第5話 銀色の髪が遅れてついてくる

「やはり鍛錬場に行くのは止めておくのです。なぜなら、きっと皆にじろじろ見られてしまうに違いありません。そういうのは、よくないです」

 アイリスは何度か頷いている。

 柔らかな色に満ちた部屋に相応しい、お嬢様らしい仕草だ。

「ですからアイリスは、やっぱり散歩に行くとしましょう」

「何かあったら私の責任になるんですけど。ほんっと、お供を付けて下さいよ」

「分かりました、お供を認めます。アイリスに付いて来られる人ならどうぞ」

 フリージアは困った様子で肩を落とした。

 これまでに何人もがアイリスの供をしようとして、いずれも挫折している。なぜならアイリスは素早く身軽なだけでなく、マイペースに思いもかけないルートを選んで移動するのだ。とてもではないが、一緒に行動するなど無理だった。

 聞き分けは良いが、この小さな主は絶対に譲らない。

 しかもトリトニア公の言うことさえ従わず、さじを投げられているぐらいだ。フリージアでは、どれだけ言っても、この美しい主を変心させる事はできなくて当然だった。

「ううっ、お嬢様に何かあったらどうするんです? お嬢様用の高級お菓子のつまみ食いとか、お世話の名目で仕事をさぼるとか。そういう私の楽しみはどうなります?」

 アイリスは専属メイドの交換を要求すべきか迷った。しかし、面倒なので止めた。

「では、これを持って行きます」

 堂々と言って、アイリスはハルバードを手に取った。

 ハルバードとは長い槍の先に、斧頭と突起が取り付けられた無骨な武器で、戦士や騎士の中でも膂力のある者が好んで使い、間違ってもお嬢様に相応しい品物ではない。


 何故こんなものを持っているのかと言えば、ある日突然に、これが欲しいとアイリス自身が言いだしたのだ。ちょうどその頃だったか、アイリスがファイターとマギのジョブを認められたのは。

 以来人が変わったように、煌びやかなドレスよりも動きやすい服を好み、舞踏の代わりに武闘を好んで学びだしたのだ。

 しかも、これが強い。

 トリトニア公に仕える武官たちと比べても、抜きん出て強い。主家のお嬢様に対する遠慮を投げ捨てた武官どもが、本気で挑んで誰も敵わないほどだ。当然ながら貴族の子弟の通う学園では、誰にも負けず最強を誇っている。

 これには武芸を好むトリトニア公でさえも、すっかり頭を痛めていた。

「アイリスは武器を装備しました。何か問題はありますか」

「ええ、ええ。その点は問題ありませんよ、その点だけは。もういいです、その代わりですけど。ちゃんと無事に帰ってきて下さいよ」

「分かったのです」

 元気に応えるアイリスだが、ハルバードを斜めに背負うと、余計に小さく見えてしまう。それでいて身軽で、出かけるために窓から飛びだしていくぐらいだ。

 残されたフリージアは不安そうな顔をする。

 けれど、その不安というものはアイリスが二階から飛び降りたからでも、お供も連れず出かけたからでもない。他に理由があるためだ。

 その理由とは――フリージアは小さく息を吐いた。

 素早くベッドの上から降りると、それまでの怠惰な態度を改め、きびきびとした足取りで歩きだす。向かう先は、メイド長にして母親でもあるバビアナの元だ。

 今日も主は気儘な行動に出かけたという、気の重い報告をせねばいけない。


◆◆◆


 トリトニア公爵家の屋敷は王城から程近い貴族の住まう区画の中心にある。

 豪華な屋敷が並ぶ中でも、さらに大きく華やかだった。大きな門には絢爛な紋章が掲げられ、その奥には広々とした広場や池があって、色鮮やかな庭園の向こうに壮麗な屋敷が見えていた。白壁の三階建て、幾つもの窓、細かな彫刻。屋上には青い旗が翻っている。

 さらには練兵場や馬場さえあって、周囲には普代の家臣たちの屋敷もある。王都で王家を除けば、ここまでの立派さはトリトニアと数家しかない。トリトニア公の権勢がいかばかりかが分かろうものだ。

 そんなトリトニア公の、屋敷の二階から飛び降りる姿が一つ。

 アイリスは身軽に着地した。

 銀色の髪が遅れてついてくると、直ぐに立ち上がり、軽やかに歩きだす。

 慣れた足取りで庭園の生け垣の隙間を通り抜け、髪に葉を付け緑の香りを纏ったまま無頓着に進む。石垣の上は小走りで、水路の上を飛び越える。塀はよじ登って、そこから再び髪をなびかせ飛び降りた。

 トリトニア家の敷地に沿って、幅広な石畳みの道が真っ直ぐ続いている。

 ちょうど通りかかったトリトニア家の兵士に出くわすが、特に何も言われない。このお嬢様の行動は、諦めまじりに仕方ないと、周囲から認められているのだ。むしろ、お気を付けてと手を振って見送られている。

 アイリスは手を振り返し、左に自分の屋敷、右に幾つかの邸宅が立ち並ぶ道を、てくてく進みだす。この辺りは王都でも貴族の多い区画にあるため、丁寧に清掃がなされ道は綺麗だ。石の間に苔一つなければ、馬車の馬の落とし物もなかった。

 日傘をさした貴婦人たちが歓談しながら歩き、傍らを馬車がゆったりと通過していく。

 そんな通りをアイリスは長い髪を揺らし、楽しそうだがマイペースに、周りを気にせず気ままに進んでいった。


 背中に背負った長大なハルバードの存在が目を引くが、丁寧なしつらえの服は良家の子女のそれであるため、そこまで誰も気にしない。ただし、これがトリトニア公爵の娘と思っている者もいないだろう。

 貴族の住まう区画から出ると、一つめの小道を進む。

 低位の貴族や騎士の暮らす区画は、小道に沿って家屋が壁のように並ぶ。ささやかな装飾がさりげなく家々を飾り、開け放たれた窓に野菜が干してあった。野菜を見ながら小道の端まで歩いて行くと、目の前が一気に開けた。

 そこが目的地の公園だ。

 緑鮮やかな芝生に幾本かの樹木。広々とした空間の中に、多少の人が自由気儘に歩いている。閲兵広場にも使われる広さだが、普段は人々か憩うための場所だ。

 アイリスは目的を持った足取りで公園を突っ切るが、目指すのは屋台のクレープ屋だった。およそ貴族のお嬢様が屋敷を抜けだしてまで行く場所ではないが、そこに行って、カラフルな日除け傘の下で三枚ほど食べることを最近の日課としている。

 なお、今日は四枚食べた。

 満足をすると今度こそ散歩をはじめ、顔見知りの猫を見つけ少し触って挨拶をしたり、美しい花の咲いた場所に行って眺めたり、そうして公園を離れて進んでいく。

 まさしく散歩といった様子だ。

 しかし、もし注意深い者がアイリスを見ていたならば、その目的のないように見える動きの中に、まるで何かを探しているような、または何かを待っているような、そんな感じを受けたに違いない。

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