第4話 その男勇猛につき

 フランコルム帝国近衛親衛隊の歴史は物語の時代から遡って約80年、旧王朝を打倒せんとする革命で戦乱の渦中にあったフランコルムの地に、彗星のようにレオ一世が現れた事に始まる。


 レオ一世は辺境の貧乏貴族の息子であったが、軍神の化身だと人が噂する天才的軍人であり、たちまちのうちに混乱するフランコルムの地を統一し、更には周辺諸国さえも掌握して皇帝として即位した。


 そして、そのレオ一世の快進撃の常に先頭にあったのが近衛親衛隊であり、近衛騎兵第1連隊であり、連隊最先任下士官のギョーム・パスカル二世であった。


 近衛親衛隊は冬の寒さに阻まれて失敗に終わった東方遠征でもやはり先頭にあった。これが元でレオ一世が失脚して近衛親衛隊は一度は解散したが、それでも戦後処理の混乱に乗じて返り咲いたレオ一世とともに復活した。


 その後の周辺諸国との戦いを苦戦の末に切り抜け、現在の帝国の版図を確保する為に最も犠牲を払ったのも近衛親衛隊であり、南方大陸、新大陸、極東、世界中に帝国の植民地を獲得する為の尖兵となったのもやはり近衛親衛隊であった。


 近衛親衛隊の、ひいては近衛騎兵第1連隊の歴史は帝国の栄光と没落、そして復活の歴史と共にあり、パスカル家の歴史もまた共にあった。


 ギョーム・パスカル四世は16歳で父である三世の後を追って近衛騎兵第1連隊に入り、その軍歴はもう四半世紀を越えていた。


 その間に5度の外征と30回以上の戦闘に参加し、9回の負傷をして数え切れない程の勲章を受けた。帝国臣民なら誰もが知る帝国一有名な下士官であり、ぱっとしない将軍など及びもつかない名声の持ち主である。


 だが、近衛騎兵連隊も第2連隊以下は解散し、近衛騎兵第1連隊は単に近衛騎兵連隊と呼ばれる事が増えた。


 そして、近衛親衛隊自体がこの数年は帝都に留め置かれ、たまのパレードにしか出番がない。


 従って、家を空けがちだったギョームも官舎で妻子と毎日起居し、予定通りに訓練をして予定通りに帰るばかりの日々である。


「帰ったぞ」


「あなた、お帰りなさい」


 ギョームが退屈な勤務を終えて長年住み慣れた広いとは言えない官舎に帰ると、妻のソフィアは必ず出迎えてくれる。先妻を早々に亡くし、人に勧められて貰った些か歳の離れた後妻だが、よく尽くしてくれる素晴らしい妻だとギョームは常々思っていた。


「お父さん、お帰りなさい」


 12歳になったばかりの一人娘のミシェルがこれに続く。去年小学校を出て、ソフィアの下で軍人の妻としての心得を学んでいるところだ。


 ついにギョーム・パスカル五世が産まれなかったのは心残りだが、いずれ部下の中から然るべき男を選び、婿を取ってパスカルの家名を守っていこうというのがギョームのプランだった。


 そうして親子3人で食卓を囲み、団欒の時を過ごす。その平穏な日常は金で買えない喜びのはずだが、ギョームはそうしている時にふとたまらない退屈さを覚えることが最近増えた。


 ギョームにはその理由はもう分かっていた。パスカルの血が騒いでいるのだ。


 旧王朝時代から数えて数百年にも渡って常に戦場にあったパスカルの男にとって、戦場の危険こそが生き甲斐なのである。パスカルの男は軍人である以前に戦士であった。


 ギョームはそうやって退屈を覚える時、いつも父たるギョーム・パスカル三世の晩年を思い出した。


 三世は50歳になったのを機にその命を惜しんだ先帝レオ二世から引退を促され、ギョームに最先任下士官の座を明け渡して退役した。


 最初は穏やかに恩給暮らしを楽しんでいた三世だったが、やがて酒の量が増えて怒りっぽくなり、ある日を境に急に耄碌して間もなく死んだ。三世に限らず、生きて軍服を脱いだパスカル家の男の多くがこうであった。


 パスカル家の男の魂は危険と隣り合わせでなくなった時、肉体に先んじて死ぬのだろう。とすればもう自分の魂は死んでいるのではないかとギョームは思うのだった。


「ねえあなた、何考えてるの?」


 深刻な表情でワイングラスを睨みつけていたギョームを見て、ソフィアは心配そうに尋ねた。


「いや、何でもない。ちょっとばかり疲れただけだ」


 ギョームは嘘をついた。訓練しかやることのない生活で体力は有り余っている。40歳を越えてもギョームの心身に漲る気力は衰えを知らない。


 年齢は老いではなく経験を示す数字であるというのがパスカル家の家訓であった。その日を生き延びた事によって経験を得て翌日は更に強くなるという理屈だ。


 しかし、ギョームはその家訓に疑いを持つようになっていた。常に戦いがある事が前提になっている家訓である。帝国には幸か不幸か戦乱はここしばらくなく、また当面は来ないだろう。


 翌朝、元気なく出勤したギョームに陸軍省のブレスト少将から呼び出しの手紙が届いた。


 ブレストは少尉として任官した時から三世が目付役として、軍人の大先輩として影に日向に盛り立ててきた自慢の連隊長であり、ギョームはそんなブレストの従卒として軍歴をスタートさせたのである。


 ブレストにとって三世は事実上の兄であり、ギョームにとってブレストは事実上のもう一人の父親であった。


 あの忌々しい砂漠の砲撃で一線を退いて以来、ブレストはパーティーの類にはギョームと家族を必ず招いてくれたが、職務上の繋がりはほとんどなくなっていた。つまり、ブレストに何かがあったのだ。


 一緒に退役して従者になってくれとでも言われたらどう答えていいかわからない。ギョームは緊張を隠せずにブレストの執務室に入った。


「ギョーム・パスカル上級曹長、入ります!」


「やあ、来てくれたか。小ギョー厶」


 小ギョームは先代のギョームを知る軍人が当代のギョームを指して使う呼称である。ブレストにとっては三世が大ギョームだ。


「閣下、それが例の回想録ですか?」


 ギョームはブレストがペンを走らせる原稿に目をやった。近頃のブレストは暇を持て余して回想録を書いているという噂はギョームにも聞こえていた。


「ああ、今士官学校の酒保で老ギョームにワイングラスで殴られたところだ」


 ブレストは冗談めかして言った。老ギョームはギョームの祖父である二世の事を指し、彼は一線を退いて後は士官学校の教官になった。一世と軍務を共にした軍人はもうこの世にはいない。


「どうやら、あまり良いニュースではないと思っているらしいな?」


 回想録を書く手を止め、ブレストは言った。心を見透かされたギョームは冷や汗をかいた。


「心配するな。君にとっても私にとっても良いニュースだ」


「と、申しますと?」


「君に将校になって欲しい」


 普通の軍人なら喜ぶのだろうが、パスカル家の男は普通ではない。彼らはこの手の誘いを幾度となく断ってきたのだ。


 パスカル家の男は近衛騎兵第1連隊最先任下士官の地位を何よりも愛し、また帝国軍にとって最も重要だと信じていた。


 連隊の創設と同時にその任に就いたギョーム・パスカル二世以来、歴代の最先任下士官は9人居る。そのいずれもパスカル家の人間であり、全員が最先任下士官として退役するか、さもなければ戦死している。


 二世など望めば元帥にさえなれたのだが、二世は「元帥杖よりも、サーベルを手に陛下の尖兵として仕えたいのです」と言ってのけてレオ一世を感激させたと歴史書にも書かれている。


 また、二世は「最先任下士官の地位こそが皇帝陛下より賜ったパスカル家の爵位である」とも言った。


 あるいは、それはパスカルの血を鎮める為の口実だったのかもしれない。だが、パスカルの男は愚直にこの教えを忠実に守り、連隊の一部として生きてきたのだ。


「パスカルの男がどういう生き物なのかは勿論知っている。だが、このままだと君は私と一緒に朽ち果てて、大ギョームになる前に死ぬぞ」


「将校になればそうはならないと言うのですか?」


 ブレストの真意を測りかね、ギョームは思わず少し言葉を荒げた。


「まだ内密の話だが、皇帝陛下直々の願いで近衛部隊が新設され、私が司令官として着任する運びだ。君には現場指揮官たる大尉として私について来てほしい」


「連隊を離れろと申すのですか?」


「そうとも。この部隊の成功には最も優秀な騎兵が必要だ」


「近衛騎兵第1連隊はこの世で最も優れた騎兵連隊です。その新設の部隊よりもです」


 ブレストが相手でなければギョームは殴りかかっていたかもしれない。


 ギョームにしてみれば大尉への昇進という特典が付いているとしても、連隊を離れろというのはパスカル家への侮辱に他ならなかった。


「無論、近衛騎兵第1連隊より優れた騎兵連隊などあろうはずがない。だが、この部隊は騎兵ではない」


「歩兵をやるほど鈍感ではありませんし、砲兵をやるほど陰険でもありません。ましてや後方部隊に回すつもりなら、この際何をするか保証しかねます」


 ギョームはあろうことか腰のサーベルに手をかけた。騎兵でなくなれと言うのは侮辱というよりも、ギョームの人生の否定である。


「まあ最後まで聞け。君は古代人が飛龍に乗って戦ったのを知っているか?」


「閣下、暇が過ぎて子供の絵本でも読まれたのですか?」


 ギョームはサーベルから手を離さない。もしこの時誰かが執務室に入ってきたら、軍法会議は避けられなかっただろう。


「その飛龍が4頭、軍の手に入る事になった。君に乗って欲しいのだ。まさか下士官を飛龍には乗せられない」


 ギョームは呆気にとられてようやくサーベルを手放した。


「何しろ古代以来の事だ。一度飛龍に乗って空を飛べばどんな危険があるか分からん。だからこそ、君を帝国一の騎兵と見込んでこの大任を頼むのだ」


 飛龍で空を飛ぶという危険にギョームの心が揺れた。そして、ブレストはギョームがそういう男である事を知っていた。


「君が見事にやってのけたなら、パスカル家は馬から飛龍に乗り換えて更に家名を高める事になるだろう。だが、君が来てくれないというのなら私もこの話を断る。回想録を書いて余生を過ごすつもりだ」


「…閣下には敵いませんな。まずは非礼をお許し下さい」


「いや、私は嬉しかったよ。君はやはりパスカルの男だと確かめられたからな」


 かくしてギョーム・パスカル四世はパスカル家の歴史とマルセル・ブレストの回想録に新たなページを加える決意をした。


 

 

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