第3章 ドラゴン・バリエーション

第19話 クルチウス発明記

 飛龍隊に対する世論は、白梟のハインリヒの討伐とパレードでの見事な飛行によって急激に軟化した。


 予定だけはあった電信線の敷設も、パレードの数日後には工兵隊によって工事が始まり、9月の頭には飛龍隊に併設する形で電報局が開設された。


 馬を飛ばして片道1時間かかっていた帝都との連絡も、これで簡単な文章なら一瞬である。


 そして、これを機会に飛龍隊を更に活用すべく、飛龍隊を伝令に供する為の実験が行われた。


 陸軍省から騎馬の連絡士官と伝書鳩部隊が派遣され、電報局員とグラディウスを伴ったギョームと一緒に電報局の側に並べられた。


 そして見物人が取り囲む中、コクトー神父が適当に啓典を開いてそのページのある節を書き写した4通の手紙が各自に渡された。


 懐中時計を手にしたプレスト司令が14時になったのと同時に合図し、4組は一斉に帝都の陸軍省へこの手紙を届けんと行動を開始した。


 電報局員は電報局に駆け込んで電鍵と格闘し、鳩飼いは通信筒に手紙を収めて一番優秀な鳩の足にくくりつけて飛ばし、連絡士官は田舎道を駆け抜けていく。


 主役のギョームは手紙をおもむろに首から下げた郵便袋に入れると、グラディウスと一緒に飛び上がった。


 その頃陸軍省では、陸軍大臣レネ・バルドー大将が執務室でベップからこの実験の意義について説明を受けていた。


「大臣、飛龍は極めて優秀な伝令になると我々は確信しております」


「しかしクルチウス、飛龍はあまりに高価で貴重だ」


 バルドー大臣も飛龍隊に一目置いていたし、ベップの科学者としての能力も知っているが、だとしてもせっかくの飛龍を裏方仕事の伝令に供するのは勿体なく思われた。


「飛龍は極めて高価かつ調達困難ではありますが、それだけに数の揃わない段階で前線に送り込むのは時期尚早でありまして…」


「クルチウス、それは我々が決めることだ!」


 同席した参謀総長、クローヴィス・ガムラン中将が自慢の顎髭をいじりながら、ベップの解説を越権行為だとばかり咎める。


「参謀総長、お言葉ですがその辺りをはっきりさせる為の実験であります。レオ一世以来の進取の気風こそが帝国軍の強さの根幹であり、また美徳でありまして…」


 ベップがガムランを得意の長講釈で押し込んでいると、電報室詰めの連絡士官が電報を手に執務室に入ってきた。時間は14時20分前である。


「見たまえ。事前の予想通り電信が一番早い。今や新大陸まででも同じ時間で届くのを、かのクルチウス博士が知らぬはずがあるまい」


 ガムランは皮肉たっぷりにベップに反撃した。


「確かに電信は高速ですが、電信線の敷設と維持管理を必要とします。わけても最前線への電信線の敷設は困難でありますし、また常に機械的トラブルのリスクと敵による傍受の危険を伴います。何より、その性質上文章の長さに比例して送受信の所要時間と誤通信が増加する為…」


「とにかく、結論は実験が終わってから出そうじゃないか」


 バルドー陸軍大臣の一声でひとまず言い争いは終わった。


 伝書鳩は案外高速であり、30分程で陸軍省の裏の鳩小屋に到着した。これを見張りの兵士が見つけて執務室に届けるのに更に5分である。


「鳩より遅く、1個旅団と同じ値段の伝令というのはどうなのかね?」 


 ガムランは再びベップに攻撃を仕掛ける。ガムラン個人としては陸軍が予算を削減される一方で飛龍隊に多額の予算を投じるのは反対であり、せめて飛龍隊を最前線に投入して元を取りたいという思惑があった。


「鳩は確かに安価かつ高速でありますが、特定の拠点への一方通行であり、後方から前線への連絡は不可能です。また、未着の可能性が無視できず、特に長距離の場合や気象条件によっては…」


 ベップは引き下がらない。ガムランの言う事も間違ってはいないが、ベップの方も間違ってはいないのだ。


「そもそも、飛龍隊への世論の反発が収まったのは、相手が古臭い盗賊だとしても戦闘で勝利を収めたからであって…」


「参謀総長の前提は飛龍が飛ぶという事に対する国民への認識が抜け落ちております。心理学的見地から言えば…」


 バルドー陸軍大臣が止めるのを諦めて呆れ気味に見ていると、背後の窓を何者かが叩いた。振り向くと、窓の外ではグラディウスに乗ったギョームが長い柄の付いた網で窓をつついている。


「近衛飛龍隊飛行隊長、ギョーム・パスカル大尉であります。近衛飛龍隊本部より伝令に参りました!」


 窓を開けたバルドー陸軍大臣にギョームは捧げ銃ならぬ捧げ網の敬礼をし、郵便袋から手紙だけではなく、何やら荷物を取り出して網に入れた。


「ブレスト司令よりバルドー陸軍大臣へ、こちらもお届けに上がりました!」


 ギョームはブレスト司令がバルドー陸軍大臣から長く借りたままになっていたという本と手紙、そしてブレスト司令のお詫びと称する葉巻の箱を入れた網を執務室に差し入れた。


「流石にブレストは大胆不敵だ。直接ここに来させるとは思わなかったよ」


 バルドー陸軍大臣はギョームに敬礼をして届け物を受け取り、それを確認してギョームは戻って行った。


「いささか遅いですが、奇襲されたわけですな」


 ガムランはあくまで攻勢を緩めない。


「飛龍は馬よりは遥かに高速であり、電信や鳩と違って荷物を運べます。伝令ばかりか簡易的な輸送任務さえ可能です。例えば敵に包囲されて孤立している友軍へ…」


「クルチウス。君の言う事は確かに筋が通っているが、馬で事足りるなら軍としては馬で済ましたい」


 バルドー陸軍大臣はブレスト司令から貰ったばかりの葉巻を吸いながら、ブレスト司令からの手紙の封を切った。


「陸軍大臣、そこなのです。結局のところ飛龍は4頭に過ぎず、また容易に補充が出来ません。一方でただ漫然と訓練のみに明け暮れているにはあまりに高価であり、用途には細心の注意が…」


「クルチウス、貴様はそんなに戦闘が怖いか!」


 ガムランはとうとう怒り出した。ようやく馬で辿り着いた連絡士官は運悪くこれに出くわし、恐れおののいた。


「お言葉ですが、帝国に差し迫った戦争の危機がない事は参謀総長の方がよく御存知なのでは?」


 これにはガムランは顔を真っ赤にして地団駄を踏まんばかりである。


 だが、実戦は植民地でたまにある程度というのが帝国軍の現状であった。それは国家にとっては幸福だが、軍は予算を削減される一方である。


 それだけにガムランは飛龍隊を植民地に送り込んで手柄を立てさせ、軍全体の人気取りをしたいのだが、どうやらブレスト司令は別の考えをもとにベップを送り込んできたらしかった。


「つまり、飛龍隊を現地部隊で間に合うような植民地の戦闘に送り込むよりも、より生産的で国民の目につく任務に就かせ、それで軍の宣伝と国威発揚をしようというわけだな」


 バルドー陸軍大臣はガムランをなだめるようにして言った。


「ブレストからの手紙にもそういう意見が書いてある」


 ガムランはやられたと思った。どうも事前にバルドー陸軍大臣とブレスト司令の間である程度の話はついているらしい。


「ついてはクルチウス。君は色々と飛龍の活用案を考えているようだが」


「はい。差し当たってこれだけ用意しました」


 ベップは持参した書類鞄からブレスト司令のサインが書かれた封筒を取り出し、バルドー大臣の机にこれみよがしに立てて置いた。辞書のような分厚さである。


「差し当ってと言うからには、これだけではないわけだな?」


「文面に起こすのが間に合わないのが現状でありまして。来週中にはもう一度」


 ベップのアイディアの束の精査は困難を極めたが、ブレスト司令の勧めもあり、訓練と実益を兼ねて飛龍隊による郵便飛行が始まった。


 毎日軽飛龍と重飛龍が2頭ペアで郵政省に赴き、主に省庁間の郵便を運ぶのだ。郵便飛行は開始と同時に大変に重宝がられ、飛龍隊の練度向上にも大きく貢献した。


 飛龍は人混みのない空を飛び、直接窓へ付けることが出来るので人や馬より断然早い。時に回線の渋滞や誤字脱字の発生する電報より容易に長い手紙を送ることが出来、伝書鳩と違って荷物も運べる。郵便袋は重くなる一方であった。


 何より、帝都の空を飛龍が飛び交うのは壮観であった。その風景はじきに帝都の名物となり、自慢となった。


「クルチウス。本当に大丈夫なのだろうな?」


「参謀総長。馬車だと30分ですが、飛龍なら5分です」


 陸軍省の裏庭で、ガムランは飛龍に跨って心配そうな表情をしていた。ガムランの軍歴は参謀一筋でデスクワークが長く、馬が苦手である。


「私の開発した新型の鞍なら絶対に安全です」


 リウィウスにはベップが改良した鞍が乗っている。鞍には3つの背もたれが並んでいて、それぞれにベルトが付いている。


「その背もたれのベルトをしっかり締めて下さい。そうすれば飛龍が墜落しない限りは安全です。私など実験で宙返りをやりました」


 従来の命綱の素朴さに肝を冷やしていたベップは、パレード後にこの鞍を完成させた。若干重くなったが、どんな飛び方をしても乗っている人間は落ちないと証明され、正式に採用が決まったのだ。


「締めましたか?それでは行きます」


 ベップも自慢の鞍のベルトを締め、鞍に金具で固定された飛龍隊時計で時間を確認して飛び上がった。


「ところで。飛龍なら5分と言いましたが、私に限れば3分です」


 ベップはガムランが飛龍酔いに閉口する中、予告通り3分で目的地に到着した。ベップは安全が確保されてからというもの、飛龍の機動の限界を調べると称して荒っぽい飛行をするようになっていた。


 ベップは帝都での郵便飛行の帰りには大量の薬品や器具、書籍などを積んで帰って来た。ベップの官舎はこれらで埋め尽くされて完全に研究室となり、足の踏み場もない有様である。


「やった!ついにやりました!」


 終業後はその研究室に籠って実験ばかりのベップだったが、その日に限って付き合いでしか来ない初雪亭に足を踏み入れ、興奮しながらそう叫んだ。


「モラン女史、全員にワインを」


 隊で一番の金持ちでありながら非社交的なベップの珍しい大判振る舞いに、隊員はまさかと思い、モランは喜んだ。


「大尉、1本頂けますかな?」


 カウンターの席に就いたベップは、隣の席でギョームが吸っていた紙巻き煙草を1本所望した。


「クルチウス。お前が吸うのは見たことがないぞ」


「肺に負担をかけて医学的に好ましくありませんので。ですが今日は特別でありまして…」


 だが、ベップは貰った煙草を咥え、ギョームの煙草から火を貰うなり激しくせき込んだ。


「それ見ろ」


「これはどうでもいいのです。例の白梟のハインリヒの火薬の再現に成功しました。全員外に出て下さい」


 咥え煙草でカウンターから鉄製の灰皿を取ったベップに促されて、興味のある隊員は奢ってもらったワインのグラスを手に表に出た。


「ハインリヒの数十件の強盗のうち、金庫を破壊した案件が8件、そしてこの度のミスリルの鎖の破壊です。これに供された強力な火薬は何か?魔術局や砲兵工廠の方でも分析を進めているようですが、先ほど遂に私が再現に成功しました」


 ベップは庭の広い所に灰皿を置くと、ポケットから出した小瓶に入った粉を灰皿一杯に入れた。


「どこかの国から盗み出した新式火薬ではないかという説もありましたが、押収品に削られたアルミニウムの皿があったのが突破口でした」


 ベップは欲しくもない煙草を灰皿の中に捨てた。次の瞬間、あの時同様の猛烈な閃光と火柱が上がり、そのあまりの激しさに初雪亭に残っていた隊員も出て来た。


 火薬は数十秒で燃え尽き、その後には灰皿だった土くれと焦げ跡だけが残った。


「花火みたい」


 テオドラは無邪気にはしゃいでいるが、ベップがそういう反応を求めていないのは明白だ。


「ということは、アルミニウムが原料かね?」


 それを察してブレスト司令が水を向ける。


「そうです。種が知れれば極めて単純な火薬でありまして、わずかなアルミニウムの粉末をこれに混ぜ込んだものです」


 ベップは初雪亭の壁の古釘を引き抜き、頭上に示した。


「釘があんな凄い火薬になるんですか?」


 モーリスは実際に炎を見ただけに、古釘があんな炎を出すとはどうにも信じられない。


「釘ではなく錆びです。錆びる事を化学的には酸化、錆びた鉄を酸化鉄と称しますが、酸化鉄粉にわずかにアルミニウムを混ぜた物がハインリヒの火薬の正体です」


「けど、博士がそんなに入れ込んでようやく見つけた火薬を、なんでまたハインリヒが?」


「偶然でありましょう。科学というのは歴史的に見てもその多くが偶然によって進歩してきたのです。例えば…」


「それより博士、灰皿を弁償してくれませんかしら?」


 後ろでさして驚く様子もなく見ていたモランがベップの講釈を止めた。とにかく、飛龍隊は無限の可能性を秘めている事を示す花火であった。

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