第3話 ここまで苦労をかけた娘
「金貨十枚!?」
フウカは目を輝かせ、ぐいぐい来る。身を乗り出し、テーブルの上に張り付くぐらいの勢いだ。ここまで苦労をかけた娘を不憫に思うべきか、それとも育て方を間違えたと嘆くべきか。グライドは悩みながら、お茶を飲む。
お茶はお湯と――それもかなり温い――言った方がよい薄さだった。
「男の口ぶりからすると、貴族に仕えているのは間違いなかった。身なりからすると、かなりの家柄の家臣であろうな。それがトリトニア家の、公爵家だったか? とにかく、そこの関係者を痛めつけてくれと言うわけだ。危ない話なのは間違いない」
「でも、何かあるね。ますます、面白そうね。ちょっと探ってみてもいいよね!」
「危ない話かもしれん。首を突っ込むのは感心しないのだが」
「でも、きっと何かあると思うの。お父さんだって、気になるでしょ」
「ああ……まあ、それはそうだが……」
困った奴と思いながらも、グライド自身も興味本位の好奇心が頭をもたげていた。
「調べるのはいいが……」
「大丈夫よ! 私だって、結構強いんだから」
フウカは両手を腰に当て、威張る感じで胸を張る。
生きる嗜みとして、フウカには護身の技の手ほどきはしてきた。剣の腕もだが、手裏剣術などの投擲についても並外れた才能がある。十二歳にしては、そこらの連中など問題なくあしらえる程度には鍛えたつもりだ。
心配は心配だが、いつまでも大事にしすぎても良くないのは事実。生国の東方では、獅子は我が子を火口に蹴り落とすという伝説もある。いつまでも我が子を手の内に収めておく事など出来やしない。
「十分注意して調べるのだぞ」
「もちろんよ! 頑張っちゃうね!」
この言葉にフウカは張り切った様子だ。ちょっと心配が首をもたげてしまう。
「いいか、少しでも危ないと思ったら直ぐ手を引くように。怪しい連中に声をかけるのは良くない。しっかり相手を見極めることも大事であるし。それから、どんな時も周りをよくみて警戒を怠らないように。貴族が関わっているなら厄介だからな」
「お父さん」
「ん?」
「うるさいのっ!」
フウカは脅かすように、ガーッと咆えた。
「全くもう。ほんっとに子供扱いするんだから」
頬を膨らませ不機嫌そうなフウカだが、入って来た時と同じぐらいの勢いで、家を飛び出していった。そうなると急に辺りが静かになった。グライドは、香り付きのお湯を飲み干すと、剣を手に庭で素振りを始めた。
娘の言葉に、ちょっとヘコんでいたのである。
◆◆◆
フウカは夕方には戻って来た。
傾いた日が雲に赤みを投げかけ、微風が心地よい頃合いだ。
どうやら調べは上手くいったようで、フウカは出かけた時の不機嫌さは既に忘れ、すっかり機嫌が良い。どきどきしていたグライドは、それに安堵した。
「トリトニア公爵にはね、アイリスってお嬢様がいるそうなの。それが理由ね」
一生懸命走り回って聞き込みをしてきたのだろう。汗をかいたフウカは、自分の服の裾を持ち上げ、パタパタ扇いでみせた。少し行儀が悪い。注意をしたいが、娘の機嫌を損ねそうで、何も言えない情けない父親だ。
「金貨十枚で痛めつけたい相手が、公爵の娘……これは、どういう事か?」
「それでね、お父さんに声をかけたのはオブロン家の筆頭家令でレンダーって人で間違いないよ。かなり評判悪くて、皆から嫌われてるって噂なの」
フウカは断定している。
試しに相手の特徴を尋ねてみれば、間違いなく昨日の男の特徴をあげてみせた。どうやら、そこまで念入りに調べて来たらしい。
「この辺りを身なりの良い人が歩けば、かなり目立つでしょ。これぐらい簡単なのよ」
楽しそうなフウカは得意げだ。
グライドは光の差し込む明るい部屋の中で、薄暗い天上隅をみやった。
「穏やかじゃない話になってきた。それにしても、トリトニア家のアイリス……」
「お父さん知ってるの?」
「少しだけだがな」
このアイリスという娘の噂は、グライドも耳にした事があった。
ジョブというものは複数の認定を受ける事もできる。もちろん、それだけ才能に恵まれているという事だ。そしてアイリスという名の少女は、ファイターとマギのジョブを持つと聞く。どちらの能力も高く、特にマギとして氷結系魔法を得意とするため、氷の戦乙女などと呼ばれているらしい。
そんな子供を叩きのめすなど最悪な話ではないか。
「うむ、これは引き受けなくて正解だったな」
「そうだよね、悪い人ならともかくさ。そういうのって、良くないよね」
「金貨十枚どころか、たとえ百枚千枚でも引き受けやしないさ」
開け放たれた窓の外には木立が、その間を透かし、日射しを浴びて煌めく運河の流れも僅かに見える。風に乗って木々の清々しい香りが運ばれ心地よかった。虫が多い点と、ゴーストが偶に出現する以外は素晴らしい立地に違いない。
「しかし、その強いお嬢様を、どうして痛めつけたいのであろうか」
「えっ、お父さん分かんないの? そんなの簡単な話だよ。そのお嬢様は貴族だから学園に通ってるでしょ。それで強いって事は、学園の対抗戦試合に出場するってわけで――」
「なるほど。お嬢様を弱らせて、オブロン家の誰かを勝たせたいのか」
「私の台詞を取らないの!」
「おっと、失礼」
またも娘の機嫌を損ねそうで、グライドは肩を竦め謝った。
「しかし、そういう下らない理由であれば。ますます、断って正解だった」
「そうね。でも、他の人に依頼してるかもしれないでしょ。あっ、でも。氷の戦乙女って呼ばれるぐらい強いなら、大丈夫かな。それこそ行方不明って噂の、東の国の剣聖でも連れて来なきゃダメかもね」
「剣聖か……」
「お父さんと同じ、東の国の出身の人よね。あっ、もしかして知らない?」
グライドは軽く頭を振って答えとして、気を取り直すように口を開いた。
「それよりも、お嬢様の件だ。どれだけ強くとも、絶対などない。大事な者を守れない時だってある。そして自分が強いと思っている者ほど、油断して取り返しのつかない失敗をするものだ」
「お父さん……?」
「いやいや、すまんすまん。余計な事を言った。しかしあれだな、この話を知った以上は放ってはおけんな」
たとえ力があったとしても、常在戦場の心構えではいられない。しかも狙われているのは、お嬢様だ。試合ならともかく、不意をつかれて対処できるとは思えない。
子供が、しかも女性が襲われ傷つけられようとしている。
グライドの柔和さのある顔に静かな怒りが宿った。
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