6.魔女と神殿
——シュオーネ王国 北方の町ラーザ
(肌がざわつく......よほど、女神様に嫌われてるのか)
ラーリアは、ラーザにある神殿の門を潜りながらそれを感じた。神殿は、女神の力の溢れる場所だ。人々が女神に祈りと供物を捧げ、平穏と幸福を願う場所。
そしてラーリアにとっては、歓迎されることのない、落ち着かない場所。
そもそも、生家にいたころ神殿に行ったのは、生まれてすぐの命名式と、幼い頃に興味本位で入りこんだときだけだ。そのときのことで覚えているのは、神殿に近づくなと言いつけられていたラーリアを憐れんだ目で見る神官たちと、ひどく怒る父親の顔。
もはや苦くもない思い出を頭の隅で再生しつつ、まっすぐに本堂の祈祷室へと向かう。古いがよく磨かれた木製の扉は、人が一人通れるくらいに開いていた。ラーリアはそこを何の感慨もなく通り過ぎると、中へと入る。
祈祷室の中は薄暗かった。壁際に灯された蝋燭の細い火が、ゆるやかに女神様の像の影を照らしあげている。
その像の足元に、熱心に祈りを捧げる人影が見えた。だがその人影は、ラーリアが入ってすぐ、急に怒鳴られたかのようにびくりと身体を揺らし、ラーリアの方へ振り向く。
(ああ、やっぱりルークを置いてきてよかった)
あまりよくは見えないが、明らかに狼狽する神官の様子に、ラーリアはそう思った。
昨日は、ルークが落ち着くのを待って、一緒に宿へと戻った。
そして、部屋に戻ろうとしたラーリアは、後ろから肩をむんずと掴んできた女将によって宴会に参加することになった。
そのまま冒険者の先輩方からどこから来たの、どういう戦闘方法なのと一通り質問攻めにあったあと、隅っこでひとり、ちびちびと食事をしていたラーリアのもとにルークは寄ってきた。どちらからともなく、話題を決めることもなくポツリポツリと会話を交わす。お互い口数は多くなく、仲良く盛り上がるという雰囲気ではなかったが、穏やかな時間だった。
それを見ていた女将曰く、ラーリアは懐かれたらしい。
今朝も、「どこに行くの」とつっけんどんに尋ねられたラーリアは、「特に決めてはいないけれど」と答えた。ただ、次にどの町に行こうかと考えているのだと。
そのとき、ルークが寂しげな顔をしたのにラーリアは気がついていた。
けれど、それは仕方のないことだ。ラーリアとずっと一緒にいれば女神様に見放されるかもしれない。ラーリア自身はその立場に苦痛は感じていないが、そうなれば生きづらい世の中なのは十分知っている。その道を他人に歩ませたいとは思わなかった。
だが、ラーリアのその心配は杞憂だったかもしれない。
思えばルークは、人がやって来ては出て行く冒険者御用達の宿の子だ。出会ってすぐの別れには、幼いながらも慣れているのだろう。
すぐに納得したように頷くと、「それなら神殿に行きなよ」と言った。
実際、迷ったときの神頼みというか、自分のやるべきこと、行くべきところを神殿に訊ねるというのは、一般的な、よくある話だ。
ただ当然、その一般にラーリアは含まれない。
さてどうやって断ろうかと考えたところで、ラーリアはふと思った。一度、ちゃんも聞いてみるのも良いのではないかと。もしかしたら門前払いされる可能性もあるが、それはそれでけじめがつく。それに、もし自分が犯した禁忌を知れるのであれば、自分が何を探しているのか思い出すきっかけになるかもしれない。
そういったわけで——ただ、ルークを巻き込むつもりは無いので、神殿までの案内は固辞して——ラーリアはここへやってきた。
「貴女は——何故、そんなことを......どうして、女神様を裏切ったりなどしたのですか⁉︎」
しかし、目を見開き、驚愕と憐れみと嫌悪を露わにした神官に、ラーリアは早くも溜息が出そうになるのを堪えた。
「何故と言われても......私に、罪の記憶はないのだけれど」
「ッそれならば、その罪をすすぐべく祈りを捧げ、人々に奉仕をするなど、女神様の赦しを乞うべきではありませんか!」
「......罪の内容を知らずに赦しを乞うても、女神様は赦してくれるの? でも、それならそもそも、罪を覚えてない赤子に罰を与える意味がないと思うけれど」
「ッですが! ......いえ、女神様のなさることに間違いなどあり得ません。それならば、貴女の仰ることも確かなのでしょう。とはいえ、女神様に向かってそのような物言いをなさるなんて......」
納得しきれないという表情だ。
ラーリアは、今度こそハァと漏れ出る溜息を隠さなかった。
この押し問答に意味はない。ラーリアと彼女とでは、女神様に対する想いの種類も、その重さもまるで異なるのだから。
「——そう。それなら、謝ろう。私は別に、女神様を冒涜したいわけじゃない。私の罪を教えてほしいだけ」
だから、言い方が多少ぶっきらぼうになってしまったのも仕方がない。
だが、未だにぶつぶつと呟いていた神官はラーリアの様子に気が付かなかったのか、何やらキリリと覚悟を決めた目でラーリアに向き直った。
「——いえ。私も熱くなってしまいました。ご無礼をお許しくださいませ。貴女のような方を導くのも、我々の役目。とはいえ、私ではいささか力が足りないようです」
「そう? つまり、どういうこと?」
ラーリアはもう、態度を隠さなかった。女神様を信じるのはいいが、この盲目さは正直、理解できなかった。
「貴女の罪は、今世のものではありません。ですが、私には前世までを見通す力は無いのです。貴女が求める答えは、きっと、都の大神官様がくださるでしょう」
その瞳は真っ直ぐで清らか。何の汚れもない、まるで赤子のようだ。
ラーリアは神官からついと視線を逸らすと、「分かった。ありがとう」とだけ残し、神殿を後にした。
——自分以外の何かに全てを託し、信頼を寄せ、命すら預けるということ。
(まったく......理解できないな)
どうせ誰もがいつか死ぬのに、とは、言わないまでも。
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