第7話 田舎漁師は拿捕賞金の夢を見るか

 フランコルム帝国は南に南方大陸を挟んで内海と、北には島国のアルビオン帝国を挟んで大洋と面していて、帝国海軍は内海艦隊と大洋艦隊を根幹に、その他幾分小規模な植民地艦隊をいくつか各地に擁している。


 内海艦隊の旗艦にして最新鋭の蒸気艦ベリサリウスは領海での艦隊演習を終え、艦隊を引き連れて母港への帰路を帆走で進んでいた。夕方には帰港し、ドッグに入る予定である。


 見張り員のモーリス・エスクレド二等水兵はマストの見張り台の更に上、マストの頂点に上って足の指でロープを掴み、双眼鏡を手に船の進行方向と逆、つまり沖合を目を皿のようにして見張っていた。


「おい、モーリス、交代の時間だぞ」


 交代要員のシャルル・レイモンドが見張り台から叫ぶ。


「もうちょっといいだろ」


「馬鹿、怒られるのは俺なんだぞ」


 シャルルの言葉に応じてモーリスは渋々と双眼鏡を首に下げて器用にマストを降りて靴を履いた。


「落ちたら死ぬのによく平気だな」


 シャルルは呆れ顔である。


「何てことねえよ。俺は5歳から船に乗ってるんだ」


 モーリスはそう言い放つと見張り台の縁を掴み、なんとその場で逆立ちして見せた。


「エウスカル人はどうなのか知らねえけど、普通の船乗りはそんな事出来ないぞ」


 モーリスは帝国の西端の辺境に住む少数民族、エウスカル人である。エウスカル語は帝国とも周辺のどの国のそれとも全く異なる不思議な言語で、貴族の刑罰にはエウスカル語を習得するというものがあるという。


 また、エウスカル人は優れた漁師であり、モーリスも21歳の若者ではあるが代々漁師の一族に生まれ、幼い頃から捕鯨船に乗り込んで世界の海を股にかけてきた歴戦の船乗りである。30歳を過ぎる頃には陸より海に居た日の方が長くなるだろう。


「おっと!あれは?」


 モーリスは見張り台に足を戻し、双眼鏡で沖合に見つけた何かを覗き見た。


「なんだ、海龍か」


 モーリスはつまらなそうに毒づいてシャルルに双眼鏡を明け渡した。はるか沖合で何か大きな物体が波を立てている。


「鯨かもしれないだろ?」


「見分けがつかないと商売にならねえ。それに、内海にはもうほとんど鯨はいないんだ」


「お前の目当ての敵は、ついに一度も見なかったな」


 シャルルは少し意地悪く笑った。モーリスが見張りに常軌を逸した情熱を燃やすのは、ひとえに敵艦を最初に発見したいからである。


 というのも、敵艦を捕らえた時には乗組員には拿捕賞金として利益が分配されるのである。最初に敵艦を発見した者は取り分が増える事になっていた。


 かつての海軍には安月給の水兵でも巨額の拿捕賞金を得るチャンスがあった。だが、植民地の争奪戦はほぼ終焉して戦争の影は鳴りを潜め、かつては各国の悩みの種だった内海の東岸から現れる海賊も近頃はめっきり下火である。つまり、敵に遭遇する機会がどんどん減っていた。


 もはや拿捕賞金の分配規定など名目上の物に過ぎず、それが役立つ機会があるとすればそれ自体がニュースであり、その当事者になる事は宝くじに当たるに等しい幸運と言えた。


 それでもモーリスは拿捕賞金で一族の為に船を買うという夢を抱き、徴兵くじで当たりを引いたその瞬間、立ち会いの役人がぶっ倒れるほどの大声で海軍を志願したのだ。


 だが、モーリスの願いもむなしく、艦隊は無事に夕方前に母港へ帰還した。ベリサリウスは蒸気機関の改修の為にドッグに入り、少数の要員を残して乗組員は全員が上陸となった。


 上陸した水兵達は鎮守府の事務所に行列して手紙の束と航海中の分の給与を受け取り、酒場や売春宿に消えていく。


 だが、モーリスは給料の大半を実家に送金する手続きをして、ワインを1瓶買い込んで宿舎で過ごすのが常だった。


 エウスカル人は冒険心に富んで見栄っ張り、そして義理人情を重んじる人々であり、故郷の家族や友人からの手紙は都会人よりも多い。手紙を読んで返事を書いていれば退屈はしなかった。


「モーリス・エスクレド二等水兵、お前に艦隊司令室への出頭命令が来ている」


 事務所の古参下士官はモーリスに給料袋と手紙の束を手渡しつつそう言った。モーリスが海軍に入って2年になるが、こんな事は初めてである。何かやらかしたのかと気が気でないモーリスは、宿舎で急いで軍服を着替えて艦隊司令室に出向いた。


 司令室の主たる帝国海軍内海艦隊司令長官、ルイ・バスティア元帥は帝国海軍最古参の提督であり、海軍の陰のトップとも称される大物である。


 だが、広いようで狭い軍艦で長い航海を共にするので、モーリスのような下っ端でも何度か言葉を交わしたことはあった。


 水兵達はバスティアの人徳と髭の隙間に目鼻のあるような見事な髭面に親しみを込め、彼を「髭親父」と呼び慕っている。


「エスクレド二等水兵。君は私の知る限り、極めて優秀な水兵のようだな」


 70歳を超える高齢のバスティアは、しわがれた声で恐縮し切りのモーリスに語り掛ける。


「とりわけ見張りには力を入れているようだが、その理由を聞こうか?」


「その、いち早く敵艦を発見するのは見張り員の任務でありますので…」


「本音で結構。見張り員が張り切る理由は相場が決まっている。拿捕賞金が目当てなのだろう?」


 モーリスは心臓を掴み取られたような気分でその場に固まってしまった。


「いや、わしも若い頃は君のように一攫千金を狙って躍起になったものだ。それで何度か拿捕賞金にありつきもしたが、残念ながらもうそんな時代ではない」


 この泰然たるバスティア提督にそんな若き日があったというのがモーリスには想像がつかないが、そう言うからには事実なのだろう。だが、最後の言葉が引っ掛かる。


「聞けば君は船を買いたくて拿捕賞金を求め、給料の大半を実家に送金しているというじゃないか。関心するよ」


 まさかそんな事を言う為に艦隊司令官が水兵をいちいち呼びつけるはずがない。モーリスは素直にお褒めの言葉を受け取る気になれなかった。


「だから、博打同然の拿捕賞金よりもっと良い話を君に紹介したい」


 他に船を買えるような稼ぎ口などモーリスには思いつかない。返す言葉がなく困っていると、バスティアは続けた。


「皇帝陛下から、近衛親衛隊に命知らずで優秀な船乗りが一人欲しいという頼みを受け取った。私は君を送り込もうと思っている」


 近衛親衛隊に配属されるというのは徴兵された兵士にとって名誉な事だが、モーリスには自分にお呼びのかかる理由が分からない。


 親衛隊の本拠たる帝都は内陸にあり、船乗りに用はないはずだ。まさか川遊びの船頭を探しているとも思えない。


「君は捕鯨船乗りだそうだが、なら海龍はよく知っているだろう」


「はい、鯨より乱暴なのに金にならないので嫌われています」


 海龍は鯨に負けず劣らず大きいが凶暴さは段違いで、仕留めたところで鯨のように油が取れるわけでもなく、肉も不味く、鱗や角や内臓が魔術の道具や装飾品の材料としてさほど高くない値段で売れるに過ぎなかった。


「金にならないか。これはいい」


 バスティアは何が面白いのか笑い出した。だが、捕鯨船乗りにしてみれば海龍は見つければ近寄らないのが定法の厄介者であり、エウスカルの漁師ならば海龍に船を沈められた知り合いが必ず一人は居るのだ。


「エスクレド、君を親衛隊が欲しているというのはな、飛龍に乗る者を探しているのだよ」


「飛龍に?」


 飛龍が辺境の山奥にはまだ居るという話はモーリスも聞いた事があったが、その飛龍に乗るとなると物語の出来事のように思われた。


「海龍と違って金になるぞ。危険で難しい仕事だが、この話を受けると君は近衛親衛隊の少尉に任官し、普通の将校の3倍の給料を受け取る事ができる」


 飛龍に乗って空を飛び、高給を受け取るというのはモーリスにとって危険や不安を補って余りある魅力的な話であった。毛ほどのチャンスに過ぎない拿捕賞金を狙うよりは現実的な方法のように思われたし、何より冒険好きのエウスカル人の血が騒ぐ。


「どうだ、海龍と縁を切って、飛龍で一山当てて見る気はあるかね?」


「是非、お願いします」


 モーリスは既に心の中で龍に乗って空を飛ぶ自分の姿を思い描いていた。

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