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「この歌はどんな歌なの?」
彼の声に彼女は過敏に驚き顔を上げた。
「えっと…なんていうんだろう…私こういうの説明するのは苦手なんだよね…」
彼女は照れ笑いをして体をカウンターに向き直す。
いつもなら答えを探すように宙を舞う視線は、鏡の世界にでも迷いこんだように弱々しく自信を失い漂っている。
彼女は今、胸の傷から流れる哀しみの血と自ら受け入れた言葉の効能を、溶け合わせながら順応させようとしている。今なら、せめて手を差し伸べるくらいは許されるはずだ。彼はそう思った。
「じゃあ、歌詞を教えて。さっき歌ったみたいに」
彼は彼女に言った。二十人近くの前であれほど堂々と歌っていた彼女は恥ずかしそうに自分のカクテルに顔を向けた。そして一口飲んだ。
「わかった。じゃあ、ちゃんと聴いててよね」
恥じらいを隠そうと強がる言葉を合図に、彼女はその曲「Fly Me To The Moon」を呟くように歌った。
私はカウンター越しの酒瓶を眺めながら彼女の声に耳を傾けた。
蜜蜂が菜の花を求めて忙しなく飛び回るように、彼女の声は清純さと甘えと素直になれない棘があった。
歌い上げると彼女は見えないはずなのに彼の顔を覗き込んだ。
彼の言葉は決まっていた。
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