第0章 前歴不問(読み飛ばし可)

第3話 マルセルとレオ

 マルセル・ブレスト少将は陸軍省付特別顧問として、他にやることもなく執務室で回想録を執筆して一日を過ごすのが常だった。


 仕事と言えば退屈な会議の他には月に数回講演の依頼と付き合いのパーティーがあるだけで、時間は有り余っていた。


 戦傷で隻眼隻腕となって以来8年になる。もう左手でペンを持つのを不自由とも思わなくなっていたが、それでも右腕と右目のない事は時々寂しく思われた。


 8年前のあの日、近衛騎兵第1連隊長たるブレスト大佐は、南方大陸の植民地で起きた反乱の鎮圧にあたっていた。


 反乱は熾烈であったが統制に欠けていたため、20日ほどでほぼ鎮圧された。あとは首謀者が数百人の手勢と立てこもる陣地を騎兵突撃で制圧するのみのはずだった。


 だが、陣地を望む丘に集結した騎兵の先頭でブレストが指揮刀を掲げ、いざ突撃の号令を出さんとした瞬間、荒涼たる砂漠が爆音とともに砂を飛び散らせて事態を急変させた。


 伏兵が最後に一矢報いようと、山陰に隠匿した旧式の榴弾砲で連隊に奇襲を食らわせたのだ。


 その第1弾はブレストの間近に着弾し、砲弾片と爆風が指揮刀を持ったブレストの右腕を引き千切り、右目を潰し、馬を殺した。


「連隊長!連隊長!」


 落馬して砂漠に倒れ伏したブレストを幸運にも無傷だった副官が下馬して駆け寄り、抱き起こした。


 ブレストの耳は砲声でほとんど聞こえないが、幸い意識ははっきりしていて、後でつけを払うことになるにせよ痛みは感じなかった。


「大丈夫だ。まだ生きている」


 どうにか立ち上がったブレストは側に落ちていた自分の右腕から指揮刀を引き剥がし、右腕を従兵に預け、乗る者を失ったらしき空馬を見つけて飛び乗った。


「第2弾はまだ来ない。敵の砲は1門だけという事だ。ならば取るに足らない。突撃だ!」


 ブレストはあらん限りの声で叫び、左腕で指揮刀を高々と掲げた。混乱に陥っていた連隊はブレストの姿を見て士気と統制を取り戻し、突撃ラッパと共に敵陣めがけて猛然と砂漠を突進した。


 伏兵が狙いも定まらない状態で5発目を発射したところで反乱軍の砲兵陣地は後続の歩兵に鎮圧され、それとほぼ時を同じくして反乱軍はついに命運尽きた。


 ブレストは野戦病院に後送されて地獄の苦しみを味わったが、隻眼隻腕の姿になって奇跡的に生還し、失った腕と目の代わりに「稲妻ブレスト」の異名を得て英雄として帝都に凱旋した。


 この手柄で2階級特進して准将を飛び越して少将となり、連隊長の任を解かれて今のポストに就いたのであった。


 だが、もはや大国による植民地の争奪戦は世界のほぼ全ての土地を分割しきって終焉を迎え、帝国の植民地運営も軌道に乗り始めて反乱も少なくなり、帝国軍は規模を静かに縮小し始めていた。


 全盛期には8万人を数えた近衛親衛隊も今や歩兵、騎兵、砲兵の各1個連隊と支援部隊が近衛師団と称して残されるだけであり、将官は帝国軍全体で余っていた。


 退役軍人の扱いは今や帝国の社会問題であり、英雄であると同時に老いた傷痍軍人であるブレストには、名誉職の他にポストは残されていなかったのだ。


 つまり、世界中の戦場を駆け抜けてきたブレストの軍人人生は、連隊長を辞した時に事実上終わったのである。


 両親の馴れ初めから始まる回想録の中のブレストは、まだ士官学校で若さと希望と情熱に燃えていた。こんな姿になって無為に時を過ごすとはまさか思わずに。


 その時、執務室に連絡士官が物々しい封書を手に入ってきた。開封すると、内密に話があるから宮殿に出向いて欲しいという皇帝からのメッセージである。


 ブレストと皇帝は士官学校の同期にあたり、身分を超えた親友の間柄である。だが、殆ど何の権限も持たない自分に今更内密の話となると見当がつかない。皇帝と対面するまで考えてみたが、結局分からず終いであった。


「やあマルセル、よく来てくれたな」


 宮殿の一室に通され、人払いをすれば2人の間柄は皇帝と将軍ではない。士官学校時代と変わらぬ、時に悪さもすれば喧嘩もした親友である。


「陛下、それで内密の話とは?」


「君に折り入って頼みたい」


 テーブルに就いたブレストは内心動揺した。この年帝国陸軍は3個師団を削減する事になっている。そんなタイミングでお飾りの自分に大事な任務などあろうはずがないからだ。


「実は、銀嶺山脈の飛龍が4頭、我が軍に手に入る事になった」


「あれは保護政策を取って数を増やしている最中では?」


 大陸ではかなり昔にほぼ姿を消してしまった飛龍だが、帝国の南東の国境を成す銀嶺山脈の奥地には僅かに生き残っていて、帝国が保護に乗り出しているというのはブレストも知っていた。


「その見返りで若い飛龍が手に入ったのだ。君も古代は飛龍に乗った騎兵が居たのを知っているだろう?」


「陛下、まさかそんな半分お伽噺のような代物を?」


「そう。飛龍隊を帝国に蘇らせるのだよ」


 途方もない話であった。飛龍に人が乗って戦う姿など、古文書や物語の中に残るだけである。もはや誰もその実物は見たことがないのだ。


「しかし、飛龍の扱い方など私は知りません」


「そう、誰も知らない。だからこそ君に頼むのだ」


 皇帝はいたずらっぽく微笑み、席を立ってブレストの側に歩み寄った。


「研究から始めなければならない。ものになるのには相当な時間と金がかかるだろう。国民も議会もあまり良い顔をすまい。だが、稲妻ブレストの威光と手腕がそれを可能にする」


 皇帝は飛龍隊創設プランをひたすら熱弁する。まるで新しいおもちゃを前にした子供のようであった。この皇帝はロマンチストであり、些か理想主義的に過ぎて無鉄砲という定評がある。


 皇帝のそういう面をブレストは臣下としても友人としてもよく知っていたし、現場に戻れるというのも魅力的ではあった。


 だが、それでもこのプランはあまりに現実味がなかった。ブレストは飛龍の実物を見た事さえないのだ。


「単なる世論の風除けなら他にも頼むあてはある。だが、私は君の手腕と人柄をよく知っている。君もまた私をよく知っている」


「皇帝と殴り合いの喧嘩をした将校というのは私だけでしょう。だからこそはっきり言いますが、成功を請け合う事は出来ません」


「それでいい。皇帝ではなく、親友として頼むのだよ。君に任せてもし失敗したとしても、私は後悔はしない」


 皇帝はブレストの左手を取り、若き日と些かも変わらない情熱を秘めた瞳でブレストをじっと見つめた。


「…わかりました。どうせこのまま朽ちる身の上です。最後の奉公と思って引き受けましょう」


「おお、マルセル!それでこそ我が親友だ」


 皇帝は子供のようにはしゃぎながら、テーブルに用意してあったスパークリングワインをグラスに注ぎ、立ち上がったブレストに手渡した。


「昔のように乾杯しよう。近衛飛龍隊と、私達の友情にな」


「近衛飛龍隊と、私達の友情に」


 マルセルとレオはグラスを持った左腕を交差させ、互いの腕を絡ませて一気にグラスを呷った。これは2人の若い頃から時々行われてきた秘密の儀式である。


 友情が胃の中で弾け、マルセルの心の消えかけていた情熱の炎が再び静かに燃え始めていた。

 

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