第15話 飛龍が列車でやってくる

 飛龍隊を乗せた列車は帝国のほぼ東半分を走破し、夜8時過ぎに鉄とガラスの街の駅に到着した。鉱業と特産のガラス細工で名高いこの地方都市は、これから始まる大捕物が嘘のように平和に明かりを灯している。


「飛龍隊の皆様、ようこそ鉄とガラスの街へ」


 当地の警察署長、ヴァルニエ署長が操車場で出迎えてくれた。秘密を守る為に出迎えは私服のヴァルニエ署長だけである。


「近衛飛龍隊司令、マルセル・ブレスト少将です」


 敬礼したヴァルニエ署長に、ブレスト司令と飛龍隊一同は返礼した。


「名高い稲妻ブレスト閣下にお会いできて光栄です。山狩りの準備は万端に整っておりますが、そこに飛龍隊の助力があれば百人力です」


 いかにも田舎の警察署長らしく誠実そうで、少し東部訛りのあるヴァルニエ署長は、バクストの嫌そうな顔と裏腹にどこか嬉しそうである。


「そっちに乗っているのが飛龍ですか?いやあ、大きなものですな。これが飛べばいかに白梟のハインリヒでも恐れをなして手出しはできんでしょう。とにかく、場合が場合なので大したもてなしもできませんが、ゆっくり休んで明日の仕事に備えて下さい」


 ヴァルニエ署長の計らいで街で一番というレストランから食事が届けられた。飛龍隊は寝台車で睡眠を取り、ついに翌朝の任務を迎えた。


 午前中には帝国東部鉱山会社社長、オーギュスト・ロトマンは採掘地に到着し、予定通り正午に7月分の生産量全てにあたる22キロのミスリルを詰め込んだトランクを手錠で自らの左手に繋ぎ、馬車に乗り込んで山道を下り始めた。


 トランクも手錠もミスリル製であり、鍵はすぐに炉に投げ込まれて処分される。馬車の周りは完全武装で馬に乗った傭兵が取り囲み、守りは万全である。


 更に操車場から飛び立った軽飛龍と重飛龍が2頭ペアを組み、30分交代で馬車の上空を旋回しながら護衛する。


 その間に300人の警官と猟師が密かに山に入った。山を取り囲むようにして上へ上へと捜査網を狭めていけば、どこかで隠れているハインリヒの一味が引っかかるというのが警察の考えであった。


 飛龍が飛ぶというので鉄とガラスの街の人々は大騒ぎで、山と操車場を往復する飛龍を見ようと大通りは鈴なりの人だかりである。


「エスクレド、私達は君の思うより人気者らしいぞ」


 ギョームとベップのペアに交代し、操車場に降り立ったジャンヌは上機嫌でモーリスに言った。操車場は暗幕と警官隊が囲っているが、それでも近くで飛龍を見たい人々がやって来て警官達は対応に追われている。


「しかし、ハインリヒはあんな厳重に守られた馬車を本気で狙う気か?」


 モーリスはスパルタカスに水を与えながら言った。馬車は鉄板で装甲され、20騎の傭兵が着剣したライフルを手に取り囲んでいる。モーリスにはどう頭をひねっても怪我人を出さずにミスリルを奪い取る方法が思いつかない。


「相手は大盗賊だ。アペニンでは銀行の馬車を落とし穴に落として金貨を50キロも盗んだと聞いたぞ」


「にしたって、今度はそんな隙があるか?」


「とにかく私達は空から見張ってればいい。何かあったらこいつが物を言う」


 ジャンヌはベルトのホルスターから拳銃を抜いて、苦笑しながらすぐに収めた。これで人を撃つというのはどうにも実感がわかないのだ。所詮はジャンヌもまだ戦場を知らない新米将校である。


 装甲で重たい馬車が市街地に入るまで5時間を要した。街に入ると警官も護衛の列に加わり、いよいよハインリヒの付け入る隙は見当たらない。


 結局駅に着くまでに被った被害と言えば、馬車の重さで道路の石畳がいくらか壊れたのと、ロトマンが汗だくになったくらいであった。


「いや、飛龍隊と警察の方々のおかげでこうして無事に駅まで着けた。ロトマン家を代表してお礼申し上げます」


 ロトマンはビヤ樽のように太った巨体を揺らしながら飛龍隊と警官に礼を述べ、左の手首と長い鎖で繋がったトランクを護衛に持たせ、オランピアなる派手な身なりの愛人とモズレーという従者を引き連れて、貨物列車の最後尾に連結された専用の特別車両に悠然と乗り込んでいった。


 帝都を経由して北部沿岸の製鉄所に向かう列車は機関車を先頭に、駅毎に郵便をやり取りする郵便車が一両、そして鉄鉱石を満載した貨車を目一杯連結し、お付きのシェフを筆頭にコックとボーイを揃えたレストラン並みの設備を揃えた食堂車、最後尾に豪勢な客車が続く。


 客車には2人部屋の二等寝台が4室、奥の3分の1が一番贅を尽くして作られているロトマンの専用室である。


「何だか大聖堂が走ってるみたいですね」


 ホームを離れていく専用車を見送りながら、モーリスは隣のギョームに耳打ちした。最高級の木材で作られた専用車はそこら中に細密な彫刻がぎっしりあしらわれ、天井に至ってはロトマンの寝室にあたる部分がステンドグラスになっている。飛龍隊が乗ってきた古びた寝台車とはとても比べ物にならない。


「陛下のお召列車より贅沢だ。ハインリヒが最後の相手にと狙うのも分からんではないな」


 ロトマン家は星派の大富豪で、帝国の財政界に隠然たる影響力を持っている。


 オーギュスト・ロトマンはロトマン家でも派手好きで知られ、この専用車で愛人とともに行く先々で豪遊するので有名であり、労働者階級からは顰蹙を買っていた。ギョームも任務とは言え内心では面白くはない。


「さあさあ、ささやかではありますが、会食の席を用意しております。市長も皆様に会いたがっていますよ」


 それを察してかヴァルニエ署長は気の利いた事を言う。もはやハインリヒの逮捕は時間の問題であり、この歓待を断る理由は飛龍隊にはなかった。


 一方、車中の人となったロトマンもオランピアと二人、食堂車で豪勢な夕食を囲んでいた。


 ボーイと従者に給仕をさせ、食前酒にはよく冷えた北東部産のスパークリングワイン、そして前菜から始まってスープ、東部国境産の川魚のスフレ、南西部産の最高級牛肉のステーキ、わざわざ氷の塊を持ち込んで用意された新鮮で冷たいシャーベット、サラダ、フルーツと続き、挽きたてのコーヒーに終わるフルコースである。


 ロトマンは料理そのものよりも、列車に乗りながら帝国全土の美酒美食を集めて贅を尽くした食事を取る贅沢が出来る自分に酔っているふしがある。この一食で鉱山労働者の月収程の金がかかっていた。


 そして、今夜は白梟のハインリヒの鼻を明かしたことが何より嬉しい。金と周到な準備があればこの世に不可能は無いと満天下に証明したようにさえロトマンには思えた。


「ねえパパ、帝都に着いたら宝石を買ってくれる?」


 向かいの席に着いたオランピアがワイングラスを片手に猫なで声でロトマンに囁く。親子でも通るほど歳の差のあるロトマンの寵愛を受けるこの元高級娼婦は、ロトマンに買わせた巨大な宝石を身体中に光らせて尚飽くことを知らない。


「おお、勿論だ。このブドウの粒より大きなダイヤモンドでも買ってやるぞ」


「嬉しい!パパ大好き」


 ロトマンお付きの従者であるモズレーはこのやり取りに思わず渋い表情を浮かべた。もとより女狂いの悪評があるロトマンのオランピアへの入れ込み方はほとんど病的で、ねだられるままに恐ろしい大金を浪費するのが本家でも問題になっていた。しかも、この手の愛人がロトマンにはまだ他に何人も居るのである。


「その代わり、今夜は寝かさないぞ」


「やだぁ、パパったら」


 ロトマンは目を血走らせながらオランピアの手を取り、奥の寝室で思う様彼女を堪能するのを想像して鼻息を荒げる。この為にロトマンは左の袖をボタン留めにした、手錠を付けたまま脱げる服を誂えて着ていた。


 この生臭い光景を給仕しながら見せつけられるまだ子供のボーイにしてみれば、ロトマンのその醜態はおぞましくもあり、またオランピアのような美女を思うままにできるのは羨ましくもあった。


 彼らはこのまま使用人として働いていても結婚さえおぼつかない身の上であり、それが貧しい労働者階級の現実である。この列車には帝国が繁栄の裏で抱える矛盾が乗っていた。


「さあ、行こうか」


 席を立ったロトマンは発情しているとしか言いようのない有様でオランピアに後ろから抱き着き、じゃれ合いながらトランクを持ったモズレーを従えて客車への扉を開けて寝室へと続く通路を歩いて行く。モズレーもこの男に仕えるのが嫌になることがしばしばあった。


 だが、その時事件が起きた。客車の上に張り付いて機会をうかがっていた白い東方風の頭巾で顔を隠した男が客車の扉を散弾銃を手開けたたかと思うと、3人に銃口を向けて叫んだ。


「全員動くな!」


 ロトマンは指示を守れず思わず振り向いた。その時には既に白頭巾の男は3人に増えていて、全員が銃口を自分の方に向けているのに気付き、危うく気を失いそうになった。


 白梟のハインリヒは警戒の厳重な山道での襲撃は不可能と読み、いつもの手口を捨てて大胆にもどこからか列車に飛び移ってきたのだ。


「この盛りのついた豚を殺されて失業したくなきゃ、全員丸腰で出てこい!白梟のハインリヒを拝ませてやるぞ」


 自ら名乗ったハインリヒは、寝室から出て来た4人の護衛を手下に調べさせ、武器を持っていないのを確かめてから後ろ手に縛って猿ぐつわを噛ませ、全員を奥の寝室に放り込んだ。


 間もなく食堂車のスタッフもこれに加わり、総勢10人が寝室に転がされた。対してハインリヒの一味は総勢6人である。


「さて、豚の大将、お宝をあんたから切り離す間に、あんたの持ってる金を頂戴しましょうか?」


 手下の一人は金鋸を取り出してトランクの鎖と格闘し始め、残りの手下は食堂車と寝室を物色する。ロトマンは猿ぐつわを外してもらったものの、あまりの事に呆気に取られて言葉が出ない。


「おい、金なんて物は持って死ぬことはできねえんだぞ」


 たじろいでいるロトマンの額をハインリヒは銃口で小突きながら凄む。芝居や小説よりもハインリヒは数段乱暴で粗野である。


「モズレーに全部預けてある。モズレーの懐だ!」


 ロトマンは恐怖に半ば叫ぶようにしながらどうにか答えた。手下はこれを聞くやモズレーの服を探り、手の切れるような新札の束の入った分厚い財布を奪い取った。手下達はこれだけでもう息を呑んでしまうような大金である。


「頭、てっきり銀食器かと思ったらこの野郎、アルミニウムを使ってますよ」


 そうしていると食堂車を物色していた手下が食器を残らず入れた麻袋と、ロトマンが飲み残したスパークリングワインのボトルを手に戻って来た。


 アルミニウムは近頃ようやく大量生産ができるようになったばかりの新素材で、銀よりも高価であり、特権階級の間で食器に使うのが流行っている。


「ふざけやがって。皿に乗せる食い物にもありつけねえ人間が世の中にどれだけいるか、手前一度だって考えた事があるのか?」


 ハインリヒは麻袋の中からフォークを取ると、ロトマンの目玉に突きつけた。ロトマンは恐怖のあまりついに失禁した。


「いいか?悪あがきしやがったら生きたままローストポークにして犬に食わせてやるぞ」


 ハインリヒはフォークをベッドの木枠に突き刺して脅し文句を食らわせ、手下からワインボトルを受け取ると、直接口を付けて一気に呷った。


「よく冷えてやがる。貧乏人の生き血で膨らんだ冷血野郎だけあって、冷えたワインが好きらしいな」


 ハインリヒはロトマンに嫌味を言って手下にボトルを返すと、手下たちは次々とワインを回し飲みしていく。これは一足早い勝利の美酒であった。

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