4.魔女のお節介
——シュオーネ王国 北方の町ラーザ 古着屋を出て
ルークは、ラーリアが服を選び終わるのを律儀に見届けると、すぐさま拗ねた顔で踵を返した。ラーリアは、一応子どもなのだし家まで送って行くべきかと悩んで後を追うことにする。
「ルーク、前をちゃんと見て」
「うるさいな。俺の役目はもう終わりだろ! ついて来んなよ!」
「ルーク」
「その服なら、貴族様だって騒がれることもねぇだろうし?」
「ルーク、そうじゃなくて」
「なんだよ、もうさっき謝ったじゃ——」
「っあぶない!」
そのとき、ラーリアはとっさに魔法を使っていた。魔法名は
その目の前を、ルークが今まさに歩いていたところを、荒々しく馬車が通り過ぎていった。
「ッ、はぁ......ルーク、歩くときはちゃんと前を見ないと駄目だよ」
安堵の息を漏らしつつラーリアが諭すと、ルークは自分が死んでたかもしれないという現実がショックなのか、震える声で「......ごめん、なさい」と言った。
「......飲み物、買ってくるから。そこで待ってて」
ラーリアはルークを道端のベンチに座らせると、近くの屋台へ向かう。そして果実水が入った木のカップ二つを手にルークの元へ戻ると、ひとつを半ば無理やりルークに握らせて、隣に座った。
初めての庶民向けの果実水は、北の土地ならではのヴァレニエ(果実の砂糖漬け)を溶かし込んだもので、ラーリアが知っているのよりも甘めだったが、身体に染み渡る美味しさだった。
ちなみにこれは余談だが、そもそも貴族と庶民とでは果実水へ求めるものが違う。貴族にとっては朝起きたときや夜寝る前に飲む、さっぱりとしたリラックス効果のある飲み物。庶民にとっては汗をかいた仕事の休憩中に間食代わりの、あるいは子どものおやつ代わりの飲み物。
それぞれで味の傾向が違うのも、そういう背景があるためだ。——そもそも、新鮮な果実を浸したものを毎日飲むなんて贅沢は、土が痩せ気味な北部地域の庶民とって、したくてもできないことだったが。
そんなこんなで、ラーリアには馴染みのない味だったが、16歳の女の子である彼女にとっては、甘みをしっかりと感じられるこちらのほうが美味しく思えた。しばらくの間ラーリアがそれを味わっていると、ルークがぽつりぽつりと言葉をこぼし始める。
「......『サナ』はさ、俺の幼なじみなんだ。赤ん坊のころから、何をするにもずっと一緒だった。でも去年の冬、いつもより雪が深く積もって、サナの家は農家だったから、全部野菜がやられた。もちろん、俺たちもなるべく助け合ったよ! ......でも、去年は本当に長い冬だったんだ」
ルークは、その寒さを思い出したかのようにブルっと身を震わせた。
「......サナの父さんは、昔は冒険者だった。斧使いのウルサスって呼ばれて、凄い有名だったんだって」
「
古語で熊という意味だ。荒々しいイメージが強く、普通はあまり人名には使わないはず。
そんなラーリアの考えを読んだかのように、ルークはコクンと頷いた。
「手負いの熊みたいに怖い目つきしててさ、でも、本名だよ。サナが生まれてからは、危ないことはやめるって言って農家になったって」
「そう。勇気のある人だね」
新しいことを始めるのは難しい。精神的にも技術的にも、越えるべきものは多い。それを、ラーリアは身をもってよく知っていた。
それが伝わったのだろうか。強張っていたルークの顔が、少し綻んでいた。ウルサスのことを怖い目つきとは言ったが、その見た目に反して人望の厚い人だったのだろうなとラーリアは想像した。
「うん。俺、ときどき森に連れてってもらってさ、ほんとすげーんだよ。魔物を真っ二つにしてさ」
「成程。まさしく
「そう! すげーんだよ、ウルサスは!」
ルークの目はきらきらとしていて、いかにウルサスに憧れていたのかが伝わってきた。
だがやがて、ルークは俯いてしまう。ゆらゆらと波打つ果実水の表面に、その日の光景を見ているのだろうか。顔がくしゃりと歪んだ。
「——ウルサスは、魔物を倒して来るって出て行って、帰って来なかった。吹雪の日が続いて、本当に食べるものがなくて......今だけ冒険者に戻るって言ってた。絶対帰って来るからって......言ったのに」
「......そう。それは、寂しかっただろうね」
ルークが強く握りしめる木のカップが、ピキッと音を立てた。まるでそれを合図にしたかのように、ルークは勢いよく顔を上げる。
「ッ違う! 俺は、悔しいんだよ! あのとき、貴族が通りかかって、一人が杖を持ってたんだ。魔法を使えばウルサスのこと助けられると思って、俺、必死に頼んだんだよ! でもあいつは、無理だって言って魔法を使おうともしなかったんだぞ⁉︎ 人殺しだろ、そんなの‼︎」
激昂したルークの目から、ポタポタと涙が落ちる。
ラーリアは、ルークの言葉に場違いにも納得していた。杖を持った貴族の格好をしたラーリアに、なぜあんなにも敵対心を向けてきたのか。そして同時に、その魔女が断った理由も納得できてしまった。
(......きっと、そこにいたのが私でも、断ってた)
ラーリアは、そっと、ルークの手から木のカップを取った。強く握りしめて赤くなった手が痛々しい。
「ルーク、魔法は何でもできる奇跡なんかじゃ無い」
「そんなの知ってるさ! でも!」
ラーリアは真っ直ぐにルークの目を覗き込んだ。本当ならラーリアはその魔女を庇う必要はないし、ルークに真実を教える義務もない。けれど、それで救えるなら伝えるべきだと、誰かに昔言われたような——そんな気がして、黙って見ていることはできなかった。
「ルーク。魔法は、一度にひとつしか使えない。雪を防ぐ魔法も、体を暖める魔法もあるけど、冬を退ける魔法はないよ」
「え......? どういう、こと?」
「その魔女が吹雪の中探しに行っていたら、きっとウルサスの二の舞だった。死んでいたと思う」
「っ、でも、人を探す魔法とか!」
「知っている人を探す魔法ならある。でも、知らない人は探せない。それに、言ったでしょ。使える魔法は一度にひとつ。探すための魔法を使えば、吹雪で倒れる。使わなければ、探している間に雪に足を取られるか、寒さに凍えるかで死んでいた。それに、魔法は永遠には使えない。もし、探しているうちに魔力が切れて、魔物に出会ったら?」
ゆらゆらと、不安定に揺れるルークの目。きっと彼はもう分かっている。それでも余程、ウルサスという人の死を認めたくないのだろう。
「それは......だって、それなら、どうしたらよかったんだよ! 許せるわけないだろ! だってあいつら、『ジャック・フロストには逆らえない』って言ってたんだ!」
「ジャック・フロスト?」
聞いたことのある名に、思わずラーリアが反問すると、ルークはそれに縋り付かんとばかりにキッと睨みをきかせた。
「そうさ! きっとどこかのお偉い貴族様なんでしょ⁉︎ そいつのせいでウルサスは死んだんだ!」
「......そう。ルーク、着いてきて」
ラーリアはそう言うと立ち上がり、買ったばかりの深緑のローブを翻しながら、くるりと背を向ける。
「は? なんだよ、いきなり」
当然、ラーリアの突然の行動にルークは混乱していた。けれどラーリアはあえて立ち止まろうとはしない。今、彼に甘くしては、きっとルークはずっと貴族を、魔女を恨んで、現実と向き合えなくなってしまうと思った。
だから、ラーリアがルークに伝えることはこれだけ。
「ジャック・フロストに会わせてあげる」
「......は? なんだよ、それ、どういう......ちょっ、待てよ! 行くから!」
ラーリアはルークが付いてくるのを横目で確認すると、スタスタと森の方へ歩いて行った。
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