1-3 遺跡発掘3

「なるほど、奥にもう一人いたか。となれば、コヤツの役目は足止めか。一体どれほどの時を稼ぐ算段だったのだろうな?」


 ギラリと鋭い眼光が真っすぐに突き刺さる。


 目が合った。


「奴だ、お前たち奴を潰せ、これ以上の失態を俺に見せてくれるな!」


 バスダロトに頼んだ足止めの時間は十四秒で、今この瞬間での経過実数はおよそ十一秒。目測と経験測から少なくとも奴らの刃が届くのは最速で六秒と半分ほど。もし仮に予想よりも相手の速力が勝っていたとしても、ギリギリで間に合う。


「いい死に目を作ってやれなくてすまなかった、バスダロト……。でもおかげでこっちの仕事は何とかなるよ」


 一連の攻防を、バスダロトの終わりをフォグ=ロスはただ傍観していた。一切手を出さずにただ傍観していた。加勢に入ることも出来た、だけれどしなかった。それをすれば彼と一緒に意味のない死を生み出すだけになってしまうから。


地の力よヘヘロコ我が名に応えよフォグラホイ


 呪文を唱えながら手にしたキャンプ用のマルチツールからナイフを取り出して手首を派手に切る。


 地面に彫り込まれた開閉用の術式陣を同じ手法で上書きするには絶望的に時間が足りない。


 だから間に合わせで手っ取り早く書き換えるためのインクが必要だった。手軽で、何にも負けない術的記号を持ったインク。


 その要項を完璧に満たすモノで今手っ取り早く用意できる唯一のモノ。


 血液。

 扉の開閉用であろう騎士を象った術式陣の上にボタボタとみっともなく血を垂れ流し、靴底を使って拭うようにぞんざいに広げる。


 騎士のエンブレムとは盾と剣、それから鎧兜をまとった人の偶像。大まかに言えばそんなもの。


 守護の象徴である盾を血の×で打ち消すことによって、国や教会、誇りや人の守りてたる象徴を侵略のための兵士へと無理やりに置き換える。


 常識的に考えればあり得ない書き換えだ。陣というのは本来構築の段階から繊細な調整を重ねに重ねることで複数回の断続的、あるいは継続的な術式の起動を簡略化、自動化するための入力記憶装置のようなモノ。それをこんな無茶なやり方で無理やりに変質させるのは、焼きあがったミートパイに生クリームを塗りたくって、カスタードパイだと言い張るような無茶苦茶さだ。


 それでも術式の多重起動には成功した。


 ゴッゴゴゴ、と空間に満ちる自然エナが共振を起こして辺り一帯が揺れ地鳴りが響く。


「そんなんじゃ百年遅いぜぇぇ!!」


 だが、石の扉が閉じ切る前に敵の先陣が目と鼻の先まで近づいてきていた。


 しかし、

「言葉を返すようで悪いが、遅かったのはそっちだ」

 直後にガツンと急激な揺れが起こった。


 熊人ウェアベアの足を止めさせるほどの大きな振幅。

 それは術による自然エネルギーの共振だけでは説明が付けられないモノだった。


「うお!?」


 飛びかかってきた敵は前傾姿勢を維持することが出来ずにその場に転がった。もちろん飛び掛かられそうになっていた側も同じように地面に倒れ伏す。

 ピシピシ、ミシミシ、といやな音が響いた。


「なんだ、この短時間で、あれだけの動作で何をした? 一体貴様は何をしたッ!?」


 魅入られし者たちが次々に身を屈めてしゃがみ込む最中で、たった一人、バスダロトを殺した司令官らしき大柄なヤツだけは仁王立ちで立ち姿を維持していた。


「簡単なことだよ、多分誰にでも出来る。俺はただ扉を守る守護の象徴たる騎士のエンブレムを上書きしただけだ。難しいことは何もしちゃいない」


「地に刻み込まれた刻印を血液で強引に書き換えた、とそういうことか……? しかし解せん。なんだ、一体騎士を何の刻印に書き換えればこんな芸当が出来る?」


 ドゴゴゴゴッ!! と巨大な石の扉が音を立てて崩れ落ちた。

 砂煙が立ち込めて、辺りを覆い隠し視界を塞ぐ。


「難しいことはしちゃいないと言っているだろう。騎士の象徴、守護の象徴である盾を打ち消して貶めた、ただそれだけだよ」


 揺れが一時的に治まって、しかしすぐにもう一度大きく揺れる。

 足元の騎士を象った術式陣からそう遠くない地面に印されたもう一つの術式陣が淡く輝いていた。


 それは雷雲をベースとして傾けられた砂時計と天使の羽があしらわれた術式陣。このタイミングで連動するかのように起動したところを見るに、恐らくは扉の修繕を司る術式陣だろう。


 だが、流石に崩落の規模が大きすぎた。巨大な石扉に天井、扉の脇の石壁、それだけではなく上階の床やレリーフまでも巻き込む大規模な崩落現象。


 その破壊の全てを完全に元通りにすることは恐らく術式陣が指定する修繕要項の適応外のはずだ。修繕用の術式陣が起動した段階で描かれている陣の大きさでは今の崩落を正しく修繕しきることが困難であろうということはすぐに察しがついた。逆に修繕用の術式の規模がもっと大きかったら今の一手は無意味なものになっていたはずだ。


 つまり結論としては、運良く崩落させて出入口を塞げたということになる。


「騎士を貶める……。はははっ!! そうか、そういうことか!! 兵士だな、扉を守護するための騎士の刻印を侵略するための兵士の刻印へとスライドさせたわけか!! よくもそんなことを思いつく!!!」


「お褒めに与り、恐悦至極。とでも返しておこうか」


 刻み込まれた修繕の術式は効力を失ってはいないため最大限の効力で崩落によって降り注いだ瓦礫たちと石扉とを一まとめにして修繕し始める。


 瓦礫を繋ぎ、まとめて、繋ぎ、まとめ上げて、一つの塊へと作り変えていく。

 そうして出来上がったのは巨大で分厚い正真正銘の岩の塊だった。

 壁や扉などと呼べるような整った代物ではなく、ただただ巨大な岩塊へと成り果てる。


「しかし、貴様は血を流しすぎだ。もうまともに戦えるコンディションでもあるまい」


 刻み込まれた陣を塗り替えるのに流した血は致死量には到らないが、体力をすり減らすには十二分。


「そもそもにおいて戦力比に偏りがありすぎて勝利の目は端からゼロだよ。初めから戦いにすらなっていない、だからこその策だ」


 ようやく砂煙が散り、二人は相対する。


「しかしあんなもの我らに掛れば一刻ほどもあれば道は開くぞ。刻印そのものの場所ももう割れているからな」


 ククク、と嘲いを漏らしながら指揮官であろう狂戦士ベルセルクが嘯く。


「いや、そうでもないさ。少なくともさらにあと一刻は稼げる」


 顔をしかめ、手首を握って止血しながらカラっとした声で応じ、

「周りを見てみなよ」

 彼の後ろを振える指先で指し示す。


 敵は振り向くことなく事実に気が付いた。


「やはり毒薬の類だったか」


 後ろを振り向かずとも視線の先には倒れ込んだままの一番槍が見えるのだから当然だ。


「いや毒なんて大層なものではないよ。敢えて言うならば……、そうだね、ただのアロマの代替品ってところさ。本来は軽い眠気を誘発させる程度の代物でしかない」


 最近少しばかり寝つきが悪く体調が優れないとぼやいていたバスダロトに試用してもらうために渡した、ただそれだけのもの。


 毒や薬というよりも気休めの交じりの嗜好品と表現した方が適切な程度の小物。


「ただ少し特殊な構造をしているみたいでね。散布した大気中の自然エナを吸って人の眠気を増幅させる性質を持っている。だから普通の場所ならばただ少し眠気を誘発させる程度の効果しかないよ。普通の場所であったならば、ね」


 もったいつけたように鼻を鳴らしながら言ってみる。


 すると目の前の巨体は笑った。

 何がそんなに愉快であるのか、皆目見当が付かない。


「ハハハッ!! 何をしたのかと思えばまさか夢見の秘薬とはなッ!! いや、これは恐れ入るッ!!! そうか、あんなアンティークな代物を引っ張りだしてきたのか。偶々とは言えずいぶんな皮肉だッ!!」


 夢見の秘薬、その名前には聞き覚えがある。いや、誰もが一度くらいは耳にしたことがある。


 夢見の秘薬と竜の女王のおとぎ話。

 怒り狂った竜の女王を鎮めるために王子が死者の国から秘薬を譲り受けるために奮闘する話。その時に女王を鎮めるために使われたのが夢見の秘薬、だったはずだ。


 実在するかどうかはともかく広く一般的なおとぎ話、その一節に出てくる伝説の秘薬。それが夢見の秘薬。


「…………、それが本当なら竜に効く代物だ。回りが遅かろうがアンタにも効くんじゃないか?」


「そうだろうな。本物であれば、我とて二分か三分後かには効き目が表れる。だが、それだけあれば貴君を葬り去るには十二分だ。そう思わんかね?」


「まあそうだろうね。正直俺にアンタは倒せないと思うよ、出来る手はもう全部打ち尽くしてる。だからアンタに大人しく殺されてやっても別にかまわないっちゃ、かまわない」


 一度言葉を区切り、啖呵を切るために一度息を吸い込む。


「でもそういう些事を捨て置いても俺はアンタにむざむざと殺されてやる訳にはいかない。じゃないと俺に命を預けてくれたヤツに申し訳が立たないからな」


「ハハハッ!! いい、実にいいぞ! やはり闘争とはこうでなければなァ!! 恨みつらみに私怨と怨嗟と怨念と、復讐に次ぐ復讐よ。そんなものだけが闘争の華よなァ!!」


 眩暈がするような言い草だった。


 戦いの果てで、戦って死ぬそのための方便。


 それともその恨みの連鎖の頂上に立って高笑いを決め込むことを信条としているのか、あるいはもっと別の理由を覆い隠したものなのか。真意は分からない。額面上の言葉から読み取れることは、この男が正真正銘の狂戦士ベルセルクだということだけ。


「そんな、そんなことのためにアンタははるばるこんなところまできて侵略行為に手を染めようっていうのか……」


「意味があろうがなかろうが侵略は侵略、キレイも汚いもない。取り繕うよりはよほどいいではないか。我は好きなのだよ、闘争や殺し合いや蹂躙や侵略が」


「どっちにしろ違う。俺が戦うことを選ぶのはアンタが好きなそれらとは似ているようで違うモノの為だ。一緒にするな。復讐してやる、なんて思っちゃいない。俺はただアイツのバスダロトの勇気に報いたい、それだけだよ。アイツに死ねと命じたのは俺だ、だからアイツが死んだのは俺の責任で、それをアンタに押し付けて怒りに変えようとは思っちゃいない」


 静かに息を吐きだして、短剣を抜き構えを取る。

 応じるように相手もハルバードを軽々と片手で大上段に構えた。


「貴様の名を聞いておこうか。我が名はメドヴェディ、狂戦士族ベルセルクの首長だ」


「……、フォグ、フォグ=ロス」


「ふはははっ、では参ろうぞ――――!」


守勢防壁ポパケヘコロ


 自らが着込んでいる革製の軽鎧の内側に仕込んだ衝撃緩和用の術式を起動するための祝詞を唱える。


 同時に、一気に跳ぶ。ただし、前へではなく真横へと。

 ズガンッ、と戦斧の鋭い一線が地に突き刺さる。その衝撃は余波だけで砂礫を跳ねさせて辺りへばらまく。


「ツッ――――!!」


 膂力が桁違いにもほどがある。

 たったの一太刀で真っ向勝負では話にならないと、これでもかと痛感させられる。


 おこりが見えていた初撃でさえ直撃を避けるのがやっとで、余波までは対応できずに横殴りの砂礫の雨をまともにくらい空中でバランスを崩された。


 まともな姿勢で着地することも出来ずに、ごろごろと地面を転がる。


「意気込みに比べて立ち回りも筋力も貧弱が過ぎるな。もう少し楽しい闘争にしてくれよ――――!!」


 言うが早いか、メドヴェディの巨体は既に眼前まで迫って来ている。


「チッ……、はやっ――――、」

「間合いを間違えたな」


 身を立て直すよりも早く、隆々とした彫像のような足先が胸部へと直撃する。


「ゴハッ――――!!」


 遅れて、ベギョという嫌な音が体内に響いた。浮いた体が地面に転がるのと、口から飛び散った血液が地面を濡らすのとはほぼ同時だった。


 展開したはずの衝撃緩和用の防御術式なんぞは何の意味も為さなかった。


 いや違う、衝撃吸収用の術式が効いた上で、それだった。


「イ、ッハァ……、」


 砕けた肋骨が肺に突き刺さったのか、呼吸がまともに出来なくなって耐え難い痛みにのた打ち回りたくなる衝動に駆られる。


 焼け付くような感覚だった。胸をグチャグチャに開かれて喉の奥へと煮えたぎる油を流し込まされる、そんな感覚。


 ガクガクと笑う膝は言うことを聞かず、立ち上がっては見たものの一歩さえ前に進めそうにもない。それどころかよろけて、すぐ後ろの地底湖へと身を落としそうになる始末。


「よほど死なんな。その根性は称賛に値するぞ。しかし、苦しみを自ら引き延ばすことに一体何の意味がある?」


 呆れたように、見下したように彼はゆっくりと歩を進める。


(そんなこと百も承知だよ、この筋肉だるまが……)


 毒づいてやりたかったが、気管が血塗れでまともな声は出なかった。代わりにしかめっ面でそれでもにゅっと口角を上げてみせる。


「いい度胸だ、引導を渡してやろう!!」


 流石に先陣の将だけあって理解が早かった。

 戦斧を握った腕が高く振り上げられる。


 褪めた目だった。期待が外れて心底失望し一切の興味が失われた、そんな目。


 敗着必至。

 次の瞬間にはザシュンッ、と無常にも肉を両断する音が響いた。


 頭を庇おうと持ち上げた左腕が上腕部と肘と手首から先の三つに分割されて宙を舞う。


 伸ばした右手の指先にわずかに左の指先が触れるが、掴むことは出来なかった。


 支えとバランスを失った体は自重の影響を受けて地底湖へと落ちる。静かな水しぶきが上がった。


「なるほど、侮りすぎていたらしいな」


 メドヴェディは小さく眉間にしわを寄せて呟くと、太ももに突き刺さった短剣を無造作に引き抜く。


 そう、死の間際、完全に油断していた。あんな状態で反撃が出来るとは想像もつかなかった。


「一度で殺し尽くしてしまうのはもったいない敵であったかもしれんな……。……、我にも秘薬の効果が回り始めたか……」


 あるいは、この効き目が影響を与える一瞬を待っていたのかも知れない。だとすれば、とんだ食わせ物だ。


 メドヴェディはドスンとその場に腰を下ろして自慢の戦斧を抱え込み、そのまま目を閉じて眠りの波に身を任せる。


 恐らく一番遅く眠った自身が一番早くに起きるだろう。そうしたら、部下たちを叩き起こして出入口の岩を砕き、楽しい侵略の再開だ。


 少し時間がズレるくらいのこと、どうということもない。

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