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「今の感じだよ」
彼女は彼の言葉を噛みしめるようにゆっくりと頷いた。彼女の手がグラスに触れてカクテルが細かな波紋を作る。
「そっか、よかったよね。うん。自分でもわかる気がする。今、すごくすっきりしてる」
言い終わった後に、彼女の頬はほんのりと紅潮する。
それは桜が芽吹き始める春のようで、彼は「そうだね」と小さくつぶやいてから、グラスを回した。
「この曲のIn Other Word?ってフレーズ。どういう意味だと思う?」
彼女は彼の方を向かなかった。しかし、彼女の意識ははっきりと彼の目を見つめていた。
彼は彼女に向けていた視線を酒瓶に移して頬杖をついた。
「さあ、どうだろう。杏奈は今、どんな意味で歌ったの?」
「私は…後の歌詞を説明するような感じかな。”要するに”とかそんなイメージ」
彼女の言葉は返しが付き、喉にひっかかり歯切れが悪い。
何かを表現する者として誠実であろうとする姿勢が、逆に彼女の豊かな感情に制限をかけていた。
仕事という枠組みを壊してもらった彼だからこそ、言葉ではなく、肌で彼女のもがく姿を感じ、その苦しみもありありとイメージができた。
「それはさっき歌っていた時の杏奈じゃないかな。少なくとも今聞いた杏奈の歌はそういうふうには聞こえなかったな」
彼女は俯いて「青」と頼んだカクテルを見つめていた。
見た目にこだわるべきではない語った彼女の頬は、先ほどよりもカクテルに近い赤に染まった。
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