1-1 遺跡調査1
「おい! 旦那! フォグの旦那よぉ!!」
パンっと頬に軽い衝撃が走って、同時に耳痛い怒号が聴覚を突き抜ける。触覚も聴覚もまだきちんと機能しているということが判明した。
先ほどまでの体の感覚がまるで嘘のように感じられる。いや、実際錯覚だったのだろう。
粗い呼吸と酷い脂汗を自覚しながらぐるりと辺りを見回した。
薄暗い小さな地下室を松明で照らしただけの簡素な場所。自身を含めて三人の男がそこにいる。
一人はやや難しい顔でこちらを覗き込んでいる濃いめの顔立ちで筋骨隆々の浅黒い肌の大男、名前をバスダロト。元は野盗だった男だが故合って今は足を洗い付き人として発掘作業の手伝いをしてくれている。
もう一人の男もバスダロトと同じく元は野盗だったネウメソーニャという男だ。バスダロトと一緒に野盗団からこちらの道へと付き従ってきてくれたただ一人の彼の部下で、二人の信頼関係は厚い。
手のひらに伝う冷たい石の感触から自身の体感と実時間が大きくズレているらしいということを認識しなおした。
「あぁ……」
バスダロトに返事をしながら眼前の石板を注視する。
それは一般的に壁画と呼ばれるものの類。雷によって焼き払われた人と角の生えた獣や翼と尾の生えた悪魔。珍しく人にとっては一切の救いのない場面が描かれた壁画。
「悪い、少し幻を見ていたみたいだ……」
「幻ですかい。しかし旦那、この辺り一帯は瘴気どころか自然エナさえ巡らない場所ですぜ」
「別に術に掛けられたなんて一言も言っていないだろう? 錯覚や幻覚、フラッシュバックの類は別に術を掛けられなくても起こりえるものだし。何ならこの前渡した揮発性の眠り薬もその類だしね」
「まぁ確かに酒とか、薬草、キノコ、あとはドラゴンとかマーメイドの血なんかにもそういう作用があるとは聞きますがね。と言っても酒は昨日ちょいとひっかけたぐらいだし、他は身に覚えもないですぜ」
「それじゃあ後考えられるのは、俺の頭が急におかしくなったくらいか」
おどけるような言葉に対してバスダロトは音を立てて息を吸い込んでから首を振った。
「いえ、そこまでは言っちゃいねえですが……、」
「わざわざ身を案じてくれてるのに、皮肉みたいなことを言ってすまない。他意はないんだ、ただ考慮すべき可能性の一部として頭に入れておいてほしくてね」
「そんだけ口が回るってんなら、旦那はまあ大丈夫そうっすね」
「俺の頭が固いのは認めるけれどあんまりそう露骨に呆れないでくれ。それに最近は何かと物騒だし不測の事態が起きないとは口が裂けても言えないだろ?」
「まあそうっすねえ。魔なるモノの狂暴化も各地で観測されていて無視できないと聞きやすし、色んな外交が何やらざわついてて今後どうなるか分からないみたいな話も噂話としては時折耳に入りやすからねえ」
「国交の件については与太話と捨て置いてしまっていいとして、問題は魔なるモノの方だよ」
「つっても、この辺りは自然エナもほぼ枯渇しちまってる訳ですし、いわゆる魔なるモノだとか、魅入られし存在だとかが立ち入るにはあまりにも辛いでしょうよ」
魔なるモノとは動物よりも強く強靭な肉体を持ち獰猛で血に飢えた化け物たちの総称だ。
より正確にいうならば瘴気性変異生物体。
強い瘴気や高濃度のエナ溜まりといった環境型エネルギーの影響を受け続けた結果、体組成レベルで元とは違う生物種へと変異してしまった生き物。自らの肉体の強靭さに自覚的で、知能レベルも普通の動植物種に比べてはるかに高く、娯楽として他者を害することもままある。人にとってもそれ以外の生物群にとっても明確な敵性生物と言って差し支えない。
それから、魅入られし存在。
それそのものも瘴気性変異生物体の一群ではある。
大きく分けると二分類存在し、一つは人が瘴気性変異生物体へと堕ちた姿、もう一つは魔なるモノが愉悦と知略の果てに辿り着く人型の姿。
なれの果て、瘴気性変異の終点。おとぎ話で魔族や魔人、死神などと呼称される者たちの本当の姿。
「逆に、ここを通るのは難しいと普通ならばそう考えるからこそ、無理を推してここを通ることに意味が出来る。そういう風に考えることも出来る。絶対に来ない場所から攻められれば防御は手薄だし、その後の戦いでも心理的な圧迫を掛けられるからね」
「しかしこんなところ通っちまったら攻勢に転ずるほどの力が残らねえかもしんねえですぜ?」
「問題はそこだよ。もし、ここを通って攻めてくるとするならば、それはその後の疲労やここを通過するときの身体的なダメージを継戦可能レベルまで抑えられる何かを得たということになる訳だし」
「そいつはァ……」
「まあ可能性の話だけれどね。そろそろ奥に進もう」
手に持ったランプをギュッと握りしめて視線を壁画の裏へと続く通路へと向ける。
小さくて古い遺跡の地下通路。暗闇への入り口がぽっかりと開いている。光もなく、音もなく、石と土と埃のニオイだけが仄かに香るべたで塗りつぶしたような黒い四角がただ眼前にある。
「なんか妙に不気味な雰囲気っすね」
バスダロトの声色はわずかに震えていた。その震え声にネウメソーニャがゴクリと喉を鳴らす音が重なる。
「すっ、そんじゃこっからの先導は自分がさせていただきやす」
大人しくバスダロトとの会話を聞いていたネウメソーニャがすぅっと前に出て小さく頷きながら宣言した。
「悪いけれど任せるよ。もしもの時には真っ先に逃げ出してくれて構わないから」
「いえ、自分は元々山賊の身っすから、それ以上の不義理な真似はできやせん」
「おいおい、いつも言われてるだろうがよォ。フォグの旦那は自分の命を大切にしろって言ってくれてるんだ。素直に頷いとけってぇの」
「そう、命は大事だ」
軽い笑いを含みながらネウメソーニャの背中を軽く押す。彼は「うすっ」と小さく頷いて、薄暗い階下へと足を踏み入れていく。
カツ、カツ、カツ、カツ、と硬い靴底が石床を叩き、ランプの持ち手が僅かに揺れて擦れた金属音が小さく鳴った。
ぼぅと輝く淡いランプの光だけを頼りにして暗闇の階段を下っていく。
「ここ、折り返しっすね。足元お気をつけて」
踊り場の壁面に手をつき、タンタンと床板の具合を確かめながらネウメソーニャは続く二人に注意を促した。二人は、小さく返事をして足元を確かめながら踊り場へとかかとをつける。
「なんかちょっと寒くなってきたっすね」
すぅっと息を吸い込みながらネウメソーニャは腕をこすり合わせた。軽い皮製の胸当てと肘当ての可動部分が擦れて衣擦れ音が軽く響く。
「地下室はそういうもんだろーよ」
「良くも悪くも外の気候に影響されづらいというのはまあ確かだしね」
「すっ、そうっすね。何にもないといいんすけど……」
「俺としてはこの先に何かあってほしいから来てるんだけどね」
軽口を叩きながらも慎重な足取りでまた地下へと下っていく。
ほどなく階段は終わり、暗がりの中に壁だけがある空間へとたどり着いた。いや、違う。あまりにも闇が濃いために気が付きにくいがそこには扉があった。
「ドアっすよね、これは……?」
目の前の扉の凹凸を確かめるように手でなぞり、ネウメソーニャが確認する。
「しかしこんな巨大な扉を拵えておいて明かりをつけるための燭台の一つもないって言うのはどういうことなんだろうね」
「古い時代のもんですから、そういう利便性が行き届いてなくても不思議はねぇような気もしますがね」
「ここが貝塚みたいな洞穴ならばそれで納得出来るんだけれどね。割合しっかりとした建材を使ってるし設計もそこそこきちんとされているから少し違和感が強い。いや、そのあたりを考えるのは後でも出来るか。今はこの扉を開けてしまおう」
「開けるって言われやしても……」
バスダロトはランプを掲げて扉を目を皿にして注視する。
「模様らしい模様も継ぎ目らしい継ぎ目も見当たりゃしないですぜ」
言葉とともに目の前の巨大な扉を軽く押して見せるが、どうにも手ごたえはなさそうだった。
どうやって開けばいいのだろうか。
このタイプの封印が施された扉に覚えがないわけでもない。しかしそれらと今目の前にある大扉とはある一点で隔絶している。
それはこの土地が瘴気や自然エナといった自然エネルギーが枯渇している場所だということ。
扉を封印するために術式が掛けてある、あるいは扉を封印するために術式を用いた。それならば逆説的に考えて封印を破るための術式、あるいは扉を破壊するための術式を使えば扉を開くことは出来るだろう。
ただしこの解法を選ぶためには最低でも術式が使える環境である必要がある。
つまり今現在で自然エネルギーが枯渇しているこの場所の封印された扉を開くためにはもっと別の解法が必要になるということ。
「ここが始めから術的隔絶地だったのならば何か開ける方法もあるんだろうけれど……」
眉間にしわを寄せて想像力を働かせる。
術的隔絶地、すなわち自然エネルギーの枯渇した土地。
大別すれば平常性隔絶地と枯渇性隔絶地の二つに分けられる。
初めから自然エネルギーが存在していなかった土地のことを平常性隔絶地。何らかの理由で土地の自然エネルギーが枯れ果てた場所のことを枯渇性隔絶地と呼ぶ。
しかし厳密に言えばこの二つを明確に区分することは難しい。
何故ならば、平常性隔絶地が本当に何の理由もなく自然エネルギーが存在しなかった土地だということを完全に証明することが人類種には困難な事柄だからだ。
「とかく何か仕掛けを探してみやしょうぜ。あるのかないのかを確かめるためにも」
「そうだね。考えてばかりいても仕方がない」
三人はランプと顔を近づけて近くの壁や床を注視し、何かが無いかを探し出す。
どんな些細な手がかりだったとしても見逃すまいと、薄明かりに目を凝らして少し埃っぽい床や壁面をなめるように視る。レンガ造りで滑らかに整った壁へと手を合わせて、違和感のある凹凸が無いかどうかを探る。手や足で軽く叩いてみて、反響音や振動、反発力から空洞を探す。
ザリッと擦れた、かかとから音がした。砂をひっかけたような音だった。その音に何か妙に後ろ髪を引かれて足元へと視線を落とす。
薄明かりで分かり辛いけれど弧を描くようにうっすらと砂のラインが出来ていた。ただそれだけだった。
薄らと弧を描く砂のラインを丁寧に追いかける。辿り着いたのは、壁だった。
「逆か……」
暗闇の中で方向感覚を保つのは相当に難しい。気を取り直して今度は反対側へとラインを追いかけてみる。
辿り着いたのは扉の中央部から左側に逸れた辺り。扉全体の大きさを十としたときに、三:七の接点付近に位置する辺り。
「旦那なんかありやしたか?」
バスダロトが眉をひそめた声色で問いかける。
「多分、ココから扉を開けられると思うんだけれども」
「ココですかい? しかし押してもびくともしないし、こうとっかかりが何もなきゃ開けるに開けられないですぜ」
すぅっと息を吸い込んでから、ウェストポーチに手を突っ込みあるモノを探し出す。
「これを使おう」
携帯用のノミとハンマーを取り出しバスダロトに手渡す。
「いいんですかい? 遺跡の調査で建造物の破壊はご法度だってさんざっぱら言っているのは旦那ですぜ」
「こんなへき地まで来て収穫があの壁画だけじゃ流石に無駄骨が過ぎる。不本意を押してでも手柄が欲しい気分なんだ」
ため息をつきながら恥ずかしげもなくそんな建前を口にした。
(確証はないし、流儀にも反する。けれど、それでもこの奥に行かないといけないそんな風に駆り立てられる。単に俺の好奇心が暴走してるってだけならいいんだけれども……)
バスダロトは立て膝をついてノミを構える。
「じゃあ行きやすぜ」
フッっと息を吐きだす音とガンッという打撃音が重なった。
ガンッガンッガンッ、と繰り返し、繰り返し、繰り返しノミを振る音が響く。
ガギンッ!! とひと際大きな音がした。扉の一部が割れた音に他ならない。
「なっ……!?」
だが、割れたはずの扉の欠片は地面に落ちることもなくその場で静止した。
そしてぐにゃりと音を立てて元もとくっついていた場所に戻り出す。まるで時間を巻き戻すかのように。
「そのノミはそのままそこにつっ込んでおいてくれ」
手にしたノミを慌てて引き抜こうとしたバスダロトの手を抑える。
「へ、へい!」
ぐにゃりとした石片が元の場所に戻る寸前でもう一度ノミが差し込まれた。何かの力によって元に戻ろうとしたときに遮るものがあると一体どうなるか?
ギチチチ……、と不気味な音が鳴る。
(おかしい……、なんでこの自然エネルギーが枯渇した場所でこんなレベルの修繕術式が発動出来る?)
扉の修繕術式にはどうやら吐き出し機構のような機能は付いていないらしく、がっちりとノミを飲み込んで差し込み口付近が盛り上がった扉が出来上がっていた。
「これはどうも抜けそうにないですぜ」
グイグイと両手で思い切り引っ張ったバスダロトはそのあまりの手ごたえのなさに諦めるようにそういった。
「それならむしろ都合がいいよ。ロープを使おう」
腰から下げた細めのロープをノミの持ち手部分に堅く結びつける。
「もしかして、引いて開けようと?」
「デカい扉だけれど三人がかりなら何とかなると思う」
「精一杯やらしてもらいますわ」
「分かりやした。旦那の出る幕がないくらいに力入れてやりますよ」
それぞれ背負っている荷物を一度下ろして、三人で並び、声を合わせてロープで扉を引く。
「そー、れっ!」
「そぉー、れっ!!」
何度目かの掛け声とともに思い切りロープを引くと、ズ、ズズズッ……、とわずかに扉が動いた。
「大分重いっすけど、何とかなりそうですぜ旦那」
バスダロトは声を弾ませる。
「そー、いやっ!!!」
「だぁー、しゃぁっ!!!!」
「そぉーっ、りゃぁぁぁ!!!」
ゆっくり、本当にゆっくりと扉が動いていく。
人間が力づくで開けるということを想定されていない、あるいは逆に人の手によって開けられることが無いよう重くしてあるのか分からない非常に重い扉が開いていく。
「さぁー、もう一息っすよ!」
ネウメソーニャが大きく息を吐きだし、鼓舞するようにいう。
「いち、に、おりゃあぁぁぁ!!!」
「ぎゅー、たんっ、べんとうっ!!!!」
ズ、ズズズズッと動いた扉の隙間から薄らと光が漏れだした。
「どっせい、どりゃぁぁぁぁ、あっよいしょっ!!!」
渾身の叫びでもって、力を合わせて思い切り引っ張る。
「はぁー、はぁー、はぁー。いやー、やりやしたぜ旦那」
「今日一の重労働っすよコレ」
「あー、良かった。扉が開いてくれて本当に良かった……」
荷物込みで人が一人通れるくらいの広さを確保してから、三者三様に言葉を漏らした。
「よし、それじゃあ行こうか」
荷物を背負いなおした三人は細い隙間を通って扉の向こう側へと移動する。
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