3.魔女の泊まる宿
翌朝。
メイドに強制的に起こされ、ぎゅうぎゅうと腹を締め付ける服を着させられることのない、自由な朝だ。
しかしというかやはりというか、ラーリアが目覚めたのは、朝というには少し遅めの時間だった。体力の無さというより、野外の歩き方や獣との対峙の仕方に慣れてないゆえの疲れが出たのだろう。
(少しずつ、慣れていかなきゃ)
覚悟を新たに、朝の支度を終え、昨日買っておいたチーズパンの残りを水で流し込むと、部屋を出る。
ラーリアが泊まっているのは、ラーザ内の冒険者向けの宿 <
ラーリアが初めての依頼として勧められたように、この辺りでは誰しもが冒険者になりたての頃に白尾鳥の依頼を受ける。それが今では、白尾鳥という言葉自体が新参者冒険者を指す言葉として使われているのだとか。
つまりこの宿は、冒険者なりたての人向けの安宿ということだ。ただし、安宿とはいえ掃除のされてない大部屋に詰め込まれるわけでもなく、むしろ昨日この宿に入ったときは、依頼の受け方のコツや、より良い武器屋の見つけ方なんかを語る、気の良い女将の姿が目についた。
(まったくの善意で人に尽くすなんて、貴族では有り得ないのに)
それは、物珍しい光景だった。とはいえラーリアは、元から感情の起伏があまり無い。心は動いたが、それでお気楽な貴族に怒りを抱いたり、貴族の贅沢を知らぬ間に——煙たがられていたとはいえ、庶民よりは確実に——享受していた自分を、恥じたりすることはない。ただ淡々と、こっちの方がいいな、くらいに思った。
そんな昨日をぼんやりと思い出しながら、ラーリアは階段を降りた。
宿の一階は受付のほかに食事処にもなっていて、宿泊客でなくても利用できる。冒険者の溜まり場になっているそこは、今も色んな人の話し声が楽しそうに響いていた。けれどもラーリアは、あまり多くの人と賑やかに過ごすのは好きではない——と、自分では思っている。少なくとも、令嬢たちのお茶会なんかには二度と参加したくない。そのため、真っ直ぐに外へ出ようと扉へ向かう。
「おや、おはよう、お嬢ちゃん。昨夜はよく眠れたかい?」
だがそんなラーリアの背中に、声がかけられる。優しさが滲んだその声を、ラーリアは無視できなかった。
「
「そう、それは良かったね。それで、今日の予定は? また依頼を受けに行くの?」
「今日は服を揃えようかと。近くに仕立て屋はありますか?」
それならついでにと尋ねる。声をかけられなければ、ラーリアは町中を回って店を探すつもりだった。
「ああ、その服じゃいかにも貴族って感じで目立つもんねぇ」
恰幅の良い女将がラーリアを見て苦笑する。ラーリアは、昨日のおじさんといい、よく服だけで貴族とわかるものだなと感心した。
「......気づいていたのですか?」
そうこぼすと「当たり前だろ!」という声がどこからか飛んでくる。声の元はどこかと視線を彷徨わせれば、女将の後ろからラーリアを睨む目を見つけた。
十にもならない歳に見えるその子は、フンッと鼻を鳴らすとラーリアの服を指差した。
「そんな上等な服、見たこともねぇよ。しかも仕立て屋って、お貴族様でなきゃ一枚一枚服を仕立てたりするもんか! 俺たちはみんな古着屋で買ってんだぞ!」
その子が鼻息荒く叫ぶと、周りからなんだなんだと興味本意の視線がラーリアたちに向けられた。だがその野次馬も、たいていの人はすぐに視線を戻し、何事もなかったように元の行動に戻っていく。その中の一人が「なんだ、また
どうやらこの男児は女将の息子さんで、この子が騒がしくするのはこの宿の日常風景らしい。
「こら、ルーク! お客様に偉そうな口利くんじゃないよ! この馬鹿息子が!」
ラーリアがそう分析をしていると、女将の怒声とともに容赦なく拳骨が落ちた。「いってぇ!」とは叫んだものの、くりっとした琥珀色の目には涙も滲んでいない。
(......こうして叱られるのも、いつものことって感じか)
ラーリアは彼からの敵意を意に介すことなく、そう思った。
もしかしたら、そんなラーリアの様子が気に食わなかったのかもしれない。ラーリアは別に、ルークの意見は聞く価値もないと思っているとかそういうことは全くないのだが、いかんせん無表情だし、人と感情のやり取りをするのに慣れていない。加えて、貴族社会では、自分が足を掬われないように相手をよく見てよく知るのが定石だったというだけだ。
けれど、自分が庶民の子だから無視されたのだと勘違いしたルークは、ますます顔を赤くすると、母親である女将に抗議の声をあげた。
「俺は本当のこと言っただけだろ! いつだってこいつらは、自分たちがいかに優雅に暮らすかだけ考えて、俺たち庶民のことは馬鹿にしてんだろ。そんな奴らに優しくしたって、何の意味もないじゃん!」
「あぁ、そうさ。でもこの子もそう見えるかい? そんな人なら、庶民を真似て冒険者やったりこんな古宿に泊まったりはしないだろうね。貴族と聞きゃ、全員同じだなんて思うんじゃないよ。ちゃんと一人ずつ見てやんな」
「それは......だって、貴族が助けてくれれば......サナは」
ルークの瞳が潤んでいく。『サナ』が誰なのかラーリアにはわからないが、ルークにとって大切な人なのだろう。いや、だったのだろうと言うべきかもしれない。
すっかり俯いてしまったルークの頭に、女将は今度は優しく手を置いた。
「だってじゃないでしょ。ほら、お姉さんになんて言うの」
「......ごめんなさい」
ラーリアは「気にしてません」とだけ答える。そして「それよりルーク君、」と言葉を続けた。別にそれは、しんみりとした空気を変えようとしてしたわけではない。
ラーリアからすれば、『サナ』を見捨てたのは自分ではないし、貴族らしくちゃんと優雅に暮らしてた記憶も無いので、不本意に怒りを向けられていたという自覚だ。だがそれも、謝罪を受け入れて一区切り、ということで話を変えたのだった。
だがそこに、目を赤くしたルークが無愛想な顔で茶々を入れる。
「......庶民は、特に冒険者なんてのは、相手が貴族でもなけりゃ敬語使ったりしねーよ。年下に『君』なんて付けてんのも聞いたことねぇ」
きっとそれは、彼なりの譲歩。感情のまま突っ走ってしまった手前、急に素直になるのも恥ずかしいというルークの葛藤の印だ。
ラーリアはそう解釈すると、フッと笑みをこぼした。
「そう。教えてくれてありがとう、ルーク。それで、よければ古着屋に案内してほしいのだけど」
「は? なんで俺がそんなこと......」
「私はお貴族様だったから、常識を知らない。だから、教えを乞おうと思ってね」
そしてこれは、ラーリアからのちょっとした意趣返し。
女将はすぐそれに気がついたらしく、ハハハッと陽気な笑い声をあげた。
「ルーク、あんたの負けさ。連れて行ってやんな。そんで嬢ちゃん、今夜はアンタを含めた
今度はラーリアが目を見開く番だった。
「え、でも、それは......」
「おやおや、他の人と仲良くやんのも冒険者の仕事のひとつみたいなもんだよ? 知り合いは、多ければ多いほど良いんだからね」
ラーリアは、たくさんの人と関わるのがあまり好きではない——けれど、何故か「嫌だ」とは言えなかった。
(『女神の堕とし子』の不運も、基本は自分だけのものだし......ね)
ラーリアは自分の心の不可解な揺らぎをそう解釈すると、ルークに続いて宿を出た。
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