第29話 氷の戦乙女という異名

 グライドは戦う内に動き、気付けば家屋の残骸に移動していた。

 かつては中庭だったであろう空間で、グライドとスラストの戦いは、いつ終わるともなく激しく続いている。壁の残骸と家屋だった瓦礫、その間から草木が生い茂り枝葉を広げている。踏み散らされた草のにおいよりも、男二人の汗のにおいが強い。

 剣と剣が打ち合わされ、甲高い音と火花が散る。実力は拮抗しているようにも見えた。

「くぅっ!」

 だが、グライドは僅かに後退した。気持ちも同じで、スラストの剣に圧されているのは間違いなかった。拙い予感に、じわりと背に冷や汗が吹き出す様を感じている。

 スラストは強敵だった。

 繰り出される剣は速く鋭く的確で、攻撃をしかける隙がない。グライドは剣を合わせ防ぎ続けていたものの、口の中は乾ききっていた。

 さらに後退し、大きく喘いだ。

 これだけの死闘の機会は、ここ数年はなかった。旅の途中では何度かあったが、この国に居を構え生活を始めた後は、生活費を稼ぐための護衛や警護ばかり。戦いはあっても、命を削るような強敵との遭遇はなかった。鍛錬で技と身体は維持してきたが、戦いに臨む心は緩やかに鈍磨していたというわけだ。

 しかしスラストは、そうではない。グライドを探す旅の中で戦い、生き死にの狭間を踏み越え続けてきたのだろう。滑らかな動きで前に出てくる様子は思いきりが良く、グライドの怯みをかぎ取っているのだろう、果敢に攻めてくる。

 スラストは大きな石を踏み越え、剣を繰りだした。

 剣先が伸びるようにして打ち込まれ、その鋭さと鮮やかに戦慄しながら弾き返す。再び剣が繰り出され、これをタイミングを合わせ躱す。即座に横合いから斬り付けた。

 だが、狙っていたカウンターは読まれていた。

 鋭く身を翻したスラストから剣先が放たれ、これに左の腕を斬られ、グライドは鋭い痛みに歯を噛みしめた。血が流れ、したたり落ちるのが分かる。

 さらに数度、斬り合った。

 グライドの剣はスラストの腕を掠めたが、逆にグライド自身は腰から腿にかけ深く斬られ、さらに肩口にも一撃を受けていた。思考の中に痛みが入り込み、焦りと恐れを増幅させ邪魔をしてくる。

 天秤が傾くように、勝利が遠のきつつあると感じていた。

 それでも致命傷を防ぎ続けているのは、身体が反応するからだ。けれど意識の方は怯み恐れ負けを認めつつある。地面に転がる朽ちて崩れた家の残骸が、まるで自分の行く末のように感じられてしまう。

 草よりも汗よりも、血の臭いが強く鼻をつく。

 そろそろ限界に近かった。

 勝負に勝ち負け、生き死にが生じるのは当然の事で。グライドも、これまで幾多の戦いの中で何人もの命を奪ってきた。ついに自分が奪われる番がやってきた。かつて愛する者の命を奪った報いを受ける時が訪れたのだ。

 それでも迫る剣を弾き身を守り、グライドは息を荒げる。身体の動きは鈍いが、それ以上に気力が大きく疲弊していた。


◆◆◆


 迫る炎。

 しかしアイリスはハルバードで地面を打った。正しくは、そこに転がっていた木塊を、殴りつけるように打っていた。回転しながら飛び上がった木塊は、空中で炎弾に激突。

「なにっ!?」

 間近に爆発するような炎が生じ、熱風が押し寄せ、ゼルマンは驚愕する。しかし、それをやってのけたアイリス本人は平然としていた。

「残念です。グライドのように上手くはいかないのです」

「なんて奴だ……」

「それでは、お返しなのです。熱さの後には冷たさを、アイスニードル」

「ちっ!」

 アイリスはマギのジョブを持ち、そして氷の戦乙女の異名が与えられているように、氷の魔法を得意とする。指さした前に鋭い氷柱が出現すれば、瞬時に加速し射出された。

 氷柱は一条の矢となって空を引き裂き、ゼルマンの胸を目がける。

 ゼルマンは焦りの顔で目を見張るのだが、そこは抜け目なく、隣に居た部下の腕を掴み目の前に引き出した。そして矢となった氷柱は、部下の胴を串刺しにした。零れ出た血は即座に凍り付き、短くあがった悲鳴は直ぐに、身体の動きと共に途絶えた。

「えげつねぇ魔法だな、おい」

「仲間を盾にするとは思わなかったのです」

「自分が生きるためには、他人を犠牲にするのが世の中なんだよ! おい、誰かあいつを連れて来い!」

「フウカを人質にするのであれば、あちらの二人が黙ってないと思いますが」

 言ってアイリスは、今も剣を打合せ激闘を繰り広げるグライドとスラストを指し示した。確かに今は戦う二人だが、フウカが危なくなれば、その矛先は瞬時に変わるに違いない。それが分かっているゼルマンは鼻で笑った。

「確かにな。だが、人質が一人だけといつから思っていた?」

「え?」

「連れて来い」

 その言葉で建物から連れ出された相手に、アイリスは大きく目を見開いた。拘束こそされていないが肩を掴まれ、ゼルマンの横に連れて来られてこられたのは、あまりにも予想外の姿だった。

「どうして?」

「御嬢様、申し訳ありません」

 言葉通りに申し訳なさそうに白髪頭を深々と下げるのは、間違いなくトリトニア家の家老バートンであった。


「さあ、どうだ。大人しく、武器を捨てて膝をつけ」

 バートンの肩を掴んで、ゼルマンは言った。アイリスのハルバードに倒され地面の上で呻く仲間など一顧だにせず、余裕の様子で嫌な薄笑いを浮かべている。

「それは出来ないのです」

「そうか。だったら、こいつがどうなってもいいって事だな」

「ダメなのです」

「だったらどうする気なんだぁ、おいおい」

 ゼルマンが嘲りの声をあげれば、周りから合いの手のような笑いがあがった。

 どちらも選べない状況に追い込んだ相手をいたぶる行為を楽しんでいる。これまでそうやって生きて、他人を苦しめてきたのだろう。だが、今回ばかりは相手が悪かった。

「こうします」

 言ってアイリスは軽く目を伏せ集中した。

 銀色をした髪が風もないまま揺れ、次の瞬間、大きくしっかり目が見開かれる。紫をした瞳の色が常とは違い、濃く強く激しく輝いていた。マギの力を全身に行き渡らさせたため、存在感が一段も上がったように見える。

 アイリスの足元の地面に霜が降りるのが、氷の戦乙女という異名の由来だ。

 そして驚くゼルマンの反応を許さず、冷気を纏ったアイリスは地を蹴って一気に踏み込んだ。素晴らしい速度で、下からすくい上げるようにハルバードを振るう。ゼルマンは辛うじて、それを回避した。

 だが、右腕を微かに掠めている。

 そして、それだけで十分だった。

「なっ!?」

 傷を受けたゼルマンの右腕に出血はない。なぜなら、その傷口は凍りついているのだから。よろめき数歩後方に下がったところに、ハルバードを構えたアイリスが迫る。

「貴公の首は、柱に吊されるのがお似合いなのです」

「まてっ! 止めろ!」

「知りませんでしたか? アイリスは悪い令嬢なのですよ」

 にっこり微笑んだ

「それでは、どうぞごきげんよう」

 アイリスは笑顔のまま、ハルバードを振り下ろす。

 恐怖の叫びをあげたゼルマンが横に動く。だが、避けきれない。ハルバードの重く分厚い斧は肩口に叩き込まれ、胸の半ばまで断ち斬って、さらに凍らせもした。衝撃によって膝は崩れ、跪くような体勢だ。声にならない息が口から漏れ、目だけが上を向いて細かな瞬きをする。

 ハルバードの斧が引き抜かれると、赤黒い氷片が幾つもこぼれ落ち、ゼルマンはゆっくり仰向けに倒れ息絶えた。残ったブラックマスターシュの間に動揺の声が広がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る