5.魔女の咲かせた花

——シュオーネ王国 北方の町ラーザ 森の中


「待てよ! ジャック・フロストを見せてあげるってどういうことだよ! そいつ、まだここにいるのか⁉︎」


 ゼイゼイと息を荒げて追ってくるルークに、ラーリアはチラと目を向けた。


「......ここら辺でいいかな。町中でやると、周りが煩いだろうから」


 そして、ルークの疑問には答えず、そう呟く。


「ルーク、私の隣へ。何を聞かれても答えちゃ駄目だよ」

「は? 何、それ......どういうこと?」

「良いから。私が良いよって言うまで声を出さないで。相手の話に反応したら、連れて行かれるよ」

「連れて行かれるって......んぐ」

「黙って」


 ラーリアはルークの口を無理やり塞ぐと、杖を構えた。正直、この類の魔法を使うのは久しぶりだ。精霊を呼び出すのは。


(応えてくれないってことは......ないか)


 何故かは知らないが、女神様に嫌われた者は、精霊たちにはよく好かれるのだった。


(精霊たちは、女神様のことが嫌いなのかな......いや、それは今はどうでも良いか)


 自分を捕らえようとする思考の波を、頭ひとつ振って追い出した。杖をしっかりと握り直す。


「——悪戯好きの冬の精霊ロビン・ジャック・フロスト——姿を見せて」


 ふわりと風が巻き起こる。冷たい風だ。それは徐々に強くなり、雪を帯びて二人の周りを跳ねるように飛び回った。


『僕と遊ばない?』

『こっちへおいで』

『会わせてあげるよ』

『そんなの捨ててさ』


 さまざまな誘惑の声が、耳元や、遠くの木陰や、足元の影の中、果ては自分の胸の内から——聴こえてくる。歌うように軽やかに、甘ったるいお菓子のように纏わりついて。


「......ッ」


 ルークが声にもならない声を漏らす。自分で自分の口を塞いで、やっとどうにか堪えてるといった様子だ。


『ラーリア、僕らと行こうよ』

『もう少し、堕ちるだけだよ』


 そんなルークを見るラーリアの耳元でも、精霊は誘うように歌う。その声に浸ってしまえば、身を預けてしまえば、きっとすべてがうまくいく——そんな風に思わせてくるこの声に、幼い頃は幾度となく惹かれた。けれど、その度に「駄目だ」と自分を止める声が頭の中で響く。思えば、自分が何かを探していると思うようになったのも、その声を聞いてからかもしれない。


 そんな逡巡があって。

 ラーリアは、フゥッと息をついた。


「ジャック・フロスト、あなたたちに聞きたいことはひとつだけ。私が今、この夏を冬に変えたいと言ったら——手伝ってくれる?」


 途端、急に風が唸り声を上げた。ザワザワと肌を刺すような寒気が二人に押し寄せる。


『手伝わない』

『できない』

『僕らは冬に生きるもの』

『夏を奪うことは許されない。僕らから冬を奪うことが許されないように』


 それは世界の叫びだった。そして、魔法の限界でもある。魔女は、精霊や自然の力を借りて魔法を使う。それは奇跡ではなく、この世の理に従った上で、世界を少しだけ欺く技のこと。


 ラーリアはそれをルークに見せたかっただけだ。


 だから用を終えた今、コツンっと杖を打ち鳴らすと、精霊たちに笑顔を向ける。唸るようだった風が、少しずつ穏やかになっていく。


「ごめんなさい、ジャック・フロスト。教えてくれてありがとう。あなたたちの家へお戻り」


 その声を合図に、寒さは和らぎはじめた。


『ああラーリア、僕らは、君が呼べばすぐにでも行くのに——次は、ちゃんと呼んでね』


 そして精霊はいつも通りの台詞を残すと、冬の匂いを残り香に、パチンッと音を立てて消えた。


 ラーリアは、詰めていた息を吐き出した。自分の手を超えたものたちと接するのは、いつも緊張する——女神様には、全く感じたことはないが。


 ルークを見れば、目を見開いて固まっていた。しかも、小さく震えている。


(少し、やり過ぎた......?)


 そっと、今日二度目の風の羽衣エアリエルを唱えると、ルークを包み込む。この魔法は暖めるためのものではないが、夏の今、周りの空気で包み込むだけでも十分に暖かいだろう。


「ルーク、落ち着いた?」


 身体の震えが止まっても喋らないルークに、ラーリアが話しかける。そこでルークがジッと向けてきた視線に、ラーリアは思わず「あっ」と声を漏らした。


「良いよ。もう声を出しても大丈夫」

「っ、はぁぁ......本当に、いきなり、何なんだよ......」


 恐れというより呆れと困惑の濃い声だ。当たり前か、とラーリアは自嘲した。


「ジャック・フロストが誰か分かったでしょ。貴族なんかじゃない。あれらには——この世界には、私たち魔女だって逆らえない」

「......分かってるよ............」


 拗ねた声色。ラーリアは苦笑を浮かべると、そっと山の方を見上げた。このラーザの町に入る前に通った山だ。そこに今も咲く一輪の花を思い浮かべて、口を開いた。


「ルーク、サナさんのことだけど」

「......なんだよ。サナなら、もしかしたらウルサスは昔行った南の町の方に間違って行っちゃったのかもって、冬が終わってすぐに出てったけど」


(南の町......やっぱり、あのおじさんは)


 思い出すのは、この間聞いたばかりの、娘を想う父親の話。


「......その子は、ひまわりが好きだった?」

「......え? そう、だけど」


 突然の問いに、ルークは困惑した表情を浮かべる。反対にラーリアは、どこか納得しつつも複雑な、苦々しい笑みを浮かべていた。


「——じゃあ、ウルサスは、禿頭で、無精髭、斧と防具にはひどく傷がついていて——それで、目つきも悪い?」

「な......んで......? どうして、あんたが知って......」

「私、その人に会った。正確には、彼の霊に」


 息を飲んだルークに、ラーリアは全てを話した。どう出会い、何を話し、彼がどうなったのか——その、全てを。


 そうして話終わったとき、ルークはぽたぽたと涙を流していた。けれどさっきとは違い、その口元には小さく笑みも浮かんでいる。

 そして、ズズっと鼻をすすったあとに、さっぱりとした表情でラーリアを見上げた。


「......ねぇ、ラーリア。さっき、ラーリアは魔法は奇跡じゃないって言ってたけど......ラーリアがウルサスと会って、そのあと俺と会ったのは、奇跡って言うんじゃないの?」


 ルークの問いに、今度はラーリアが息を飲んだ。突拍子もない話だ。女神様の定める運命は生きている間のことだけだから、ウルサスが死んだ後に自分たちが会えたのは運命の悪戯とは言わないのだろう。


(じゃあ、なんだろう。私たちが会えたのは......)


 奇跡はこの世にない。それは、魔女としてラーリアが知っている真実だ。


 ——でも、でもと、思わずにはいられない。


 結局、ラーリアは迷った挙句にこう答えた。


「それは、私には分からない。でも、花は還るべきところに還る——それなら、出会うべき人を、会わせるのかも」


 ふはっと、ルークが声を上げて笑った。


「なんだ、じゃあさ、俺たちを会わせてくれたのは、ウルサスのひまわりってこと? なんだそれ......相変わらず不器用っていうか、めんどくせぇっていうかさ......」


 声を詰まらせたルークの頭に、ラーリアはそっと手を置いた。そして一緒に、ひまわりのある山の方を見上げる。


「——優しいんだね。ウルサスは」


 ラーリアの言葉に、ルークは何度も、何度も頷いた。

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