何でもないという不満(ワンライ)
何かあったのかと言えば、何も無かった。
私は何処も傷ついていないし、何も失ってはいない。
取り立てて苦しいことがある訳でも、悲しいことがある訳でもない。
けれど何故か、息が詰まる。
形のない何かが、何時も胸の辺りで渦巻いていて、心臓を無視して肺を圧迫している。肺はじっとりとした熱に侵され、無視をされた心臓は隙間風に縮み上がっている。
もちろんそれは錯覚で、私の内部は今日も健康に機能している。
けれど、毎日思う。
この鬱屈とした何かに、私はいつか殺されるのだと、毎日思う。
挫折があった訳じゃない。
身の丈にあったものを得て、危険な道を排して、何時もしっかりとした地盤の上を歩いてきた。
けれど、その人生を、順風満帆と言いたがらない私がいる。
特別な誰かになりたい訳でもない。
いつでも替えのきく凡人で良く、極一部の人にとって少し変え難い存在で居られればそれでいいと、心から思う。
けれど、それを満足と呼びたがらない私がいる。
人並外れたい訳でもない。
愛せる人が数人いて、好める人が数人いて、敬える人が数人いる。普通よりいくらか上手いものが少しあり、好きになれる物がいくつかあって、暇を潰せる物がいくつかある。
けれどそれを幸せと認めたがらない私がいる。
何時も頭の片隅に後悔の念がある。けれど、何を悔やんでいるのかは、さっぱり分からない。
何か、手にし損ねた大切なものがあったような気がするが、手の中を見れば欠けたものは無く。
道すがら落とした、掛け替えのないものがあったような気もするが、やはりそんなことも無く。
もっと満ち足りた、別の可能性があったような気もするが、振り返れば選んでいたのが最善手で。
冒険がしたかったのかと言われれば、そうでも無く、とんでもない宝が欲しかったのかと言われれば、やはりそうでも無い。
巨額の富や、天賦の才や、名を成す機会を想像しても、臆する心が先に出て、厭う心が次に出て、諦観の心が終に出る。
何が欲しい訳でも無いのに、何かが足りないと私の心は軌跡を見返しては嘆く。
きっと、胸を詰めている何かは、私のこの怠惰な心なのだと思う。
何か足りない、何かが違う、いや、これ以外は無いのだと、何度も繰り返すのは、今ある幸せに心がきちんと反応してくれないからだ。
何を与えても、終ぞ一度もときめくことも、踊ることも、弾むこともなかったこの心。ぐうたらとして、何かを強請っては、これは違うと駄々を捏ねている。この先もきっとそうなのだ。
この心は熱を持つことも無く、かと言って冷ややかになることも無く、不快な温さで、不定形に融けては腐り、脳に染み、肺に絡まって、心臓を晒す。
私は何時かこの心に殺される。
けれどその日はきっと、寿命を過ぎても訪れない。
死んだ様に動かない心を、今日も胸に納めたままで、砂を噛むように味気なく、私はいつも通りに、『いつも』を後悔しながら生きるのだ。
打開策は見当たらない。
この咲き損ねた種のような気持ちと共に、私は一生、生きていく。
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