第5話 女伯はキャスリングがお嫌い

 フランコルム帝国陸軍士官学校を訪れる各国の軍人は度肝を抜かれるのが常だった。


 まず第一に、帝国において将校になろうとする者に身分は求められなかった。他の多くの国では原則として貴族しか将校になれない。


 これは辺境の下級貴族から皇帝になったレオ一世以来の帝国軍の伝統であり、誇りであり、強さの秘密であった。


 一兵卒から将軍になった例は歴史を紐解けばそう珍しくなく、また貧農や浮浪者の子供であっても努力次第で士官学校に進むことが可能であった。帝国陸海軍士官学校は学費を取るどころか、幾ばくかの給与を候補生に支給していた。


 そして、士官学校校長たるジャン・ダミアン・ブサック准将と対面した外国軍人は皆面食らう。


 ブサック准将はジョークと教え子を愛する筋骨隆々たる大男である。そして、黒檀のように黒光りする肌をしていた。


 ブサック准将は中将まで昇った父が新大陸で任にあたっていた際、現地の愛人との間に生まれた私生児である。困難はあるが、それでも士官学校で教育を受けて将軍になる道があった。


 講堂に列する士官候補生の中には必ず1人や2人の異民族の姿がある。皇族、貧民、留学生、亡命者、混血児、士官候補生は人種も身分も宗教も何もかもまぜこぜで、それ故に不思議とバランスが取れていた。


「変な士官学校だとお思いでしょうが、こんな士官学校が実は他にもう1つだけあるのです」


 ブサック准将は驚く訪問者にそう説明するのが常だった。そして訪問者が答えを求めると、彼は必ずこう答えるのだ。


「フランコルム帝国海軍兵学校です」


 ブサック准将は傑作のジョークだと固く信じているが、今のところ笑った訪問者は居ない。


「しかし、海軍兵学校にもないもう1つの不思議が当校にはあるのです」


 ブサック准将は大抵こう続け、ある士官候補生を指し示す。その候補生は概ね他の候補生より小柄であり、少し髪が長かった。女子候補生である。


 皇后グレースの肝煎りで女性将校の教育が始まって以来、10年余りの年月が経とうとしていた。対象は将校か貴族の娘に限られていたが、今に至るまで数十人の女性将校が任官し、女性皇族の侍従や士官学校の教官として軍務に就いていた。


「特に、彼女は当校の誇りです」


 講堂の一番前に陣取る、小柄な女子候補生をブサックは指し示した。


 栗色の癖のある髪といい、鋭い緑の眼といい、見るからに気の強そうな佇まいの彼女の名はジャンヌ・シャルパンティエ・ド・レミ。南部の名門貴族の一人娘であり、去年亡父の後を引き継いでレミ伯爵位を継承したばかりである。


「彼女は当校初の女性の首席卒業者になる見込みなのです」


 陸軍高官の人気者であるブサックは、能力を疑問視されて時に「お人形」と陰口を叩かれる女性将校達の最大の庇護者であった。


 ブサックも将軍の息子とは言え私生児であり、混血児である。それ故の苦しみも数知れず味わってきた。それだけに女性が軍人になる事で背負う宿命的な困難を理解していた。


 まだ時期尚早として女性将校は戦線に出されずにいるが、彼女達が戦線に出れば男の教え子に負けぬ活躍を見せると、ブサックはおそらく皇后より固く信じていた。


 それだけに、首席卒業という形で女子候補生が男に決して劣らないと満天下に証明してみせる予定のジャンヌをブサックは誇りとしている。


 招待を受けて散々驚かされた某国の駐在武官が宿舎に戻る頃、その日の講義が終わった。


「ジャンヌ、校長が校長室にあなたをお呼びよ」


 自室に戻って夕食前にノートの清書を済ませようと取り組んでいたジャンヌに、ルームメイトであり、この学年に2人きりの女子候補生の片割れであるコウ・ソアトが伝言を持ってきた。彼女は留学生で、極東の王族の何十番目かの王女である。


「校長が?何の用か聞いたか」


「いいえ。けど、大事な用ですって」


「そうか。ありがとう」


 ジャンヌは起立してコウに礼を述べ、校長室へと急いだ。


「シャルパンティエ候補生、君を見込んで頼みがある」


 校長室でジャンヌを出迎えたブサック准将の最初の一言は意外な物であった。


「間もなく席次が確定し、任地の選定が行われる。君はやはり歩兵を志願するのかね?」


 帝国陸軍士官学校では卒業を前に任地選びのセレモニーが行われ、席次の高い者から順に提示されたポストから希望の物を選んでいく。席次が高いほど望みのポストに就ける確率が高くなる仕組みだ。


「無論そうします。それが首席卒業者としての務めです」


 首席卒業者はこのシステムから事実上除外され、歩兵第1連隊に志願することが慣例になっていた。


「実はその長年の慣例を曲げて、近衛親衛隊に君を欲しいと皇帝陛下がご希望だ」


「皇帝陛下の頼みでも、それだけはお断りします」


 ジャンヌはきっぱりとこの頼みを拒否した。


 近年は女性将校も増え、従来の配属先である侍従のポストが不足してきた事を受けて、近衛親衛隊に皇后小隊なる女性将校だけを集めた小隊が創設されるという話をジャンヌは聞いていた。


 だが、ジャンヌは女として特別扱いをされる事を何より嫌っていた。首席卒業を果たせば否応なしに第一線部隊である歩兵第1連隊で勤務に就けるというのがジャンヌの向学心の根幹であった。


 その点皇后小隊は儀仗用の部隊として帝都に留め置かれるのは明白であり、ジャンヌはこの部隊に配属されるのを何より恐れていた。


「皇帝陛下と皇后陛下には女でも将校となる道を作って頂いた恩義があります。臣下としての忠誠もあります。しかし、それでも皇后陛下のチェスの駒になるのは嫌です」


「そんなに嫌かね?」


 将校の娘にしろ貴族の娘にしろ、大抵の女子候補生は侍従用のきらびやかな軍服に憧れ、また皇族や大貴族とお近づきになれる事に憧れて士官学校の厳しい暮らしに耐えていた。


 しかし、ジャンヌは爵位を持つ身分でありながらそれを酷く嫌がる。それがブサック准将には少し不思議であった。


「侍従に出世の見込みはありません」


 ジャンヌの露骨に過ぎる返答でようやくブサック准将は合点がいった。これは女性将校の庇護者たる彼にもまだどうにも出来ずにいる、女性将校の偽らざる現実であった。


 彼女達の大半は数年のうちに適当な嫁入り先を見つけて退役していくのが常であった。大尉に昇進したのは女性将校の第1号であり、士官学校で教鞭を執っているロザリー・バルドー大尉その人だけである。彼女は陸軍大臣ルネ・バルドー大将の末娘であった。


「私はあくまで軍人としての出世を求めて士官学校に進んだのです。飾り物になる為ではありません」


 ジャンヌが出世に固執するのにもそれなりの理由があった。貴族の体面上そうは言えないが、ジャンヌは金を必要としていた。


 ジャンヌの生家は千年を超える歴史を誇る大陸でも指折りの名門貴族だが、先祖が持っていた莫大な領地は時代と共に少なくなり、ジャンヌの父であるフィリップの所領は、持て余すほどの大きな屋敷の他には猫の額ほどの小作地を残すのみという有様であった。


 なまじ名門であるばかりに伯爵家は体面の維持に苦しみ、僅かな小作地さえ借金で失ったのを知った時、フィリップは卒倒してそのまま帰らぬ人となった。ジャンヌが14歳の時のことである。


 残った母のルイーズは爵位の根拠となる最後の領地、即ち屋敷だけは残そうと持ち物も屋敷の調度品も尽く売り払い、ついには人に言えないような事までして必死に屋敷を維持し続けた。


 かくしてがらんどうになった屋敷で貧乏貴族の辛酸を散々に舐めたジャンヌは士官学校に進み、将校として出世する事で母と伯爵家を守ろうとしていたのだ。


 結婚にはもとより期待していなかった。領地は無いのに家格ばかり高く、信じられないほど気の強いジャンヌと結婚しようという貴族はそう居るものではない。


「君が置かれている苦境は私も知っているし、それならこれは喜ばしい話のはずだ」


 ブサック准将は全てを察してジョークを披露するときと同じ笑顔を浮かべた。


「実は、皇后小隊とは別に近衛親衛隊に新設部隊が創設される。そちらに君が欲しいとの陛下の思し召しだ」


「別にですか?」


「来週にも議会を通る事になるが、銀嶺山脈の飛龍を使った近衛飛龍隊が創設される」


「飛龍隊というと、あの古代の蛮族の使ったという?」


「そうとも。シャルパンティエ候補生、君は男に混じって龍に乗り、空を飛ぶ覚悟はあるかね?」


「あります!」


「よろしい!君の活躍が道になる。思い切り飛ぶんだ」


 ジャンヌはブサック准将に敬礼し、何が何でもこの大任をやり遂げる覚悟を決めた。


 ジャンヌは決意も新たに自室に戻った。そこではコウが何やら母国の字で手紙を書いている。


「あらジャンヌ、校長先生のお話は済んだ?」


 コウは何処か嬉しそうに向き直った。彼女はお世辞にも成績が良いとは言えなかったが、向こう気が強すぎて怖がられているジャンヌと違って、誰からも好かれる人気者であった。


「うん。今度の任地選びの事でな。コウはどうするんだったっけ?」


「私は皇后陛下付の侍従よ」


 任地選びも今のところ、女子候補生は別枠であった。しかも、誰が誰の侍従になるかは事前に話が付けられるのが常である。


「ジャンヌ、私はまだお会いした事がないんだけど、皇后陛下ってどんなお方?」


 コウは大きな瞳を無邪気に輝かせながら、侍従として皇后に仕える自分を思い浮かべているようだった。


「立派でお優しい方だよ。コウは可愛がってもらえるさ」


「そう、嬉しいわ。けど、それも1年限りなの」


「というと?」


「私、結婚するのよ。ジャンヌも会ったでしょう?グエン様と」


「ああ、あの大佐殿か」


 ジャンヌはいつかのパーティーで紹介された、コウの従兄にあたるという駐在武官の大佐を思い浮かべた。大佐にしてはあまりに年若で小柄だが、誠実そうな美男子であったのを覚えている。


「似合いの夫婦になりそうだな」


「大使館で結婚式を挙げるの。ジャンヌも勿論招待するわ」


「極東式の結婚式は初めてだ。必ず行くよ」


 ともすれば、コウの書いている手紙はグエンに宛てたものなのだろう。コウは女としての幸せに浸って夢心地なのだ。


 そんなコウが、女の幸せと訣別して男の世界に身を投じようとするジャンヌには時々眩しく思えて仕方なかった。

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