テオは、学校に行かなかったのか?」


 一連の会話でますます高度な教育への疑念を深めたモーリスは、テオドラの一言に意外な表情をした。


「田舎だから学校は無くて。こんな風に教会で村の子供と一緒にお父さんに読み書きを教わりました」


 義務教育とは言ってもまだ全国にくまなく学校があるわけではなく、また全ての子供が実際に通えるわけではない。


 テオドラはその観点では恵まれていたが、それでも読み書きと啓典の知識しか学べなかったテオドラは、ミシェルが少し羨ましかった。


「じゃあフーク君。あなたもここで学べばいい」


 コクトー神父の言葉にテオドラは目を輝かせた。話を付けに行くとベップはこれを大いに喜び、ミシェルとテオドラは机を並べて学ぶ仲になった。テオドラが17歳。ミシェルが12歳。少し年が離れているが学友だ。


 教育省の役人が観たら涙を流して喜ぶような美しい光景であったが、その噂が広まると話が少し変わって来た。


 地上班員の子供は近くの村の小学校に通っているが、我が子の出来に不安を持つ地上班員がこれに便乗し、ある地上班員に至っては自らが読み書きを覚えたいと申し出た。


 これに噂を聞いた近隣の農家の子供も加わると夕方の教会は満員御礼となり、たちまちコクトー神父とベップの手に余るようになった。


「司令、これは私の責任です」


 いよいよ収拾がつかなくなり、ギョームはブレスト司令に平謝りに謝った。教会はもはや学校というより戦場の様相である。


「近隣住民に奉仕するのも軍隊の役目だが、ここまで来ると勤務の片手間では不可能だな」


「私はどうしたら?」


「心配はいらん。この事を陛下に話したらえらく感動されてな。私の秘書も兼ねた家庭教師を差し向けてくれるよう計らってくれた」


 あちこちにお呼びがかかるようになった飛龍隊は事務仕事が増加し、ブレスト司令が一人で処できる限界を越えようとしてた。


「来週にも着任するから…」


 そこまでブレスト司令が言ったところで、ブレスト司令の視界からギョームが消えた。ギョームはついに卒倒したのだ。


 白兵戦の末に顔を斬り付けられてもひるまなかったギョーム・パスカル四世は、大笑いするアハメド医師に引きずられて司令室を出る羽目になった。


 

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