第6話 博士の異常な軍歴

 帝国砲兵工廠は新型砲の試験射撃の最中である。射撃の度に工廠の古い建物は震え、天井から埃が落ちる。


 揺れと製図机を相手に格闘するその男の風体はあまりに異常であった。白衣の上から奇妙な装置をベルトで腰に巻き、その装置から蝙蝠傘が伸びているのだ。


 砲撃による埃は蝙蝠傘に落ち、製図机の図面は綺麗なままである。傘の軸には重りが下がっていて、のけぞらない限り傘は垂直を維持する仕組みになっている。これはこのベップ・ファン・クルチウス博士が8歳の時に発明した装置であるという。


 ベップは殆ど職人芸のようなスピードでみるみるうちに何やら図面を描き上げていく。1枚に5分とかからない。それが立て続けに傍らの籠に丸めて押し込まれ、もう30枚目である。


「博士、居られますか?」


 助手代わりの従卒、レネ・リシャール一等兵が揺れる廊下をどうにか渡ってきた。


「ああ、リシャール君。良い所に来てくれました。その図面を工作部に届けてもらいたい。あと3往復はしてもらう事になるでしょう」


「これ、砲車ですか?」


 リシャールは字が読めない。だからベップの描く図面を眺めるのが好きであった。ベップはこの所、新型の砲車の設計に取り組んでいた。


「そうです。新型砲は威力も重量も増す。となれな砲車も強度を高めなければいけない反面、極力の軽量化が必要になります。木材も近頃は大径の物は入手困難であり、これからどんどんその傾向が加速するでしょう。補給の観点から言っても…」


「あの、図面は届けておきますが、所長がお呼びです」


 ベップの恐ろしく長い講釈はこうして遮られるのが常だった。止めないと死ぬまで喋り続けるとベップを知る人は噂した。


「所長が?それならもう3枚ばかり描き上げてから行くので、図面の方を頼みます」


「了解しました」


 リシャールは図面が詰まった背負紐の付いた籠を背負い、部屋を出ていった。


 3枚とは口ばかりで、結局次の籠を一杯にしてベップは研究室を出た。所長室は工廠の反対側の本部にある。ベップは例の傘を日傘代わりに、道行く人を驚かせながら所長室へと悠然と歩いて行った。


「やあ博士。素敵な傘だな」


 あろうことかベップは傘を畳んで背負ったままで砲兵工廠所長、ジョルジュ・サン=クール少将と対面した。しかし、そんなベップの奇行をサン=クール少将は日頃楽しんでいる。


「それで所長、ご用件とは何でしょう?帰りの時間も考慮すれば、既に例の砲車の試作案20案分程も時間を使っておりますので、手短に申し上げていただかないと所長の職務上不利益が…」


「あの砲車が博士のうちでの最後の仕事になる。残念ながら、皇帝陛下が博士を寄越せとおっしゃって来てな」


「帝立研究所は嫌ですよ。あそこの人達は意地悪で。心理学的に言ってもやはり権威を持った人間はどこか対人関係にひずみが…」


「博士のような才能を我が砲兵工廠が手に入れたのはまったくの幸運だったが、それも終わりだと思うと寂しいよ。だが、安心してくれたまえ。研究所ではない」


「すると皇族のどなたかの家庭教師でも?その職務は学識より第一に教える能力を主眼に選ぶべきであって、私は明らかに不適格かつ人的資源の浪費でありますし、名目上は新十字派ですので帝室の権威が正統十字派の宗教的権威に基づいている事実と照らし合わせますと…」


「それも違う。博士、君は飛龍に興味はないかね」


「飛龍?銀嶺山脈の個体群の保護政策は実を結んでいるそうですので、生物学の博士号を持つ身の上としては喜ばしい話ではありますが、経済学士としての観点から言いますと費用対効果にはかなりの問題が…」


「前から聞こうと思っていたんだが、博士は一体いくつ博士号を持っているのかね?」


 サン=クール少将の疑問は帝国の知的階級における定番のジョークの種であった。


「帝国で取得した分だと博士号は6つ、学位は11です。15歳の時に化学博士になったのを皮切りに、その翌年には…」


「その全部が役立つやり甲斐のある仕事だ。博士、この度正式に少尉に任官して、新設される近衛飛龍隊で飛龍に騎乗し、実戦部隊として確立させる任務を務めてほしいというのだ」


「それは興味深い!」


 ベップはサン=クールのテーブルを両手で叩いた。


「徴兵くじに当たって以来軍事学の研究に勤しんできましたが、ついにその集大成の勤務が回ってきたわけですな。飛龍の軍事利用はもはや考古学上の出来事ではありますが、これを現代にまたやろうとなりますと無限に研究の余地が…」


 とにかく、帝都の裕福な貿易商の次男坊に生まれたベップ・ファン・クルチウスは、言葉を喋りだしたその時からこの調子であったという。


 裕福な家に生まれたので高度な教育を受けることができたのはベップの幸運で、13歳にして高等学校教育を修了し、15歳で博士号を初めて取得し、以来ベップは万能の科学者として、また奇人として帝国の有名人となった。


 ところが、帝国の健康な男子には兵役の義務があり、帝国軍の必要に応じた人数の20歳の男がくじ引きで選ばれて入営する決まりである。


 だが、このくじ引きは不正が多く、金持ちの息子にはまず当たらないのが常であった。豪商の息子であり、既に有名人のベップはくじに当たるはずがなかった。


 なのに手違いでベップは当たりくじを引いてしまったのである。代理人を雇って兵役を免れる道もあったが、軍事学も悪くないと考えたベップは5年間の兵役を引き受けてしまったのである。


 そうして少尉待遇で砲兵工廠にベップがやって来たのが10年前の事で、結局ベップは5年の兵役を終えてもそのまま軍属として砲兵工廠で働いているのである。新兵器が常に産み出される砲兵工廠は、ベップにとっては遊園地であった。


「それで、誰が司令官を務めるのですか?こういう実験的な部隊は有能な指揮官なくしては十分な成果を発揮できませんが、反面優秀な指揮官は実戦部隊でこそ価値を発揮するものでありまして…」


「マルセル・ブレスト少将がその任に就く」


「流石に陛下は聡明だ!ブレスト閣下は肉体的には実戦部隊に配置するのは難しい反面、極めて有能な軍人である事は周知の事実であり、国民からの人気も高いので政治的見地からも…」


「博士」


 サン=クールは苦々しい表情をしてベップの言葉を遮った。


「ああ、これは少しまずい事を言いましたな…」


「傷痍軍人への敬意は学術的にはどの分野にあたるのかね?」


「そう…社会学か哲学、さもなければ政治学…」


「博士の能力は疑う余地がないが、舌禍を起こさない事だけを祈っているよ」


「はあ、それはどうも…」


 ベップは珍しくしどろもどろになりながら所長室を後にした。だが、その道中でもすでにベップの頭の中では飛龍の活用法が無限に湧き出ていた。

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