1.魔女の出会い
——シュオーネ王国 北方の町ラーザ 手前の山中にて
「嬢ちゃん、ここいらは初めてか」
「ええ」
「山も初めてか?」
「ええ、これはもう食べられるかしら」
「ああ、舌を火傷すんじゃねぇぞ。......そんでお嬢ちゃん、あんた貴族落ちか」
「......ええ、そうだけど」
ラーリアはそこで改めて男のほうを見た。
無精髭に禿頭、多くの傷がついた防具に刃こぼれした斧。見たところ熟練の冒険者といった様子の男が、目つきの悪い視線をラーリアに飛ばしていた。
「どうして分かったのかって顔だな」
「......そうね。教えてもらえるのかしら」
「そういうところも、まるで箱入りのお嬢ちゃんって感じだな。冒険者っつうのは、依頼さえありゃあどんなことでも仕事にするんだぜ?」
それは逆に言えば、どんなことでも報酬が無ければやらないということだ。
「それなら、仕方ないわね」
ラーリアは呆気なく諦めると、キノコと兎の鍋をよそった器にスプーンを入れ、喉に流し込む。
味付けは塩のみの薄味スープ。
でもそれは、ゴテゴテと無意味に飾り付けをして、毒味のために冷めたものばかりの家での料理よりも、何倍も美味しいとラーリアは思った。
「諦めがはえーよ、嬢ちゃん。そういうとこは貴族様らしくねぇのな」
「そうかもしれないわね」
あっけらかんと答えると、男は少し呆気にとられたあと、ガハハッと大きな声で笑い始めた。
「素直だな、嬢ちゃん。そりゃ良いことだ。世の中には、家族にも仲間にも素直になれなかったせいで死んでいった冒険者も多い」
「......そうみたいね」
「ああ。それと、嬢ちゃん、その言葉遣いと妙に小綺麗な服は変えたほうがいいな。見るやつが見れば、あんたは金のなる木だろうよ」
笑い疲れたのか、男は顎を手の上に乗せてじっと焚き火の炎を見つめる。その手には、お椀もスプーンも、初めから何も握られていなかった。
「......教えてくれるの? お金はあるけど、それは貴方にとって報酬にならないでしょう?」
「そうだ。金なんざ俺には必要ねぇわな。だが嬢ちゃんは、魔女だろう。魔法をひとつ、使ってくれればいい」
それが何の魔法か、ラーリアは聞かなかった。聞かなくても、わかっていたとも言える。
ラーリアはひとこと「分かったわ」とだけ答えると、また一口スープを飲んだ。
その晩は、焚き火のもとで『町娘らしい話し方』やら『冒険者ビギナーが選ぶべき依頼内容』だのを講釈してもらいながら、ゆっくりと穏やかに更けていった。
——朝。遠くの視界に、朝日が滲み始める。
二人は、なんだかんだ夜じゅう続いた会話をどちらからともなく止めると、光の差す方に目を向けた。
ラーリアは、複雑な気持ちで明るい陽の光を見つめていた。
「——さて、と。ほら嬢ちゃん、早くしねぇと、あっという間にお天道さんは昇っちまうぞ?」
「うん。でも......本当にいいの?」
ラーリアは、男に注意されるうちに『町娘らしい話し方』をマスターしていた。男は、ラーリアのどこか寂しそうな声とは裏腹に「お、すっかり板についてきたな」と心底嬉しそうに呟くと、ニカッと笑ってラーリアの頭に手を乗せた。
その身体はぼんやりと透けていて、ラーリアの風に吹かれた薄茶の髪がさらさらと腕の中を通り抜ける。
「綺麗な色だな。俺の娘によく似てる色だ。そんなあんたと、最後に過ごせて良かったよ。娘には、『ぜってー無事に帰ってくるから、心配すんじゃねぇよ』って、嘘ついたまんまになっちまったからなぁ」
「......素直に言えなかったことを後悔してるなら、私が......」
伝えるよ、という言葉は、悲しさなど微塵もない、ただ照れ臭そうな男の笑顔を前に口にできなかった。
その代わり、ラーリアは杖を構えると、それを男の方に向けた。
「最後に、名前くらい教えてくれてもいいのに」
「そりゃーダメだろ。あんたの心の中に残っちまう」
「いまさら? 私もう、忘れられないよ」
少し拗ねたように言うと、男がガシガシと頭をかきながら困ったように笑った。
「嬢ちゃんはまだ、わけーからなぁ......んでもって、優しいしよ。昨日、町へ降りようとして俺を見つけて足を止めてくれたのも、そういうことだろ? まぁ、一瞬そのまま通り過ぎようともしたみてーだけど」
「だってそれは、初めはあなたが人間だと思ったから」
「いやいやいや、人間ならなおさら助けやがれよ......嬢ちゃん、掴めえねぇなぁ」
「......私は、『女神の堕とし子』だから。あまり人とは関わらないようにって言われてきたの」
そう言うと、しんと沈黙が落ちる。
(......やっぱり、『女神の堕とし子』に魔法を使われるのは嫌よね)
ラーリアはまだお嬢様口調の残る言葉で、心の中で呟く。
ラーリアの優れた魔法技術を讃えてくれた者たちは、皆、ラーリアが不幸を呼ぶ『女神の堕とし子』だと知ると離れて行った。この世界で女神がどれだけ人々の信仰を集めているか、というしるしだ。
仕方がない、町へ降りて誰か他の魔女を連れて来よう——そう思いかけたとき、男がまた、ラーリアの頭にぽんっと手を乗せた。
いや、手の感触は感じられないけれど、そのはずなのに、確かに暖かな温もりをラーリアは感じた気がした。
「——そうか、嬢ちゃん、そりゃあ......辛かっただろうなぁ。こんな、良い子なのによ。女神さまもひでぇことをしやがる。そうか、そりゃあ、人に近づくのは怖かったろう」
その言葉に驚いてラーリアが目を上げると、男はもう一度ぽんぽんっと頭を撫でた。
「それでも、嬢ちゃんがいるおかげで助けられるやつもいる。俺とかな。大丈夫、嬢ちゃんなら、大丈夫だ」
目の奥が熱くなる。ずっとこの言葉が欲しかったんだと、ラーリアはそのときやっと気がついた。
「——好きな花は?」
ラーリアはひとこと、そう尋ねた。
「ああ。娘が、ヒマワリが好きなんだ。昔、まだほんのちっちゃい頃に、南の方で見たのが忘れられないんだ、ってな。嬢ちゃん、頼んだぜ」
「そう。わかった」
ラーリアが目を閉じると、男の体が光に溶け始めた。そうして、柔らかな朝日の中にふわりと消えていく。
やがて、その身体の全てが消えたとき、粒となって空気に溶けていく光の中に、綺麗なヒマワリが太陽を見上げていた。
この地に彷徨う霊を朝の光にのせて天へと昇らせ、その代わりに故人が好きだった花を一輪だけ咲かせる魔法。
「——
どこかの誰かが、死んだ妻を想って作った魔法の名前だ。
「......ヒマワリ、温室にあったのを見といてよかった」
あんな実家でも、少しは役に立つ。
この魔法で咲いた花は、どんな気候にも負けず、永遠に咲き続けるという。長い冬には雪が積もるこの山でも、一輪のヒマワリが旅人や冒険者の心を温めるのだろう。
ラーリアはもう一度その花を見ると、そっと踵を返して山を降って行った。
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