真夜中の飛龍乗り

第14話 ハイウェイマンを追え!

 モーリスの運命をテオドラのカードが導き出したその夜、ブレスト司令は不在であった。今や世論を敵に回しつつある飛龍隊の今後を話し合う為に帝都に泊まり込みである。


 翌朝、あまり有り難くない記事の載った新聞と一緒にブレスト司令は定期便の荷馬車に乗って帰ってきた。


 ブレスト司令は客人を伴っていた。ブレスト司令と同年代の鋭い目つきと禿頭の特徴的なその小男は、帝国警察の切れ者と名高いバクスト情報局長である。


「帝国警察として正式に、近衛飛龍隊に協力を求めたい」


 会議室に集められた飛龍乗り達を前に、バクストは言葉と裏腹の明らかに不服そうな表情を浮かべながら言った。


「白梟のハインリヒの逮捕に協力して欲しい」


 その名前を聞いた瞬間、飛龍乗り達の表情が変わった。二日酔いで元気のないモーリスさえもいくらか正気を取り戻したように見える。


 白梟のハインリヒは、街道を往来する旅人を馬に乗って襲うハイウェイマンと呼ばれる類の盗賊である。


 だが、ハイウェイマンというのは道路と警察網の整備とともに殆ど姿を消してしまった古い手口である。最後のハイウェイマンと呼ばれているのが他ならぬ、ハインリヒとその一味であった。


 ハインリヒは神出鬼没にして大胆不敵、抵抗しない者と女子供は決して傷つけず、悪どい金持ちしか狙わない義賊として、大陸において生きる伝説と化している。


「東部国境の鉱山から帝都に運ばれるミスリルを狙っていると、ハインリヒの愛人から密告があった」


 帝国の東部国境は鉄と石炭が豊富に産出する鉱山地帯で、今のところ大陸で唯一の高品位のミスリルが採れる鉱床がある。


 ミスリルは鉄の半分程の軽さで強度は鉄の数倍、そして多大な魔力を含有していてる。帝国魔術局がその強度や魔力を活かせる用途を模索して急ピッチで研究を進めている最中である。


 ミスリルは魔術局が派遣した錬金術師によって現地の特殊な炉で精錬され、毎月僅か数十キロの産出量の全てが帝国に買い上げられて帝都の魔術局に納入される。その公定価格は実に金の20倍にも及ぶ。


「奴は足のつかない現金と貴金属しか狙わないと聞いていますが、今回に限ってミスリルのようなすぐ足のつく物を狙うのはどういうわけです?」


 ギョームがバクストに質問を投げかけた。


「愛人の証言によると、ハインリヒはこの仕事が終わったら足を洗って新大陸へ高飛びするつもりだそうだ」


「新大陸で諸外国に売り込めば、公定価格の更に10倍でも買う国はいくらもあるでしょう。何しろ魔術の分野で遅れている他国においてミスリルは製鉄所で僅かに副産物として得られるのみで、キログラムではなくグラムで量る貴重品でありますから…」


「とにかく、警察としては白梟のハインリヒの勝ち逃げと、ミスリルの流出は何としても阻止せねばならない」


 バクストはベップの言葉を遮り、テーブルに広げられた鉱山近辺の地図を指示棒で叩いた。


「ミスリルの採掘口はこの鉱山地帯の外れの位置にある。東部鉱山会社の雇った一個小隊程の傭兵が守っているが、問題は鉄道駅に続くこの20キロの山道だ」


 バクストは麓の『鉄とガラスの街』へ続く曲がりくねった道を指し示す。


「ここを鉱山会社のロトマン社長自らミスリルを持って馬車で運ぶわけだが、それを空から諸君ら飛龍隊に護衛してもらいたい」


「飛龍が飛んでいてはハインリヒの一味は出てこないのでは?」


「そこが我々の狙いだ」


 バクストはジャンヌの質問に語気を強め、青い駒をいくつか取り出して地図上に並べた。


「飛龍隊が飛び始めるのと同時に一帯を包囲して山狩りを行う。馬車が無事街まで着いたらあとはこちらの仕事だ」


「ミスリルの輸送は明日正午。帝都から鉄とガラスの街行きの列車に乗る為、本日正午より帝都まで飛行する。諸君らはよく準備しておくように」


 例にもよってブレスト司令が結んで会議はお開きとなる。これはパレードに先んじての実戦任務であり、飛龍隊が単なる無駄飯喰らいではないと証明する格好の好機である。


「いいか、場合によってはハインリヒ一味と一戦交えんとも限らん。全員覚悟を決めろ」


 詰め所で銃の手入れをしながらギョームは久々の闘いの気配に興奮を隠せない。


「大尉、エスクレドが二日酔いで任務に耐えられる状態ではありません」


 モーリスは連日の深酒で元気がない。ジャンヌの目にも明らかに危険な状態である。


「それなら心配いらん。アハメド先生に頼んである」


 満面の笑みのアハメド医師が待ってましたとばかりビールジョッキを手に現れた。ジョッキの中には何やら深緑の液体が入っている。


「さあエスクレド、これを一気に飲め。私の特製カクテルだ」


 アハメド医師に言われるままモーリスは青臭いジョッキの液体を一気に飲み干した。何事もないのでモーリスは不思議そうな表情をしていたが、その次の瞬間、目を白黒させて悲鳴をあげながらジョッキを取り落としてぶっ倒れた。


「先生、何を飲ませたんです?」


 テオドラは喉を両手で押さえながら悶絶するモーリスを抱え起こし、それを見て大笑いするアハメド医師に怪訝な視線を向けた。


「各種の薬草と香辛料を調合した気付け薬だよ。そいつを飲ませればモルヒネで寝ている負傷兵でも飛び起きる」


「よほど強烈な刺激性があるようですが、飲んでしばらくはそれを感じさせないのは流石にアハメド医師ですな。今度私にも是非調合法を…」


「エスクレド、カクテルの感想はどうかね?」


 そこへやって来たのがブレスト司令である。


「死ぬかと思いました」


「私が飲んだ時もそうだったよ。だが、正気を取り戻したらしいな」


 モーリスは自分がちゃんとブレスト司令に対して直立不動の姿勢を取っていることに気付いた。カクテルは効いたのだ。


「諸君、この任務は飛龍隊の置かれた苦境を慮った陛下の肝煎りで警察にねじ込んでもらった任務だ」


「陛下が!?」


 ギョームの驚きは飛龍隊全員の代弁であった。バクストの不服そうな表情にはそんな裏があったのだ。


「エスクレド、君には特に陛下からメッセージを預かっている」


 ブレスト司令は手に持っていた豪奢な封筒を手渡した。それを受け取るモーリスの手は震えていた。


「開けてみたまえ」


 促されるままモーリスは蜜蜂の紋章の封蝋を切ると、封筒の中からは一枚の分厚い便箋が現れた。


『帝国の背骨、帝国の将来、モーリス・エスクレド少尉の奮闘努力を期待する』


 簡潔な、しかし重たいメッセージが皇帝レオ三世の署名とともに便箋に躍っている。


「エスクレド、君は下品な新聞の為に飛ぶのではない。国家の為に飛ぶのだ。やれるな?」


「やります!」


「よろしい!それでこそ親衛隊将校だ」


 モーリスは皇帝の励ましに生来の元気を取り戻し、飛行の準備に取り掛かった。


 間もなくブレスト司令とバクスト、そしてテオドラは馬車で帝都へ先発し、遅れて準備を整えた飛龍乗り達は完全武装で飛龍に跨り、演習地に整列した。


「神の御加護のあらんことを」


 地上班やその家族が見守る中、コクトー神父が飛龍と飛龍乗りに祝福を授け、それに飛龍乗り達は敬礼で答えて次々と飛び上がった。


 パレードの予行演習も兼ねて横一列で本番と同じ飛行ルートで帝都へ向かった飛龍隊は、目的地である鉄道駅前の広場に地響きとともに着陸した。


 警官隊が取り囲んでスペースを作ってくれたが、その周りは噂の飛龍を一目拝もうと帝都の人々が群がって、終わりの見えない人だかりである。


「これより飛龍は貨車に乗り込む。フークの指示に従い、遅延を起こさないように」


 出迎えたブレスト司令の指示に従い、飛龍乗りは4両の無蓋貨車に飛龍を乗り込ませた。人の方はその前に連結された、臨時の指揮所を兼ねた寝台車に乗り込む。


 間もなく、飛龍達を乗せた機関車は汽笛を響かせ、もうもうと蒸気を吐きながらその巨体をゆっくりと、しかし確実に鉄とガラスの街目掛けて動かし始めた。何事もなければ夜には到着するはずである。


「バクスト局長、あの白梟のハインリヒが愛人に売られるというのもどこか間抜けな話ですが、情報は確かなのでしょうな?」


 揺れる車内にバクストと向かい合って座ったブレスト司令は、パイプをくゆらせながら念を押した。


「その女はハインリヒに他に20人も女が居ると知って、嫉妬に狂って警察に駆け込んだのです。女は犯罪者の大敵ですからな」


「けど、ハインリヒって言えば人気者ですよ。捕まえたこっちが悪者になるって事は…」


 モーリスは元気を取り戻したが、今度は自分たちの仕事がどう世間に評価されるか気にかかる。


 ハインリヒがひと仕事すればたちまちその事件を題材にした芝居や小説が書かれ、被害者はハインリヒに狙われるだけの悪どいことをしていると見なされて多くが破産していた。


「エスクレド!奴は所詮は断頭台に食われる運命の泥棒だ。世間が何を言おうと俺達が正しいんだ」


 ギョームが弱気に陥りかけたモーリスを励ます。


「大尉の言う通り。義賊など言っても平和を乱す悪党に過ぎないんだ。我々は警察と協力して任務を完遂するだけだ」


 ジャンヌが続く。飛龍隊にしてみれば、モーリスを守る事もまたハインリヒの逮捕と同じくらい重要な任務であった。


「エスクレド君、あの群衆を見たでしょう?彼らは皆我々に期待を抱いていたのが明白です。それに、義賊と称される犯罪者は治安維持の観点から言えば単なる犯罪者以上に国家秩序への悪影響が…」


 ベップの理詰めの説得はモーリスにはよくわからなかったが、とにかく、モーリスは自分を皆が心配してくれるのが嬉しかった。


 それを見ていたテオドラは手元のタロットカードの中から月のカードを探し当ててモーリスに見せて微笑む。モーリスはまだテオドラの占いを信じる気にはなれなかったが、とにかく任務に集中する態勢は整った。


「まあ、警察としてはあなた方に足を引っ張られないように願うばかりです」


 バクストは話の腰を折るような嫌味を言った。バクストにしてみれば飛龍達に手柄を横取りされるようなもので、この件は面白くないのだ。


「バクスト局長、警察と軍隊は同じ皇帝陛下に仕えて国家を守る使命を帯びた、言わば兄弟ではありませんかな?」


 部下達のやりとりを黙って聞いていたブレスト司令は視線を上げてバクストを見つめ、静かにそう言った。


 バクストは自らをじっと見つめるブレスト司令の左目を前に、背筋に冷たいものが走るのを感じた。バクストと相対しているのは百戦錬磨の英雄、稲妻ブレストなのだ。

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