第16話 大列車強盗

 飛龍隊の面々は昨夜食事を届けてくれたレストランで市長の開いたささやかな立食パーティーに招かれた。


 ロトマンの贅沢の極致のようなフルコースに比べればテーブルに並んだ料理は素朴であるが、心尽くしと言うのは美味い物だ。


「いやあ、飛龍というのは凄いものですな。いずれ警察にも欲しい」


「警察で飛龍の出る幕がそんなにありますかな?」


「いやいや、あの大きな飛龍が飛んで行くだけでも市民は喜ぶし、犯罪者は恐れおののく。防犯になるのです」


 ヴァルニエ署長はブレスト司令に警察における飛龍の可能性を説いてご機嫌である。山狩り部隊がハインリヒ一味を捕えたという知らせが届けば後は完璧だ。ヴァルニエ署長のキャリアにおける最大の手柄が事実上約束されているのだ。


「頭、こいつはちょいと時間がかかりますぜ」


 だが、ハインリヒの一味は今やロトマンから現金と貴金属を根こそぎ奪い取り、メインディッシュであるミスリルの入ったトランクの鎖と金鋸で格闘していた。


 トランクを切り離し、下見しておいた適当な地点で列車から飛び降りれば仕事は完了である。だが、ミスリル製の鎖は鉄のそれのようには簡単に切れそうもない。


「交代しながらじっくりやれ。時間はある」


 ハインリヒは食堂車から持って来させた椅子に座り、銃口を人質の列の端から端まで往復させながら覆面越しに不気味な笑みを浮かべた。人質は改めて全員簀巻きにされた上で目隠しをされ、いよいよ身動きの取れない状況である。


「何度でも言うが、変な気は起こすなよ。命ってのは金で買えないからな。もっとも、豚の旦那、あんただけは無駄な抵抗をしてくれると俺も嬉しいし、世間の人も喜ぶんだがね」


 ハインリヒは延々と飽きる様子もなくロトマンを罵り続ける。既に拘束されて1時間を超えているというのに、この荒くれ者の頭にはどれだけ敵を罵る言葉が詰め込まれているのかと人質達は恐ろしくなってくる。


 その時、オランピアが猿ぐつわの奥から声にならないうめき声をあげて暴れ始めた。


「やい淫売、頭の言ってる事がわかんねえのか!」


 ハインリヒの後ろで同じく銃を持って控えていた手下の一人が凄む。


「こら、女ってのは丁寧に扱え。それが出来ねえ奴は男として失格だぜ」


 ハインリヒは手下を制すると銃を持ったまま器用に片手でオランピアの猿ぐつわを解いた。


「その、お花を摘みに行かせてよ」


「そんな事だろうと思ったよ」


 オランピアの小声の願いをハインリヒは聞き入れ、オランピアの拘束を解いた。


「お嬢さん、ちょいと無粋なネックレスを着けてもらいましょうか」


 ハインリヒはオランピアの首にロープを巻き、女の力では絶対にほどけないように厳重に結びつけた。


「さて、エスコートしましょう」


 ハインリヒは散弾銃を拳銃に持ち替え、首に縄を付けたオランピアを客車の入り口にあるトイレに入れた。縄があるのでドアは半開きである。


「覗かないでよ」


「そんな無神経じゃないさ」


 ハインリヒは返事をしながらオランピアの首のロープを軽く引っ張った。引っ張れば引っ張る程縄が締まるようになっている。おかしな素振りをすれば苦しい思いをさせてやるという警告である。


 首を襲う不気味な感触にオランピアは身震いしながら、最新式の水洗トイレの便器に座ってポケットを探った。そこには記憶通り、口紅とハンカチが入っている。


 オランピアは貧しい家の生まれだが、美貌と機知を頼みに次々と男を乗り換えてロトマンの愛人まで上り詰めただけに、悪知恵と度胸があった。


「ちょっと長くなるわよ」


「そのあたりは詮索なしでいこうや」


 ハインリヒに悟られないようにおっかなびっくり会話をしながらオランピアはハンカチに口紅を走らせ、天井近くの鎧戸に視線を向ける。外は一面夜の闇である。


 メッセージを書いたハンカチに口紅を包んで結び、オランピアはひたすら待った。恐ろしく長く感じられる時間が過ぎて後、遂にその時が来た。


 この列車は帝都まで直行だが、郵便車が連結されていて、駅が近づくと減速してホームで郵便袋をやり取りする。そして、このあたりの田舎に夜の灯りと言えば駅のホームのランプだけだ。


 オランピアは駅のホームが近づいた瞬間を見計らってトイレを流し、その音に紛れて鎧戸の隙間からハンカチを車外へと落とした。そして、誰かが気付いてくれることを願いながら再び縛られてベッドに転がされた。


 幸運なことに、名高いロトマンの特別車が通るというのでホームで見物していた若いポーターが鎧戸から白い何かが零れるのを目の当たりにした。


 ポーターが線路の側に落ちたその白い布包みを取って解くと、高価そうな口紅を包んだ何やら赤い字の書かれたハンカチである。


 字の読めないポーターはしばらくそれを不思議そうに眺めていたが、通りがかった駅員はそれを覗き見ると顔色を変え、ハンカチをひったくって大慌てで駅長室へと走っていった。


 帝国に広がる鉄道網には電信線が並走していて、駅には電報局が併設されている。鉄とガラスの街からこの駅に列車が至るまで2時間半だが、電報は逆のコースを一瞬で駆け抜ける。


 駅に届いた電報を係員が台紙に書き止め、龍隊達の居るレストランまで配達夫が走り、配達夫がヴァルニエ署長を見つけ出し、急転直下の事態にヴァルニエ署長が泡を食って駅に駆け込むまでに30分である。


「この駅です。この駅のホームで『寝室で6人の強盗に全員縛られている』というメッセージが専用車から落とされました」


 テーブルに広げた地図を前にヴァルニエ署長がパニック寸前の有様でまくしたてる。


「至急列車を止めて警官隊を…」


「この列車は帝都まで直行だ。列車を止めればハインリヒ一味はすぐに気付いて、田舎の警官くらいならわけもなく殺して逃げるおおせる」


 バクストが意地悪い口ぶりでヴァルニエ署長を制する。


「連中が抵抗しない者を殺さないのは確かだが、その一方で殺した官憲の数は我々の知る限りでも50人を超えている」


 バクストの言葉に一応末席で話を聞いていたテオドラは思わず顔をそむけた。


「しかしバクスト局長、どうすれば…」


 2人のやり取りをしり目に地図を睨みながら線路の行く先を指でなぞって辿っていたブレスト司令は、ある地点で指を止めた。


「駅長、この地点への列車の到着時刻は?」


 口を出すことが出来ずにおろおろしながら各駅との連絡に追われていた駅長にブレスト司令は訊ねた。ブレスト司令の指先には山を貫く300メートルほどのトンネルがある。


「定刻通りですと約90分後です」


「ふぬ、なら飛龍で飛んで行けばに間に合うな」


「ブレスト閣下、飛んで行ったところであなた方は所詮軍人であって、門外漢だ」


「列車が定刻通り動いているという事は、ハインリヒはまだ我々が感づいたのを知らないはず。そしてミスリル製の鎖は容易に切れないし、ロトマン氏は連れて歩くには邪魔になり過ぎる。つまり、時間的な余裕はある」


「まさか、時間が解決してくれるなどと言う気ではないでしょうな?」


「飛龍で上から列車に乗り移り、車両を切り離してこのトンネルで止める。そして両側からトンネルを塞げば間違いない。これなら列車ごと止めるよりも気付くのが遅れて時間が稼げる」


「馬鹿馬鹿しい!」


 バクストはついに怒り出した。


「列車に空から乗り移る?サーカスじゃあるまいし。第一、この新月の闇夜に間違いなくこの地点に到着できるわけがない」


「バクスト局長、あなたは所詮警官であって、軍人ではないでしょう?」


 ブレスト司令はバクストを一喝した。


「我々飛龍隊には星を頼りに飛行し、列車に乗り移る事の出来る男が居るのです」


 ブレスト司令は拳でテーブルを叩くと、悠然と歩いてモーリスの前に立った。


「エスクレド。頼むぞ」


「やります!」


 モーリスは駅長室のガラスが震えるほどの大声で答え、敬礼した。


「エスクレド、船乗りの腕の見せ所だぞ。大丈夫だろうな?」


 大慌てで飛龍に鞍を乗せ終えたギョームはエスクレドに言った。こんな危険な任務は自分が代わってやりたいと思ったが、ブレスト司令の指名とあれば逆らえない。これはモーリスに花道を作ってやろうという計らいに違いないのだ。


「月はない分、星や下の明かりは良く見えます」


 モーリスは空を見上げて平静を装いながら答える。不思議と死の恐怖は感じなかった。


「俺の拳銃も持っていけ。撃ち合いになりそうだからな」


「おやっさん、ありがとうございます」


 モーリスはギョームの差し出した拳銃を敬礼して受け取り、飛龍に跨った。


「飛龍隊に、敬礼!」


 ヴァルニエ署長を先頭に整列した警官と駅員の敬礼に見送られ、飛龍隊は飛び立った。


「失敗したら責任を取る覚悟はあるのでしょうな?」


 飛龍が見えなくなったのを見計らってバクストはブレスト司令に鼻と鼻が触れるほどに詰め寄ってその左目を睨みつけた。


「私の命で償えば、陛下も国民も文句は言わんでしょう」


 ブレスト司令は一歩も引かずにそう言ってのけた。あの砂漠で一度は捨てた老い先短い命である。それで話が済むなら安い買い物であった。


 飛龍乗り達は鞍に下げたランプを頼りに高度1000メートルまで上昇し、モーリスの先導で目標のトンネルめがけて全速力で飛んだ。船と違って潮に流される心配はないが、観測器もなく、方位磁針は揺れで全幅の信用を置けないので、モーリスの勘と経験が最後は頼みである。


 モーリスは針路を外さないように風と星、地図と眼下の街の灯りに全神経を集中させ、頭を上下させながら無我夢中で手綱を操る。高度1000メートルから見る星空は、船の上から眺めるそれよりも数段美しく、眩しく思われたが、それを楽しんでいる余裕は無い。


 星と地図は正しいと告げていたが、モーリスには正直な所自信がなかった。極度の緊張の中で60分ほども飛行し、ついに目標の山と列車の煙突の火を発見した時には軍服がじっとりと汗で濡れて重くなったような気さえした。


 モーリスはランプを手に取って円を描いて合図し、ランプの火を吹き消して一人高度を下げた。残る3人は任務の成功とモーリスの無事を祈り、心中で十字を切った。


 最初は赤い点に過ぎなかった列車だが、高度を下げるにつれてその長い鉄の塊の輪郭がモーリスの目に映し出される。専用車は窓を閉め切っているらしく、ステンドグラスがぼんやりと光る他はほとんど明かりは見えない。


 モーリスは列車の真上と並行して飛びながら命綱を解き、列車が直線に差し掛かったのを見計らって高度をギリギリまで下げ、翼を広げて滑空姿勢に入ったスパルタカスの首を撫で、覚悟を決めて鉄鉱石の山に身を投げた。スパルタカスを着地させなかったのは、ハインリヒよりも機関士に知られることを嫌ったからである。


 硬くてごつごつとした鉄鉱石にモーリスは仰向けに飛び込む形で着地した。寝心地は最悪だが、生きているという実感がモーリスには心地良かった。

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