第2話 ゆるゆると坂を上がった林のなか

「少しばかりな、人ひとりを叩きのめして貰いたいのだ。いや、安心しろ。殺すわけでなく、手か足に一撃を加えればいい。数日程度、そこが痺れる具合でな」

 男は金貨を数枚取り出し、見せつけるように、手の平の上で跳ねさせ音をたてる。

「報酬として、これを十枚を払おう」

 グライドの片眉が上がる。

 それだけあれば、娘と二人の生活で半年近く楽に過ごせる価値がある。なかなかの大金だ。しかし、いきなりそれを見せるだけに怪しいとも言える。それより何より、餌をちらつかせ、しかも食い付いてくると決め付けた態度には反感を覚えてしまう。

 一方で引き受ける気はないが、どんな話なのか少しばかり興味もあった。

「誰をどんな理由で、叩きのめせと言うのかな?」

「詳しく知る必要はないが、相手はトリトニア家に連なる者とだけ言っておこう。よしよし、こちらから連絡する。指定した場所に来ればいい」

「どんな相手なのか、そこは知っておきたいのだが」

「なになに、細かい事は気にするな。サムライのジョブを持つのであれば、どんな相手だろうと関係あるまい。それにだな、よく聞け。これを首尾良くこなせば、更に良い事もあるやもしれんぞ。どうだ、やって損はないだろう」

 教える気はないらしい。

 金貨の音を煩いぐらいに鳴らされ、それに伴い、グライドの興味は急速に薄れていった。

「話にならんので、断らせて貰おうか」

「何だと!? この私の頼みを断るというのか!? いいのか、よく見てみるといい。金貨が十枚もだぞ。おい、いいのか。おい!」

 怒気を帯びる呼びかけを無視し、グライドは踵を返し歩きだした。後ろから罵りも聞こえたが、やがてそれも聞こえなくなる。やはり家に戻る前に確認し、対応した事は正解だったに違いない。

 家に来られていたら、追い返すのも厄介だった。何より嫌な気分が家に残ってしまう。

「いやー、参った参った。また儲け損なった、はっはっは」

 歩くうちに、石の舗装もなくなり土の道となった。前方に現れた運河の煌めく流れを目にする頃には、すっかり失礼な相手の事は頭から消えてしまった。


 運河沿いの道に出ると、水の匂いが鼻腔をくすぐる。

 水面を荷を積んだ船が何艘か行き交い、遠方から来た異国風の船もある。川岸の水音が大きく聞こえ、船乗りたちの掛け声が響いて賑やかしい。それを眺めながら、しばし歩けば、道はやがて緩い上りとなっていく。

 ゆるゆると坂を上がった林のなか、ぽつんとあるのがグライドの暮らす場所になる。

 各地を旅した末に、この国に腰を落ち着ける事にしたのだが、偶にゴースト系魔物が出るとかで格安だった土地を、広めに買って残った金で建てた家は物置も含めて部屋が三つだけ。

 娘と二人、静かに暮らすには十分な場所だ。

 鍛錬と時間潰しのために庭先で剣を振り、日が暮れかけたところで家に入る。ほとんど食材の備蓄がないため、野菜屑を煮込んだスープをつくる事にした。明日からの食事をどうするか悩んでいたグライドは、家に近づく誰かの気配に気付いた。

 辺りを林に囲まれた小さな一軒家のため、パタパタ元気の良い足音は早くから聞こえていた。だから、勢い良く入り口のドアが開いても驚くことはない。

「たっだいまー」

 勢い良く入ってきたのは、娘のフウカになる。

 まだ十二歳になったばかりだけあって元気一杯。後ろで軽く縛った茶色の髪は、前髪に一房だけ白が交じっている。体格は小柄めで、親の贔屓目抜きにしても、可愛さと愛嬌のある顔立ちだ。気立ては良く、さっぱりとした性格で、何より元気が良い。翠玉のような瞳は、いつも好奇心旺盛に輝いている。

 元気良く育って欲しいとは思ったが、少々元気が良すぎるぐらいに育ってしまったので、それはそれで心配になってしまう。親心というものは複雑だ。

 フウカの登場で、侘しい室内が一気に賑やいだ。

「お父さん、お父さん。すっごく活躍したみたいね!」

 入って来た勢いそのままに、一気にやってくる。

 つい先程の騒動について、さっそく聞き込んできたらしい。だが、この喜びようはそれだけではなかった。フウカは腰に吊り下げてあった革の小袋を持ち上げ振ってみせる。それは、いつも財布代わりに使っているものだ。

「これ報酬よ」

「報酬とは何であったか?」

「あのね、お父さんが叩きのめしたっていう人だけど。あの辺りで乱暴して、皆が迷惑してたんだって。とっても困った人よね。それで顔役さんが、軽く懲らしめて欲しいって依頼を出してたらしいの」

「なるほど、そういう連中だったのか」

「どうせお父さんの事だから、そこ気にしてなかったよね。だから、私が貰ってきたのよ。どう? 偉いでしょ。褒めてもいいのよ」

「そうか、いやぁフウカは偉い! 最高の娘だな、はっはっは」

「そうそう、もっと褒めていいんだから。はい、これ報酬よ」

 グライドに頭を撫でられたフウカは満面の笑みだ。

 だが革の小袋から出て来た銅貨は、たった一枚だけ。随分と少ない。

 訝しげなグライドの視線に気付いて、フウカは肩を竦める。

「だって仕方ないでしょ。顔役ってスリッケン商会の元締めなのよ。だから報酬からツケを取り立てるって言うの。酷いと思うわよね。でも、可哀想だからって銅貨一枚だけ残してくれたのよ。それはそれで、なんか腹立つわね。ほんっと因業親父なんだから」

「あー、そういう言葉はよくないと思うな」

 しかしグライドも、全く同じ事を考えていたので、注意の意味が無い。


 グライドが食事の準備をする間に、フウカは椅子に座り大人しく待っている。足の間に手を置いて身体を揺らすが、器用にバランスを取って倒れたりはしない。

 だが、黙って待つ事はできないようだ。

「だからね、それでね。私、思いついたの。まだ他に、きっと同じような依頼があるはずじゃない? そういうの引き受ければ、一儲けできるよね」

「なるほど、人を懲らしめて痛めつけるだけで金になるのか。いやいやいや、しかしそういのはあまり感心しない気がしないか」

「うーん、それもそうだね。喧嘩しないで話し合えたらいいかもね」

「うむ、相手を探して歩き回るのも面倒だ」

「もうっ!」

 食事をしながらグライドは、フウカの真っ直ぐに育ってくれて嬉しかった。

 量だけは多い具の少ないスープを味わって食べる。そろそろ食料をどうにかせねばならないが、銅貨一枚では大した物は買えやしない。スリッケン商会のツケを僅かでも返せたのであれば、またツケが頼めるかもしれないが、どうなるかは分からない。

 グライドが食べ終わると、先に食べ終えていたフウカが立ち上がり、素早く食器を手に取って片付けてしまう。親子の約束で、料理をしなかった方が、後片付けをする事になっているのだ。そのまま裏の井戸に行って洗い物をして、戻ってからはお茶の準備までしてくれる。

 おかげでグライドは手持ち無沙汰になってしまった。

 ぼんやりと考えるのは、ふいに思い出した金貨十枚の事だ。あの依頼は、間違いなく危険で後ろめたい内容だったに違いない。

「しかし痛めつけるような依頼か、最近はそういうのが多いのだろうか」

「ふぇ?」

 戻って来たフウカは、変な声を出してテーブルを挟んで向かいに座った。そしてグライドの語る怪しい依頼に、眼を輝かせ身を乗り出している。

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