7.魔女の契約

——シュオーネ王国 北方の町ラーザ 森の中


「......行くんじゃなかった」


 神殿を出た後、ラーリアはもやもやとする気持ちを持て余しながら町中を通り過ぎ、森へと来ていた。


 自分の罪が前世にあると知れたことは良かった。でもそれだけだ。


 そもそも、前世の罪を今世で背負うとはどういうことか。女神様が定める運命は、生で始まり死に終わるものではないのか。


「——吾輩は猫であるウーラー・ケット


 思考を捨てて、魔法を唱える。これはラーリアが一番得意な魔法だ。


 唱えてすぐ、変化は現れる。ラーリアの姿が風になびくようにふわりと揺れると、そのまま消えた。いや、よく見れば、ラーリアがいたところには一匹の猫が立っていた。


 その毛色はラーリアの髪と同じ薄茶。

 その目はラーリアの目と同じ薄青。


 ニャアと鳴く——ようなことはなく、黙ってくるりと踵を返すと、森の奥へ歩き始めた。


 さわさわと葉の鳴る音がする。北部の夏はそれほど長くない。木も花もこの時期、争うように生い茂るのだ。

 落ちた葉や、ひんやりとした苔や、そこに生きるものたちの息づかいを感じるには、人間はゴテゴテと飾り過ぎるとラーリアは思う。本当なら、柔らかな肉球と、風を受けてなびく毛皮と、よくきく鼻と耳さえあればいい。


 猫になる魔法を一番最初に会得したのも、それが今もお気に入りなのも、ラーリアにとっては当然のことだった。


 そういえば、南部の海の方へ行けば、害のない魔獣と白浜で泳ぐこともできると聞いたことがあるが、本当だろうか。

 

(いつかその水や土も、この身体で味わいたい......)


 そんな穏やかな夢に浸っていたからだろうか。


 ラーリアは、自分の足がなにやら柔らかいものにぶつかるまで、それがそこにいることに気が付かなかった。


『......ん。あ、見つけた』


 その毛玉は、ぴょこんと耳を立てるとそう言った。


 黒くしなやかな身体。その中から現れた二つの金色の目がラーリアを見ていた。


「猫......?」


 思ったままの疑問を口にすると、可愛らしい尾がピクンと動く。


『アンタも猫じゃあないか』

「え。あ、これは、魔法で化けているんだけれど」


 言いながら人の姿に戻る。すると、黒猫の目がキュウっと細くなった。


『へぇ、わざわざ化けるなんざ皮肉なやつだ』

「皮肉?」

『そうさ! それも、特大の』


 猫はそう言うと、ニイっと口角を上げた。どうやら詳しく説明する気はないらしい。


「......そう。それで、『見つけた』というのはどういうこと?」


 諦めてそう問うと、猫の笑みが深くなった。


『そりゃあ、あれだ。アンタ、この間ここいらで竜の魔法を使っただろ』


 竜の魔法といえば、白尾鳥ハクビチョウの卵をとるときに群れる魔狼リオンを追い払うのに使った覚えがある。

 そう答えると、それのせいだ、と猫が言った。


『ありゃあ過剰な魔法だ。ここいらの獣は、竜なんかに会ったことねぇのばかりだからな。あんなの浴びたら、みーんな出て行っちまうだろ!』

「ええと、ごめん?」

『ああ。お陰で俺は餓死寸前ってとこだぜ』


 フンス、と鼻息荒く猫は言う。


「それで、あなたは私に何を求めるの? 鼠を100匹狩ってくる?」

『それもいいな。でも、もっと美味しいものを見つけたのさ』

「......猫って人肉も食べるのだっけ」

『ハァ⁉︎ やめろよ、俺は猫の妖精ケット・シーじゃあ無いんだぜ!』

猫の妖精ケット・シーも人は食べないと思うけど。それは良いとして、じゃあ、何が欲しいの?」


 猫はすぐには答えなかった。ただ、長い尾が器用にラーリアの方を指す。


(......やっぱり人を食べるんだっけ?)


 思わずそう考えると、なかなか要領を得ないラーリアに痺れを切らしたのか、猫の尾がパタンパタンと不機嫌に揺れ始めた。


『言っとくが、人は食べないからな』

「それじゃあ、何を?」

『魔力だよ! まーりょーく! アンタ、魔女なんだろ? それなら俺を、使い魔にしてくれよ!』

「使い魔......」


 確かに、魔女は使い魔を連れているものも多い。使い魔は魔女から魔力を分けてもらう代わりに魔女の手足となって魔法を手伝ってくれるからだ。

 それに、魔法にはその生物種特有のものもあるので、単に魔法の幅が広がるという利点もある。


 でもだからこそ、ただの猫を使い魔にするというのはあまり聞かない。


(例えば......そう、それこそ猫の妖精ケット・シーなら、有り得るけど)


 精霊や妖精は、基本的に人にあまり協力してはくれないが、自然との調和性が高く、多様な魔法を巧みに操る。

 逆に魔物は、他に変えられない固有魔法を持つものが多く、竜の固有魔法を求めて世界中を巡った魔女の話が冒険譚として残っているほどだ。

 

 けれど、精霊でも妖精でも魔物でもなく、ただの獣を使い魔にするというのは、少なくともここ最近ではあまり聞かない話だった。


『言いたいことはわかるぜ? ただの猫を、わざわざ命を繋いでまで使い魔にする理由がねぇってことだろ?』

「——そう。理由がない」

『でもよォ、アンタは女神の堕とし子だろ! 魔物に好かれることは無いと思うぜ! それもアンタの罰だからな。ついでに、精霊や妖精が魔女に手を貸したって話も、もうしばらく聞かねぇよ!』

「なるほど。つまり、あなたの話を断っても意味がない?」


 尋ねると、猫はふわぁと欠伸をしながら『意味がないとは言ってねぇけどな~』と緩く答えた。いまいち、本気なのか冗談なのか分かりにくい。


 本当のところは、あまり考えず適当に言っているのだろうとラーリアは思った。


(......猫だし)

 

『でもさ、猫の使う魔法だって良いもんだけどなァ? ま、なんなら本契約は置いといて仮の契約でもいいけどな!』


 どこからか現れた蝶に手を伸ばしながら猫は言った。そのままピョンピョンと飛びつき、挙句の果てに着地に失敗してコロリと転ぶ。


「ふっ」


 不恰好な動きに思わず吹き出したラーリアは、猫からのジト目を感じると、コホンと咳払いをした。


 そのときには、もうラーリアは決めていた。


 実のところ、まぁいいかと適当に考えていたのはラーリアのほうかもしれない。


「いいよ。あなたを使い魔にしよう」

『へっ? いいのかよ?』

「ええ。仮契約にする必要もない」

『へぇ......それなら、早速始めようか』


 頷くと、ラーリアはその場に屈み、そっと猫の額に自分の額を寄せた。


「......我が名はラーリア。命を分け与えし者」

『我が名はグレム。命を委ねし者』


 二人の声がこだまする。いつの間にか陽を遮り影を落とした森の木々によって、あたりは夜の闇のように暗くなっていた。

 その中を妖精や精霊が飛び回り、流れ星のような軌跡を幾つも幾つも描いていく。


「グレムに誓いを。ヤドリギを育むオークのように、あたたかな祝いを」

『ラーリアに誓いを。オークを彩るヤドリギのように、消えることない呪いを』


 ラーリアからグレムへ、グレムからラーリアへ、魔力と命が巡る。二人を囲む影と光は、躍るように瞬き、揺らめきながら、やがてふわりと消えた。


 そっと二人は目を開く。見た目には何も変わらない。けれど確かに、二人の絆は結ばれていた。この肉の身体よりも、命よりも、もっと深い場所で。


 ラーリアは立ち上がると、そのまま町の方へ歩き始める。その肩に、ぴょんとグレムが飛び乗った。


 何か言葉で伝えあったわけではない。

 けれど二人は、互いがそうすることを分かっていた。まるで今までもずっとそうしてきたかのように、自然と、そう動いていたのだ。



 ——森の木々はいつの間にか夏の日差しを受け入れて、さわさわと愉しそうに揺れていた。

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魔女のさがしもの りん @ri_n_go

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