第2話 朝鮮半島派遣軍前線司令部(СKP-CP)


トラックが揺れるたび、そこらに詰め込まれた木箱がきしむような音を立てる。

外は相変わらずに曇り空で、服に着いた焦げ臭いにおいも風が流していった。


あの後、襲撃を仕掛けてきた部隊を、戦車娘(前線ではよくタンキストと呼ばれている)のT-72が撃退した後。

我々は唯一残った物資輸送のトラックで目的地へ向かっていた。運転をするのは、私が乗っていた装甲車のドライバー。名をヴィクトルと言うらしい。

運よくその装甲車の運転席に乗っていた2人は生き残っていた。ヴィクトルではない方は今助手席にいる。

荷台に乗っているのは俺とT-72だけだ。荷台の両端の腰掛に、向かい合う様にして座っている。


床には彼女の獲物、115mm主砲(彼女はT-62用の新型自動装填装置のテスト中で115mmを特別に装備)が転がっている。

タンキストの本体ともいうべきエンジンは彼女の横に。装甲や擲弾発射機は一部取り外されている。

彼女らはエンジンに火が入っていなければ普通の少女と変わらないためだ。

見た目も同様で、それが通常の戦車兵用の野戦服を着用しているのだから、戦場において彼女らの雰囲気は独特だ。


彼女は床を見るように目線を下げている。

最初に受けた印象通りに無口のようだ。乗り合わせてからずっと、荷台の中には話し声一つない。

さすがに私はその沈黙に耐えきれなくなってきた。


「大佐のことは…その、残念だった」


口に出して、私はしまったという顔になった。


「…」


黙ってはいるが、彼女はさっきより明らかに落ち込んでいるように見えた。

彼女と大佐は俺よりも明らかに長い間行動を共にしてきた、いわば戦友のようなもので、それを失った悲しみは当然あるだろう。

謝ろうと口を開きかけた時、彼女が先に口を開いた。


「大佐は…何か言っていましたか」


おそらく、彼女は大佐の遺言を聞きたいのだろう。

そのまま言われたことを伝える。


「彼女らを、君たちを頼むと言われた」


少しして、彼女は「分かりました」とだけ言って、再び口を閉ざした。

俺はこれ以上何か言うのもためらわれて、荷台の中はまた沈黙に包まれた。




夕方、予定より遅れてスウォン市の野戦司令部へ到着した。

司令部は接収された韓国の小学校のようだった。ハングルで読めないが、スローガンのようなものが書かれた横断幕がベランダから翻っている。

正門で衛兵のチェックを受けて中に入り、グラウンドの空いた場所へトラックが止まった。


荷台より降りると、すぐに一人の人物が駆け寄る。


「ニジンスキー少佐。何があった」


彼は自分の上官に当たる、戦車大隊の大隊長、シェルジンスキー大佐。

俺は起こったことのすべてを伝えた。敵の奇襲、それによる部隊の損害、指揮官の戦死等。

言い終わった後、シェルジンスキー大佐の顔には深いしわが刻まれていた。


「なんてことだ。まるでアフガニスタンだ」


吐き捨てるように大佐は毒づいた。


「北朝鮮は掃討をしたと言っていましたが」


「ゲリラの完全な掃討はそう簡単にできん。できていればアフガンから84年に撤退などしなかった」


大佐は歩き出し、俺もそれに同行する。

会話はそのまま続いた。


「それにしても彼が死ぬとはな。いい奴だった」


大佐は目を細め、昔のことを思い出しているようだった。さっき話している時に渡した、大佐の認識票をまじまじと見つめた後にポケットへしまう。

彼は不意に立ち止まり、胸から煙草の箱を取り出した。それは車内で、大佐が差し出してきたものと同じだった。

それをしみじみと見つめ、また胸へ戻した。


彼は再び歩き出す。


「さて、少佐。死を悔やむのは1日1時間以内だ。これからについて話さねばならん」


「これから、ですか」


シェルジンスキー大佐には驚いた。彼は旧年の友人を亡くしたというのに、ほとんど動揺を見せなかったからだ。

これが指揮官のあるべき姿なのか。俺はまだそこまでは遠そうだ。


「新しい指揮官だがしばらくは期待できん。よって少佐、君を新たな指揮官とする。彼の部隊を引き継げ」


「それは覚悟していました。大佐からの最後の命令もそれです」


彼は「それでいい」と言うように微笑みかける。

ただ、俺には一つの疑問があった。タンキストの指揮官は中佐以上の階級の者が務めるのが当たり前だが、俺はかなり順調に出世してきたとはいえまだ少佐だ。

その疑問は予想通りだったのか、俺が問う前に彼は答える。


「少佐、君を一時的にだが中佐に任命する」


そんなすぐ決めていいのか、と思ったがここは戦時で、すぐにでもタンキスト部隊は動かしたいはず。

それにタンキストの指揮官はあまりに少ないことで有名だ。余裕のあると言われている、東欧軍集団の対西側正面戦力から

引っ張ってこようものなら何か月かかることか。


「もう中佐ですか。もっとゆっくりで良かったんですが」


俺はぼやいた。


歩き続けて、着いた校舎前の玄関近くでは複数のテントが立っている。

ボルシチだろうか、煮立ったスープのよい香りが鼻腔をくすぐる。ここでは主計課が夕食の用意をしていた。

漂う香りで、俺は腹が減っていることに気が付いた。そういえば朝から何も食べていない。車内で食べるはずだった昼はあの奇襲でお流れになった。


「ともあれ今日は色々と大変だっただろう。飯を食べたら休んでくれ、詳しいことはまた明日だ」


そう言って大佐はその場を後にする。

たしかに今日は大変だった。その疲れが今になってきたようで、体がどっと重くなったように感じられた。


辺りはすでに日が落ちて暗くなっていた。

校舎から持ってきたのだろうか、外にずらっと並んだテーブルではすでに何人かの兵士が食事を始めている。

俺も飯を取ることにする。受け取りに行って、ボルシチにパン、コンビーフの缶詰を渡された。

さっそく、そこらに座って食べ始める。

ボルシチに口を付けると、空いた腹に温かいスープがしみる。全身が温まっていくような感覚がして、少しだけ気持ちが前向きになったような気がした。


気が付くと、テーブルはだいぶ埋まっていた。

右も左も兵士達でごった返し、彼らの話し声が重なって辺りは騒がしい。

パンをかじっていると、隣の兵士が話しかけてきた。


「今日は大変でしたね、少佐」


振り向いて彼の方を見ると、それはヴィクトルだった。


「まったくな。あと野戦任官が決まって中佐になった」


「おっと、それは失礼しました」


彼はパンをスープに浸し、赤く染まったところを頬張る。

飲み込んだところで、今度は俺の方から口を開いた。


「そういえば、T-72はどうしたんだ」


「どうしたって、連れていかれたじゃないですか」


彼の言い方は誤解を招きかねないが、トラックが着いた後、近場の整備員に戦闘をしたと伝えると、T-72は補修整備のために整備場へ送られた。

そのすぐ後に大隊長が来たため、彼女とはそれから会っていない。


「その後だよ、どこかで見たか」


「ああ、それなら…」


ヴィクトルが顔を上げて、右の方を向いて指さした。

その先にはT-72がいて、他のタンキストと飯を食べている。


「整備所から戻ってきたら、少佐…じゃなかった、中佐の部隊員と合流して飯を食べに行きました。それでアレです」


T-72含め、5人のタンキストが食卓を囲っている。とはいえその空気はとてもいいものとは言い難い。

他のタンキストの小隊が楽しそうに話をする中、彼女らだけは時折ぽつりと言葉のやり取りをするだけで、それ以外は皆が押し黙っている。

T-72から事の詳細を聞いたのだろう。全員が落ち込んでいるようだった。



食べ終わり、食器を片付けた後、私は彼女らに挨拶だけでもしておこうとタンキスト用の兵舎を訪れた。

タンキストの兵舎には24時間交代制で立哨が付き、立ち入りの条件はとても厳しい。特に夕食後は部隊指揮官どころか元帥でさえ特別な条件がなければ入れない。


そういうわけで、会うには入り口の立哨に部隊員たちを呼び出してもらうしかない。

階級と彼女らの指揮官であることを伝え、少し待った。


数分もしないで全員が集合する。

部隊員はT-72、T-62、T-64、シルカの4人。あまり面識はないとはいえ、さすがに顔程度は知っている。

彼女らは見るからに疲れていそうで、俺に対するまなざしもあまり好意的ではないようだった。

要するに信用されていないのだろう。俺だって似たような状況なら、彼女らと同じ目をするかもしれない。


そんな彼女たちに長々と話すのは気が引けたので、簡潔に済ますことにする。


「大佐に代わり、この部隊の指揮官を任されたニジンスキー中佐だ。諸君らの指揮官として全力を尽くす」


2人の少女、T-62とT-64が小声で何かを話す。


「階級章は少佐だよ?」


「野戦任官で昇進したんじゃない、付け替えてる暇ないし」


内容はよく聞き取れなかった。T-62がもう一度何かを言いかけたところで、T-64に注意されたのか話をやめる。


「とりあえず、詳細はまた明日にしよう。今日はしっかり休んでほしい」


解散、と言うと彼女たちは兵舎に戻っていった。

俺もそろそろ戻るとするか。そこらへんに居た兵士へ将官クラスの兵舎の場所を聞き、向かうと兵舎の担当らしき兵がいたので、

彼に部屋の場所を教えてもらう。

割り当てられたのはテントだったが、将官なので個人用になっている。

部屋に入ると、机とベッドが用意されている。とはいえどちらも簡易的なものだ。

机の上のランタンに火をつけると、部屋の中が暖かな光に照らされる。


コートと帽子を適当なところへ引っ掛けて楽な服装になり、後は特にするべきことはないので、そのまま硬いベッドへ横になった。


「あのタバコ、受け取っておくべきだったな」


仰向けで天井を見つめていると、疲れのせいもあってか、いつの間にか寝てしまっていた。




翌日。兵卒用の総員起こしのラッパで俺も起きる。

外へ出ると、極東らしいじめっとした暑さが朝から感じられた。


また立っていた兵士に司令部の場所を聞いて向かうと、ちょうど大隊長がいた。案内してもらって作戦会議場らしきテントの下へ入る。

大きめの会議机の上にはここらへんの地図が広げられていた。


「では状況確認といこう。端的に言えば戦線は停滞している。北朝鮮は奇襲に成功したものの最近で韓国軍が持ち直した」


特にまずいのはここだ、と大隊長は戦線西部を指でトントンと叩く。

韓国は国土のほとんどを山と森林に覆われているが、西部の沿岸部には平野が多い。それらは主に農村や港町となっている。


「人民解放軍がいるのにもかかわらず、ですか」


この戦争に北朝鮮側として参加しているのはソ連だけではない。

中華人民共和国はソ連よりも先に陸上戦力を派遣しており、近々航空戦力も加わるのではないかという話もある。


「ああ、韓国軍はかなり手ごわいぞ。今までの流れを説明しよう」


大隊長曰く、開戦当初の奇襲によって国境の防御線を突破、その勢いのまま進撃を続ける北朝鮮、中国軍はソウル含む韓国北部の都市を奪取する。

だが、攻勢の勢いは次第にそがれていった。東部では森林による速度の低下、インフラの問題から来る兵站の不足に悩まされる。

特に問題となったのは韓国軍のゲリラ戦だった。韓国はベトナム戦争に一部部隊を派遣しており、その時に得たベトコンゲリラの戦法を利用しているのではないか、ということだった。

一方、西部の平野部では兵站の問題はなかったが、北朝鮮、中国軍はここで韓国の機甲戦力と衝突する。

中国軍はT-55の影響を色濃く受けた69式戦車、北朝鮮はT-62の自国生産型のチョンマホを主力としていた。これらは韓国軍の主力であるM60及び改修されたM48シリーズと火力ではあまり性能差はない。


だが、韓国軍はある程度ではあるが戦力を再編し、両軍を迎え撃つために高度な陣地を構築していた。これに先方として南進する機甲部隊が真正面から突っ込む形で戦闘が行われた。

当然、両軍の戦車隊は陣地からの砲撃や、歩兵、戦闘ヘリからの対戦車火器によって多くが撃破される。

大損害を受けた機甲部隊は再編の為に停止。後続の機械化歩兵の足も止まった。


また、韓国空軍の行動も無視はできないという。初戦や工作員による活動で少なからぬ損害を受けたものの、韓国空軍は十分に作戦行動が可能な戦力を持っているらしい。

連中はF-4だけでなく練習機も軽攻撃機として運用し、これらによる対戦車攻撃や爆撃は戦線停滞の大きな要因となっている。

航空優勢については、中国とソ連が航空部隊を送っていない都合上、北朝鮮が主力とならざるを得ないのだが、これがかなり苦戦している。

主要な要因はやはり機体の性能差と数量差だ。北朝鮮空軍の主力は、中国からの支援が入ったとはいえ、まだMig-21(の中国生産型)等の50年代~60年代の戦闘機が務めている。彼らにとっては最新鋭のMig-23はやっと導入が始まったばかりで、ちなみに数量差は北朝鮮ではどうにもできない。

これが中国が航空戦力の投入を検討している理由だ。我々も対空砲を連れてきているとはいえ、作戦行動には十分注意せよとのことだった。


「在韓米軍が参戦するまでに終わらせられますかね」


「わからんな。KGBは中間選挙が終わるまではアメリカの参戦はないと」


アメリカの世論は十年前のベトナム戦争での敗北から未だに反戦主義が根強い。特に今回のような他国での戦争には直接介入したくないらしい。

その証拠に数年前から海外駐留の米軍が縮小されているのが確認されている。それは韓国も同様だった。


特に今は中間選挙まで1年を切っている。この状況で参戦を主張しようものなら、主張側の得票率はかなり下がる。

一方で、参戦しないと言えばそれはそれで安全保障条約の問題が出てくる。

故に、合衆国の大統領と、その対抗馬達は第二次朝鮮戦争に触れない。彼らは中間選挙が終わるまで朝鮮半島をなかったものとして扱うだろう。

一国の戦争ですら、彼らには票の束にしか見えていないのだ。


「クレムリンはいつまでに落とせとか言いましたか」


大隊長は首を横に振る。


「いや。だが代わりに平壌からはたまに電話が来てる」


その電話を取るのはだいたいが北朝鮮の将官クラスで、終わった後には必ず青い顔をしてテントから出てくるという。

一体どんな電話なんだろうか。


さて、と大隊長が地図から顔を上げ、指揮棒を取り出した。


「我々の目下の目標は、南下を阻む敵防御線の攻略だ」


指揮棒が指すのはここより数キロ南、華城市の山に囲まれた平原「チョンナム面」に円を描いている。


「最初の中朝軍の戦いの後、この陣地が明らかになった。彼らの死を無駄にしてはならない」


中朝軍は川に沿って南下する形で進撃したようだ。その進路は矢印で書き込まれている。

矢印が途切れた場所まで目を追って、周囲を見てみるとぞっとした。進撃に利用した川沿いの高速道路周辺は農村地帯で平野部が広がっていたが、

その周囲の山には、敵陣地が存在することを表す書き込みがされていた。

彼らは敵中に飛び込み、十字砲火を浴びたのだ。

また、チョンナム面から北へ逃れるには通ってきた道を戻るしかないが、その一部は川と山によってまるで蓋をするように狭まっている。

ここに砲を撃たれたなら、入るも出るも地獄なのは間違いない。

恐るべき陣地。入ったが最後、二度と出ることはできない。


「我々はこの一帯を、イースト・セヴァストポリと呼んでいる」

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