第6話 割に合わない仕事

 石の敷かれた道は土を踏み固めただけになって、幅も馬車一台が通れるかどうか。

 周りからは家屋が消え、丈のある草地や畑ばかりが広がり、人の往来も極端に少なくなる。さらに進むと雑木の林となって、王都の中とは思えない静かな場所となった。初めて通る者であれば、この道の行き先に不安を覚えるだろう。

 しかしアイリスにとって、お気に入りの道だった。

 明るい光の中に時々小鳥の声と葉擦れの音が響くだけ。ここに来ると都市の音も聞こえない。アイリスの他には人影はなく、静かで穏やかな中で、自分の存在が強く感じられる。

 道の両側が薄暗い林になった時だった。

「ん?」

 アイリスが小さく喉を鳴らすように声をだす。道の真ん中に一枚のハンカチがある事に気付いたからだ。誰の落とし物かと首を傾げ、確認のため近づいた、まさにその瞬間――。

 林の中から数人が走り出た。

 これにアイリスは驚きこそみせるが、それは予想していた範疇での驚きだった。実際、直ぐにハルバードを手に取って身構えている。いきなり取り囲まれたにしては、まったく躊躇いというものがない。

 剣を手に打ちかかってくる男に、アイリスはハルバードを振り回し牽制。その勢いのまま、反対側へと斬り付ける。紙一重で回避されてしまうが、今度は持ち手を引いて、刃のない柄で背後から襲い掛かろうとしていた相手の腹を突いた。

 一人が悲鳴をあげ倒れる。

「こいつ手強い!」

「囲め! 逃がすな!」


 声をあげる相手にアイリスは何も言わず、真剣な顔に微笑を浮かべ、そのまま逃げもせず立ち向かっていく。小柄な身体で素早く動き、その激しく振り回されるハルバードの勢いに相手は迂闊に近づけないでいる。

 ハルバードの届かぬ間合いで遠巻きにする男たちと睨み合う。

 見るからに素行の宜しくなさそうな男たちが、次の攻撃に移ろうと動きをみせ、アイリスは油断なく身構えた。そちらを警戒していたが、横合いの林の中から閃光が迸ろうとは思っていなかった。

「あっ……」

 閃光がアイリスを打つ。

 小柄な身体は本人の意志に反し、ビクンッと大きく痙攣。そのまま力が抜け、ハルバードを取り落とし、くたっと倒れてしまう。横合いの林の中から、嫌な顔をした男が姿を現した。今の閃光による魔法を放ったのは、この男で間違いなかった。

「どうだ。スタンさせちまえば、氷の戦乙女だろうがなんだろうが、ただのガキだ」

 にやにやと笑い、棒の先でつつき成果を確認している。

「流石はゼルマンさん。しかしなんだぁ、くそっ酷い目に遭った」

「これだけ手強いとは思ってもなかったな。さすがに氷の戦乙女とか、ふざけた名前で呼ばれるだけはある」

「割に合わない仕事だぜ」

「そうでもないぞ。適当に痛めつけろって話だが……割に合うようにな、どうだここで楽しんでみるか。構わんだろ」

「貴族のお嬢様か、これは金を積んでも味わえんな」

 下卑た笑いをあげた男たちは、小柄な少女の両腕両足を掴んで持ち上げ、林の中へと運び込みだした。アイリスは意識こそあったが、身体が痺れて少しも動けない。


 長い銀髪の小柄な少女が林の中に連れ込まれる、まさにそのとき。石礫が鋭く空を過ぎって幾つも飛来、次々と男たちの顔面に命中した。

「がっ!」

 ゼルマンは思わず顔を押さえ、アイリスを取り落とした。

 そこに突っ込むのはグライドで、手にしていた棒を下から振り上げ一人を打ち据えた。右に左に振り回し、思う存分に男たちを叩きのめす。そうして男たちを追いやると、倒れていた少女を片手で軽々抱え上げ、大きく後方に跳んで距離をとる。

 痛みに顔をしかめた男たちは、それでも武器を抜き放って身構えた。

 しかし、棒で強打されたせいで身体はふらつき、剣もまともに構えられない。そんな男たちの中で、ゼルマンは顔を押さえた指の間から怒りに満ちた目を向け、マギの力を使い反撃に出た。

「こいつ痺れろ、スタンライトニング!」

 閃光が放たれ――しかし、その時にはグライドは棒を投げつけている。

 いきなり呪文を唱えたならともなく、わざわざ叫んで教えてくれたのだ。閃光は放たれると同時に、ゼルマンの手元に飛んで来た棒に炸裂。唱えた本人が腕を痺れさせる結果となった。

 さらに石礫が男たちを襲う。

 こうなるとどうにもならず、男たちは一斉に身を翻し夢中で逃げにかかった。痺れて動けぬゼルマンも、仲間に引きずられながらの退場だ。

 グライドは追わなかった。

 小脇に抱えていた少女――アイリスを、傍の柔らかな草の上に、そっと横たえた。

 安全になったところで、茂みの中からひょっこりフウカが姿を出す。身を隠しながら、得意の手裏剣術を活かし石礫を投げつけていたのだ。

「流石は、お父さんだよね。でも、追い払うだけで良かったの?」

「これ以上する義理はないな」

「確かにそうかもだね」


 少ししてアイリスは息を吹き返し、ぱちりと目を開いた。

「もう動けるか?」

 呼びかけに答えず、アイリスは小さく呻きながら身体を捻り、長すぎる髪を地面に広げたまま上半身を起こした。このような時は恐怖し、悲鳴の一つもあげるものだろうが、そんな様子は少しもない。

 自分の身に起きかけた危機を、どれだけ理解しているのか問いただしたくなるほど、きょとんと不思議そうな顔をしている。

「お姉さん、大丈夫? ピンチで危ない所を、私のお父さんが助けたのよ」

「アイリスは感謝してます、ありがとうございます」

「もっと警戒した方がいいと思うよ。あいつら、お姉さんを何日も狙ってたんだから」

「…………」

「えっと、どうしたの?」

 神秘的な淡い紫をした瞳を向けられ、フウカは目を瞬かせた。

 少しの微風があって、さわさわと林の葉が音をさせている。どこかで、誰かが焚き火をしているのか、そこには煙りのにおいが少しあった。

「どうしてアイリスを助けたのですか」

 心から不思議そうに問いかけられ、フウカは訝しげな顔になった。しかも、それをグライドに向けて助けを求める。

「えーっと? 助けた理由は、そりゃもう……あれ、なんでだろね?」

「暇だったからでいいのではないか」

「そうだよね。暇だったからよね。お金にもならないのに、何日も張り込んで見張って。結構大変だったのも、ぜーんぶ暇だったからなのよね」

「今度稼いだら、何か食べに連れていくから。だから怒らないで欲しい」

 よしっ、と両手を握るフウカの様子にグライドは胸をなで下ろした。

「さて、今日はもう大丈夫と思うが気を付けて帰るようにな。そして明日からは、これに懲りて不用意に出かけないように」

 言ってグライドは、そのまま歩きだした。置いて行かれそうになってフウカは、文句を言いながら追いかけ横に並び、何のかんの話しかけじゃれついている。

 そんな様子を、アイリスは無言で見送っていた。

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