1-4 潰走

 背後から地鳴りのような音が響いた。

 ネウメソーニャは口元を強張らせて背後へと視線を振ろうとして止める。


(敵、敵ってなんなんだ……? でもフォグの旦那があんなに切羽詰まってるところは初めて見やしたし、明らかにただ事じゃないっすよ……)


 森の中、馬を走らせながら考える。今後ろを振り返っても、答えは何もない。だから、ただ前だけを見る。


(まず、たった一枚扉を隔てるだけであそこまで揺れの規模が違ってるの自体がおかしかったっす。キチンと中を確認したわけじゃないっすけど、でも旦那も頭もまともに立つことさえ出来ないっぽかった。なのに俺は階段を駆けあがって遺跡を出て今こうして馬を走らせることが出来てる……)


 順序だてて情報を整理し、出来る限り状況を理解しようと努める。


(旦那は敵が来たから町に避難勧告をしろと言ってやしたが……。敵……、敵と言えば魅入られし存在や魔なるモノが定石っすよ? ってことは、あんな術的隔絶地のど真ん中に転移術式か何かで現れた、ということになるんすかね……?)


 焦りに任せて上から目線で無鉄砲に町から避難しろだなんて迫ったところで、誰一人だっていうことを聞いてはくれないだろう。


(あの地底湖は水が輝いていたし、何より旦那が何があるか分からないから、と言って自分が湖に手を突っ込むのを止めた……。ということはあの場所はかなり高純度な術的エネルギーがあった、ということになるんすかね……?)


 今ネウメソーニャが跨っている馬は本来は荷物を運ぶための駄馬だ。故に騎乗用の早馬と比べれば一段も二段速度は劣る。その代わり、人よりも重いものを身一つで運べるようにパワーとスタミナがあり、悪路にも比較的強い。


 だからぬかるみや朽ち木、枯れ枝といった小さな障害物のあるけもの道も難なく進む。


 ただし、馬が難なく進めるからと言って森の中を進むのに支障がないわけでもない。


 生い茂った小枝や堅い植物の葉、クモの巣や鳥の巣。そんなものたちは騎乗主たる人の障害になりえる。


 事実ネウメソーニャの頬には小さな切り傷がいくつか出来ているし、頭にはクモの巣が引っかかった形跡もある。進むたびに軽鎧や籠手と枝や堅い葉が擦れる音が鳴る。


 しかし、それでも彼は思考に沈殿し外界からの刺激にまともな反応を見せない。見せられない。


(旦那が言っていた、可能性の与太話として、もし術的隔絶地のど真ん中に中継地点を作って侵攻の足掛かりに出来るならば、多少の無理を押してでも利用する方が有利だって。もし仮にあの与太話が現実になっていたとすれば? それならば、旦那のあの焦った反応も納得出来るっちゃ出来やすが……)


 視界に入り込んだ大きな障害物だけを避け、細かな障害物は馬の力に任せて強引に進んでいく。本来ならば馬に負担をかけないようにするためにもう少し進みやすい道を選ぶ必要があるのだが、恐らく時間の猶予があまりないことに加えて人を説得するための論理を補強が必要になる。


 今はそれを手繰り寄せるために思考力の大半を割いているため、目的地である時計塔の村チャスへの最短ルートと思われる道をなおざりに進んでいく。


(しかし、どう説明すりゃーいいすかね? 術的隔絶地のど真ん中に術的エネルギーが濃い場所があってそこから敵が来る、なんて突飛なことを信じる奴がいるとは思えねえっすよ? 術的隔絶地が円形もしくは楕円形に広がっているなんてのを知らないのは子供くらいのものっすからね。野盗時代の自分ですらいつの間にか知っていたくらいには常識っすから……)


 真正面から飛んできた小さなコガネムシを反射的に頭を振って避けた。盗賊時代から培われた反射的な弓避けの名残が無意識化で体を動かした結果で、あえて避けようと思って意識的に避けたわけではなかった。


(どう説明すりゃーいんでしょうね? 考えなきゃ……、考えなきゃ……。この辺りは僻地も僻地だし術的隔絶地と隣接していて簡単な術さえ起動が出来なくて戦闘がし辛いから山賊の類もあまり寄り付かないって話は聞いてるんすよね。だから、盗賊の襲撃なんて嘘をついても信じる人なんていやしない感じがあるんすよね……)


 真実を話すのとどちらがマシだろうか? 勘案してみるも条件的には五分五分程度で有意な差を見出し難い。


(いっそのこと金を積むか? しかし村一つ分をペテンにかけるには持ち合わせの路銀じゃ全く足りねぇ……)


 小さな村とは言え村長という肩書を持っている相手ならばそれなり程度には身綺麗だ。書状と契約書を作るとしても最低限整った形式の信用調印が無ければ相手にもされないだろう。


「くそっ、どうする……、どうすれば、いい? ちくしょうっ!! 自分の頭がよくねえから、こういう時に冴えた手を考えつけねえ!」


 自然と自分に対しての毒づきが口からこぼれた。


 焦燥に苛立ち、無力さに歯噛みする。


 けれど、やらなければいけない。後を託してくれたフォグとバスダロトのためにもここで一人だけで逃げるなんて、そんなことは許されない。あの場、あの状況だ、恐らく二人は生きて戻れないだろう。二人はそういう覚悟を決めてあの場からネウメソーニャを送り出したはずで、彼もそれを痛いほど、追いつめられるほどに分かっている。だから逃げない、逃げられない。ここで逃げたら死んだ二人にあの世で合わせる顔がなくなる。


(時間の猶予がどれくらいあるのか分からないけれど、いよいよとなれば……、)


 昔は旅人や行商人を襲って金品を巻き上げていたというのに今はどうすれば人を助けられるかに頭を悩ませている。


 心に余裕があったならばきっと因果なものだと自嘲したかもしれない。がそんな余裕など毛頭なくただ必死に説得の言葉を絞り出しては反芻して、また別の新しい文言を考える。


「ダァァァ!! くそっ……! 何をどう考えても、いけると思えねぇっすよ……!」


 悲嘆な叫びが森の中に木霊する。

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