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「杏奈が…」
神山さんを見ると、月に視線を固定したまま口を動かしていた。
その言葉はきっと私に向けられていたはずであったが、声は月に向かって漂っていた。
「昔、この満月を、この場所で、杏奈と一緒に見たんだよ」
私はうまく言葉が出なかった。神山さんは変わらないまま、月に全てを奪われていた。
私は何をしたら良いかもわからず、同じように月に焦点を合わせた。
「ああ、それじゃあ、昨日の続きの話をしようか。忘れてしまうところだったよ」
神山さんはようやく戻り、私の顔を見て、口を開いて大きく笑う。
蚊取り線香の煙が海に漂う月の影のように大きく歪曲した。
神山さんが立ち上がった。私も釣られて立ち上がった。
もうすでに神山さんの話は始まっている。
そう思い、一歩踏み出す度、足の裏に残る感触さえしっかりと覚えた。
「それではせっかくだから、少しその前の話から聞いてもらおうかな」
神山さんは開いた窓辺の椅子に座り、私も対面の椅子に座った。
私が座り終えたことを確認すると、抱えた荷物降ろすようにゆっくりと喋り始めた。
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