第2話 近衛飛龍隊最初の日
剣が戦場の主役であり、魔法が人々の生活を下支えしていた剣と魔法の時代があった。しかし、それはもはや昔話である。
今や剣は将校の腰を飾る些か邪魔な装飾具に過ぎず、その将校とて剣を満足に扱えない者が少なくない。
魔法の知識と魔力を持つ人や生き物は宗教上の誤解と偏見からくる迫害でほとんど絶滅し、最近になってようやく間違いに気付いた国家に保護され、あるいは辺境に隠れ住んで僅かに命脈を保っている。
戦場の主役として剣に取って代わったのが銃や大砲であり、ひいては火薬であった。今や戦争で敵と顔を合わせるのは最後の最後だけである。
かつて村々に住む魔法使いの提供していたサービスは科学が肩代わりをし、世界は線路と電信線と蒸気船航路が張り巡らされて急激に狭くなっている。
今や剣と魔法の時代は終わり、銃と蒸気の時代が始まったとある歴史家は言った。これはそんな時代と時代の狭間の物語である。
玉座を背に立つフランコルム帝国皇帝レオ三世の前に、5人の男女が近衛親衛隊将校用の大礼服に身を包んで整列していた。
「諸君、よくぞ余の願いを聞き入れてくれた。まずは礼を言いたい」
5人の最右翼、少将の階級章と一際多くの勲章を身に着けた、皇帝と同じくらいの年格好の男が左手で敬礼し、後の4人がこれを見て右手で続く。なぜこの男が左手で敬礼したかというと、彼には右腕と右目が欠けているからだ。
「諸君はこの度、このマルセル・ブレスト少将を司令官とする近衛飛龍隊の一員として、栄誉ある近衛親衛隊将校団に加わるのである」
皇帝はブレストと呼ばれた隻眼隻腕の男に歩み寄り、彼の両肩を掴んで力強く語りかけた。
「既に承知ではあろうが、この飛龍隊は古代に絶えて以来その後類を見ない物であり、飛龍乗りにならんとする諸君らには未知の危険と困難、そして成功のあかつきには限りない名誉が伴う」
皇帝はブレストから手を離し、再び5人の前を往復しながら続ける。
「今一度問おう。諸君らはその命を帝国に預ける覚悟があるか?」
「あります!」
ブレスト少将の左隣、少将に負けず劣らず大量の勲章をぶら下げた初老の大尉が広大な宮殿を震わせんばかりの大声で応じた。
「我々は陛下の為、国家の為に命を擲つ覚悟であります」
「パスカルよ、よくぞ言った。君のような忠義な軍人を擁することを余は誇りに思うぞ」
皇帝の言葉にパスカルと呼ばれた男はお褒めの言葉に喜びの隠せない面持ちだ。
「今日付でパスカルは大尉に、残る3名は少尉に任官し、我が帝国史上初の飛龍乗りとなるのである。諸君らの活躍に帝国の未来と威信がかかっている。期待するぞ」
そう結んだ皇帝に従者がしずしずと歩み寄る。その手には飛龍隊記章と称する頸飾を人数分乗せた飾り箱を持っていた。
「マルセル。よろしく頼むぞ」
皇帝はその頸飾の一つを手に取り、ブレスト少将の首にかけた。
「陛下、何としてもやり遂げます」
ブレスト少将が皇帝とは士官学校で席を並べて学んだ旧知の仲であり、身分を超えた友情を結んでいる事は帝国臣民には広く知られていた。
「パスカル。君の父上にもこの姿を見せたかったよ」
「身に余る光栄であります!」
続くパスカルは皇帝に頸飾を首に下げて貰った瞬間、感極まって目に涙を浮かべた。
「ジャンヌ。いや、今ではレミ女伯だったな。期待しているぞ」
「期待に応えてみせます」
ジャンヌと呼ばれた若い娘は男には負けないと言わんばかりの気迫を漲らせながら胸を張る。
「クルチウス博士。まさか君に将校になってもらおうとはな」
「運命ばかりは科学で押し測れるものではありません」
クルチウス博士と呼ばれた長身の男にはどこか緊張感がない。
「エスクレド。君のような若者こそが帝国の背骨であり、将来だぞ」
「頑張ります!」
最後のエスクレドという小柄でがっしりした青年は、緊張に目を白黒させながら大声でそう答えた。
5人は最後に親衛隊将校として宣誓をして儀式はお開きとなり、控室に引き揚げた。
飛龍隊の本部へ向かう馬車が準備されるまでの待ち時間があり、紅茶と茶菓子が出された。だが、誰も手を付けない。
「あの、俺以外は皇帝陛下と面識があるんですか?」
しばしの沈黙の後、口火を切ったのはモーリス・エスクレドであった。
「俺の家系は代々近衛騎兵第1連隊で下士官を務めてきた。だから先帝陛下とも言葉を交わしたことがあるが、直々に記章など授かるのは初めてだ」
ギョーム・パスカル四世が感動覚めやらぬ様子でモーリスの質問に答えた。
「私は士官学校を主席で卒業したから直々にお褒めの言葉を頂いた。それに、貴族の務めとして社交界へのお披露目で謁見している」
ジャンヌ・シャルパンティエ・ド・レミ女伯爵が続く。どこかモーリスを見下したような態度だ。
「陛下は科学に理解がありますからな。あんな聡明な君主ばかりなら世の中は平和なのでしょうが、世襲権力というものはどうやっても政治学的には…」
帝国きっての科学者であるベップ・ファン・クルチウス博士が不敬一歩手前の言葉でとどめを刺す。
モーリスは辺境の漁師の倅で、3日前まで水兵として戦艦に乗り込んで走り回っていた。そんな青年に皇帝と謁見する機会などあろうはずがなかった。
「なら何で俺なんかを?」
「神託を元に私が選んだのだ」
稲妻ブレストの異名を散る帝国きっての勇将、マルセル・ブレスト司令の答えはモーリスを余計に混乱させた。
「神託?司令は占いで水兵を将校にしたんですか?」
普通の少尉の3倍の給料という言葉に乗せられてこの話を引き受けたモーリスだったが、早くもえらいところに来てしまったと後悔し始めていた。
「エスクレド、気を強く持て。誰だって最初は初対面だ。だが、陛下は優秀な将兵は顔と名前を覚えて下さるぞ」
ギョームがモーリスの肩に手を置いて励ます。だが、その言葉は何処か自慢げで、自分は皇帝の覚えめでたい優秀な軍人であるという自負が透けていた。
「皆様、馬車の支度ができました」
その時、給仕役の執事がボーイが持って来た伝言を手にそう告げた。
「エスクレド。泣いても笑っても君はもう親衛隊将校団の一員だ。その体面を汚さぬよう懸命に務めるんだぞ。そして、諸君らは数千年ぶりに歴史に現れた飛龍に乗り戦う者達だ。その重大さを忘れないように」
ブレスト司令はそう結び、馬車に乗るべく立ち上がった。
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