第17話 盗賊の美学
命がけで列車に飛び移ったモーリスは、感傷に浸る暇もなく次なる仕事にとりかかった。時間の余裕は少ない。
モーリスは貨車に山と積まれた鉄鉱石の上を這って進み、どうにか貨車と食堂車の間に辿り着いた。
ズボンに差し込んだギョームの拳銃を抜いたモーリスは、この編成では無用の長物である食堂車の前扉を少しだけ開けた。幸い食堂車には人の気配がない。全員が奥で人質を見張りながら鎖を切る算段をしているのだろう。
モーリスは薄闇の中で車両連結器を探し、駅で習った通りに車両を切り離す用意にかかった。
「頭、こりゃあ駄目です。鋸の方が限界です」
一方、そうとは知らないハインリヒの一味はミスリルの鎖に苦闘していた。まだ鎖の半分も切れていないというのに、ついには金鋸が鎖よりも先に駄目になってしまった。
「こいつで鍵をぶっ壊したらどうです?」
他の手下は護衛から取り上げたライフルを手に代替案を提案する。
「開きやしねえよ。第一、トランクや鎖だって相当な量だ。次にトンネルに入ったら奥の手を使う。その豚を通路まで運べ」
手下たちはロトマンを4人がかりで担ぎ上げて通路に放り出し、見張りを残した寝室のドアを閉め、床に一直線に鎖を渡した。
「腕を切り落とすと話が早いが、流儀に反するから五体満足で済ませてやるよ。ただ、火傷くらいは勘弁してもらうぜ」
ハインリヒは恐怖で暴れるロトマンに馬乗りになると、懐から陶器の水筒を取り出して栓を抜き、今まで金鋸で壊そうとしていた部分に中身をぶちまけた。中身は得体の知れない粉である。
「次のトンネルまでどのくらいだ?」
「お誂え向きに、長いのが何分かしたら来ます」
「そうか。一つ派手にお祭りといこうじゃねえか」
そうと知らないモーリスは、いつでも連結器を外せるようにしてトンネルを待っていた。食堂車がトンネルに入ったタイミングで連結を外せば、専用車はトンネルの中ほどで止まるという話であった。
煙突が吹く火の粉と機関車のランプが僅かに列車の行く先を照らす。そして、ついにトンネルが闇の中に見えた。
モーリスは車両の隙間に身を隠し、空を見上げて星が隠れた瞬間に連結器を外した。
「さあ、花火の時間だ」
モーリスが潜り込んでいるとは知らないハインリヒは嬉々としながらマッチを取り出して火を点け、鎖を埋める粉の山に投げ込んだ。
火が山に触れたその瞬間、その山は破裂音と火花を飛び散らせながら信じられない勢いで燃え始めた。
火の粉が身体にも飛び散り、ロトマンは悲鳴を上げて暴れたが、ハインリヒが上に乗っているので逃げる事も出来ない。ハインリヒはというと、一人後ろを向いてロトマンを押さえつけながら大笑いである。
炎は数十秒に渡って燃え続け、あれだけ苦戦した鎖は焼き切れ、床と天井画は完全に黒焦げになった。ハインリヒがどんなに頑丈な金庫も破壊してきた秘密の火薬は、ミスリルさえも破壊したのだ。
一方、車列から切り離されて徐々に減速する食堂車に張り付いていたモーリスは、客車の締め切った窓の隙間から漏れた謎の閃光に恐れをなしながら食堂車に忍び込み、厨房のカウンターの影に隠れた。最悪の場合ここで銃撃戦である。拳銃を握るモーリスの手に汗が滲んだ。
「おい、止まったぞ」
手下の一人が異変に気付いて騒ぎ始めた。専用車はトンネルを入って約200メートルの位置で完全に止まった。
「やられた!切り離されたぞ!」
手下の一人が窓からランプと一緒に顔を出し、食堂車より先の車両が姿を消しているのを見て青ざめた。
「ミスリルは貰った。散らばって逃げろ!例の場所で落ち合うぞ」
手下達は客車の乗車口から雲の子を散らすように逃げていき、ハインリヒだけが残った。
手下は2人が前へ、3人が後ろへと逃げた。逃げ場のないトンネルを抜けるまでが勝負である。
一人残ったハインリヒは、トランクに縄を回して背負い込むと、ナイフでやや乱暴にボーイの拘束を解いた。
「坊主、悪いが人質になってもらうぞ」
猿ぐつわを残したままのボーイは嫌とも言えず、些かも取り乱した様子のないハインリヒの前を歩かされて通路を抜け、食堂車を通り抜けて行く。
モーリスはもしハインリヒが一人で来たならハインリヒを撃っただろう。だが、ボーイが拳銃を背中に突きつけられて前を歩かされているのを見て思わずたじろいだ。
後ろへ逃げた手下達はしめたと思った。光源と言えば車窓から漏れる微かなランプの明かりだけで、トンネルの外は暗闇だ。
暗闇こそが白梟のハインリヒ一味のテリトリーであり、故郷である。暗闇に居る限り警官など敵ではない。
しかし、その次の瞬間目の前が真っ白になり、猛烈な熱気と閃光に襲われて思わず後ずさりした。
その正体は炎であった。炎の奥にはトンネルを塞がんばかりの大きさの飛龍が、ライフルを構える将校を背に炎を吐き出していた。
「トンネルは囲んだ。諦めて降伏しろ!」
炎が止まったのを見計らってアメジストの背からライフルを手にジャンヌが叫び、アメジストは地響きと共に手下達ににじり寄る。手下達は切り抜ける事ができないと悟り、たちまちのうちに降伏した。
まだ食堂車に居たハインリヒにも炎とジャンヌの叫び声は確認できた。何が起きたのかは分からないが、とにかく後ろへ逃げた手下はやられたのだ。
「坊主、走れ!」
ハインリヒは食堂車の前扉を開き、ボーイの走るのを追いかけるように走り出した。もはやこのボーイだけがハインリヒの頼みの綱である。
「動くな!」
モーリスは食堂車に身体を隠して半身にながらあらん限りの力で叫び。トンネルの天井めがけて拳銃を乱射した。
トンネルはモーリスの思うより頑丈で、3発の銃弾は火花を散らしながらトンネルの中を跳ね回り、ボーイを思わず立ち止まらせた。
あくまで冷静なハインリヒはボーイを抱き止めて拳銃を手に向き直り、モーリスと相対した。
「武器を捨てろ。抵抗したら撃つぞ!」
ハインリヒにはボーイを盾に銃撃戦をするという選択肢が残されていた。しかし、ハインリヒはそれを良しとせずに拳銃を捨て、ボーイから離れた。女子供は傷つけない。それが白梟のハインリヒの絶対の美学であった。
「やられたよ。降参だ」
ハインリヒは覆面を脱ぎ、被害者の誰も見る事のなかった素顔をモーリスに晒した。好き勝手に憶測で素顔を描いてきた作家達を裏切るような、何の特徴もない初老の男である。
「どうせすぐに首を切り落とされるんだ。最後に酒と煙草をやりたい。いいだろう?」
「変な素振りを見せたら撃つぞ!」
叫ぶモーリスをハインリヒは気にもしない風な態度で葉巻を胸ポケットから取り出し、マッチで火をつけてさも美味そうに吸った。
そうするうちに、トンネルからベップとリウィウスが入ってくる。
「噂の飛龍を肴に末期の酒か。白梟のハインリヒの幕引きとしては上出来だな」
振り向いてベップとリウィウスの姿を確認したハインリヒは、車両の向こうで何が起こったのか悟った。
そして、ハインリヒは懐から水筒を取り出して口を付けた。だが、その中身が酒ではない事をハインリヒ以外はまだ知らない。
「さて、盛大にやってもらおうか」
ハインリヒは葉巻を水筒の中に押し込み、敷石の上に落とした。水稲が砕けたその瞬間、葉巻の火が火薬に移り、鎖を切った時とは比べ物にならない勢いで燃え始めた。
凄まじい閃光に全員目がくらみ、リウィウスさえも思わず怯んだ。その隙にハインリヒはボーイを炎から庇うようにして突き飛ばし、拳銃を拾って風のようにリウィウスの脇を通り抜けた。白梟のハインリヒの一世一代の悪あがきである。
30キロに近いトランクを背負っているとは思えない速さでハインリヒはトンネルを突っ切り、たちまち出口に至った。しかし、そこまでであった。
トンネルの脇からグラディウスとスパルタカスが顔を覗かせ、スパルタカスがハインリヒの左脇に食らいついた。
「手下は全員捕まえた。もう諦めろ!」
スパルタカスを連れて先回りをしていたギョームはグラディウスから降り、着剣したライフルを手に苦悶の表情のハインリヒに迫る。
スパルタカスの口元には血が滲み、常人なら気絶していてもおかしくないはずなのに、ハインリヒはまだギョームを睨みつける気力を残していた。
そして次の瞬間、一発の銃声が闇夜に響いた。白梟のハインリヒは、自ら拳銃で喉元を撃ち抜いたのだ。
「おやっさん、無事ですか!?」
どうにか脱出してきたモーリスは、保護したボーイを連れてトンネルを出てきた。そこには、スパルタカスの口を離れて崩れ落ちた白梟のハインリヒの成れの果てが転がっていた。
「敵ながら大した奴だ。捕まるよりも死を選んだ」
ギョームは銃剣でハインリヒからトランクを引き離し、仰向けに転がした。スパルタカスの噛み傷が痛々しく残ったその亡骸は、血に汚れていたが信じられないほど穏やかな死に顔をしていた。
「人質は全員無事です!」
リウィウスが後ずさりしながら出てくる後ろから、車両に入ったベップが叫ぶ。
「泥棒の最期って嫌な物ですね」
ボーイにハインリヒを見せないようにしながら、モーリスはどこか寂しそうに言った。
「いや。悔しいが、美学に殉じたのだから悪い死に様でもあるまい」
ギョームは用意しておいた布をハインリヒに被せ、モーリスに見張りを命じて自らもトンネルの中に入っていった。
暫くして近隣の街から警官も駆けつけ、大捕物は終わった。線路が焼けて鉄道の運行予定が乱れたが、その他の損失は貨車の焼け焦げとロトマンの面目、そしてブレスト司令の年収ほどの金が入った財布が何処かへ消えただけである。
損害は保険で補填され、ミスリルは翌日には飛龍隊と一緒に帝都へ帰り、予定通り魔術局に納入された。
飛龍隊が白梟のハインリヒに引導を渡したというニュースは帝国のみならず世界中を駆け抜けた。飛龍隊には外国の新聞の特派員まで取材が来るようになり、陸軍省は対応に大あらわである。
この事件も『疑え!』は嬉々として記事にした。しかし、今度は作家を雇って飛龍隊の捕物を英雄物語として過分に脚色した連載小説を掲載し始めた。その時、ついに飛龍隊は世論という敵を撃退したのだ。
パレードまで1週間を切り、何倍にも増えた記者に質問攻めにされていたモーリスは、記者の中に見覚えのある顔を見つけた。モーリスにだけコメントを取っていったあの得体の知れない記者である。
「あんた『疑え!』の記者だな」
モーリスはその記者に詰め寄った。
「ええ。エドゥアール・フロケーです」
フロケーは悪びれた様子もなく笑っている。
「あんたの新聞、どこまで行っても嘘ばかりだな」
その日届いた『疑え!』には、モーリスが銃撃戦を制して人質を助け出した挙げ句のオランピアとのロマンスが掲載されていた。本物のオランピアはと言えば、ロマンスどころかモーリスに軽く礼を言っただけだ。
「うちは読者の願望を商ってるんでね」
「どういう事だ?」
「読者は税金を無駄遣いする敵よりも、英雄を求めてる。だったらそれに応えるのが私の仕事というわけだ」
モーリスは呆れて言葉も出ない。新聞は真実を伝えるのが仕事だとモーリスは信じていたのに、フロケーの言う事は全く逆なのだ。
「あんた方に引っ付いてると儲かりそうだ。今後ともよろしく頼みますよ、色男の少尉殿」
フロケーは呆気に取られるモーリスにそう言い残し、記者の群れの中に消えた。
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