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彼は今すぐにでも自分の心臓を貫きたかった。
どうにかして自分を殺してしまいたかった。
この体が一度死んでしまえば、私は今の私ではなく、ただの私になれて、彼女はまたあの笑顔で先ほどの言葉を撤回してくれる。
そう彼は必死に信じようとした。
彼が本気だと信じて、彼女を苦しめた偽物でさえ、本物に書き換えられて、これからの人生で埋めることができるとどうにか信じたかった。
「それにね」
彼女はまた楽しげに、そして、もうできもしないのに下手くそな笑顔を浮かべた。
「それにね…私はもう月に帰らなきゃいけないの」
彼女らしさを模した笑顔はどこか痛々しく彼の目には映った。
「杏奈。何を言っているんだ?」
「私の目が見えないのはね。地球のものを見てしまうと月に帰れなくなってしまうからなの。地球から見る月もちゃんと見てみたかったな…」
彼女はあの日のことを、さらに飛び越えた昔のことを、少しずつ瞼の裏に映し出すかのように顔を上げていた。
彼女は今歌っているのだと彼は思った。
上手くなってしまったことが今ではただ苦しく、同時に彼の胸は暖かく彼女の黄色で染まる。
「見たっていいじゃないか。そして、このまま地球に住み続けたって悪くはないだろう?」
彼はもう、何もかもにすがりたかった。理由なんてものはどうでもよかった。
どうにかして、目の前の彼女のことを説き伏せて丸め込めてしまいたかった。
今、自分が感じているものだけが自分だと彼は信じたかった。
「確かにね。優しい人ばかりだったし、お酒は美味しいし、音楽は本当に歌っいて気持ちよかった」
「それなら…」
彼が話そうとすると、彼女はすらすらと言葉を宙に流した。
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