戦車娘よ、前進せよ!

ルドルフ

第1話 Женщина-танк(ジェーンシィナ-タンク)

「おい、タバコくれよ」


「バカ言え、見張り中だぞ」


2人の韓国軍兵士が、監視塔の上で白い息を吐きながら会話している。


「それにしても、第3小隊の連中は運が悪いよなあ。ソウルの治安維持に回されるなんて」


タバコを求めた男がぼやきながら椅子に座った。

もう一人は立ったまま、辺りを監視している。


「光州じゃ戦闘もあったって話だしな。ここも危ないことには危ないが」


53年の休戦より30年ほど経つが、いまだ朝鮮半島を南北に分断する38度線はなくなっていない。

終結していない内戦だけでも重篤な問題だというのに、今は民主化を求める運動で、ソウル含む多くの都市はデモが盛んに行われている。

鎮圧部隊との衝突により、死人が出る事態に発展した例もある。


「今、北の連中が攻めてきたら…大変なことになりそうだ、な?」


座っている兵士が、「当然冗談だぜ」というようにニヤリと笑って話す。

もう一人はあながち冗談にも思えず、一方で彼のいつもの言動から、呆れるように溜息を吐いた。


「それよりも―」


甲高く響く、砲弾の風を切る音が彼の言葉を上書きして聞こえたかと思えば、頭を揺らす激しい爆発が巻き起こった。

しかも1度ではなく、2、3と順次続き数えきれないほど。

数分後、やっと途切れた。座っていたのが功を奏してか、軽口をたたいていた兵士は生き残っていたが、見張っていた方は破片に頭を撃ち抜かれたようで、監視塔の床に血が広がっていく。


もう一人がショックを受ける暇もなく、また爆発が起こりだす。

爆発は砲撃だった。しかも今までに度々あったような、北の将軍様が腹太鼓のように打ち鳴らす、威嚇のための砲撃ではなく、本格的な準備砲撃。


1980年末、北朝鮮は朝鮮戦争休戦協定を破棄。

数時間の準備砲撃によって軍事境界線の最前線、その他韓国北部の主要な防御設備、部隊は大打撃を受ける。その後、境界線の地雷原と障害物を迂回するよう、無数に掘られた南進トンネルから、数多の兵士、歩兵戦闘車、主力戦車が偽装を破り、30年来の復讐を果たすため再び南進を開始した。


彼の発言は、冗談では済まなかった。




開戦より数週間後、旧南朝鮮領内(現北朝鮮占領地域)の一部、前線より後方


「タバコはいるかね、少佐」


砂利道をわずかに揺れながら走る装甲車の中、大佐は擦れたパッケージの箱を差し出した


「指揮車両内は禁煙では?」


「その通り。冗談だよ」


大佐は苦笑すると、そのいつのかわからない箱を引っ込める。

俺は狭いのぞき穴から見える景色に目を戻した。辺りは農村地帯だが、遠くでは黒い煙が上がっている。


「しかし、遠くウクライナから転属されて早々に実戦とはね」


それに関しては、まあ運が悪かったのだろう。

元の部隊では指揮官だった。今は目の前に座る初老の大佐、彼の指揮する部隊の副官に任じられた。

たったの2週間前に。


「不安か」


「そこそこは。覚悟していたとはいえ、初めてですから」


ため息のように深呼吸をし、肩の力を一旦抜く。


「まあ、しばらくは副官として、頼りにさせてもらいますよ」


口角を上げ、苦笑するように答えると、大佐もフッと笑って返した。


「それで構わない。彼女らの扱いはちょっとデリケートだが、それも教えてやる」


頼もしげに言う、大佐のその言葉には説得力があった。


「ところで彼女たちなんですが、ほとんどはもう前線にいるって話でしたね」


「ああ。あとは俺達待ちだ」


そう言って、大佐は到着予定の時間を確認しようとしたのだろう。腕時計を見ているとき―

爆発音が響いた。方向は車列の前方と後方、2つからほぼ同時。

載っていた車両が急停止した。正確には車列全体が。

今、道はおそらく撃破された車両で前も後ろも塞がれている。


「地雷じゃないな!」


ロケットの飛翔音や無反動砲の発射音は聞こえなかったため、兵器投射による攻撃ではない。

かといって地雷でできる芸当ではなく、残ったのは遠隔操作の爆発装置。


「おそらく!敵の奇襲です!」


大佐は俺より早く懐から拳銃を取り出している。

安全装置を外していると、運転手の声が兵員室に響いた。


「先頭と最後尾がやられました!道を外れます!」


そう言うと同時に車両が動き出し、大きく右へ振られた。

このまま道の外に出ようというところで、再び爆発が―先ほどとは違い、激しく、もっと間近で起こった衝撃と共に襲い掛かった。

地面に仕掛けられた爆発物ではない。だったら床を爆発がぶち抜いて、俺たちは丸焦げになっているはずだ。

兵員室の電灯が消え、車両も止まっている。おそらくは対戦車火器を食らったのだろう。そして辺りには、ガソリンの独特なにおいが漂い始めた。


運転手が「脱出を!」と叫ぶとほぼ同時に体が動いていた。側面のハッチを押しやり、外へ出られるようにする。


「先に行け!」


大佐が後ろから声をかける。


兵員室の椅子に足をかけ、外へ上半身を出すと、右側、車両最後方では撃たれたエンジンが黒煙を吐いていた。同時に熱も伝わってくる…

この車両はソ連ではあまり見ないガソリンを使う車両で、もし炎上すればそれはあっという間に広がって爆発を起こす。


急いで全身を外に出して、周囲を確認する。

敵はいないようだ。とすれば、撃たれた方向から考えて、敵は車列の左側から襲ってきたのか。

幸いにも、車両が盾となっていてあちらから射線は通らない。

それよりも、大佐を早く出さなければ。操縦席にいた乗組員たちも出ようとしている。


「手を貸してくれ!足をぶつけたせいでうまく力が入らん」


大佐は車内で、天井にぶつからないよう中腰になりながらも立っていた。何かあればすぐに動けるように。

しかしそのせいで、転倒し怪我をしたようだった。

先に行けと言ったのも、そのせいか!


すぐに駆け寄る。外から乗り込む時に使うための、車体に取り付けられた足掛けを使ってハッチがのぞき込めるようにし、

中の大佐に手を貸して、上体を外に出させた。


「さっそく、助けられたな」


余裕を見せるためか、それとも安心させようとしてか、こんな時でも笑っていた大佐の顔が、突如ゆがむ。

それと同時に体勢が崩れ、こちらに倒れこんだ。

慌てて受け止めた左手に湿った感覚がして、見ると手のひらは血まみれになっている。

さっき、ハッチから出ようと上体が車体の影から出たとき。その時に撃たれたのか。


落ち着いて、まずは自分の体勢を安定させる。

治療をするにもここは危ないと思い、乗っていた車両からは距離をとって、車列で1台後ろにいたトラックを壁に出来る位置に移動した。

地形もちょうどくぼんでいて、銃弾が通ることはなさそうだ。

草むらの上に大佐をゆっくりと降ろす。


「大丈夫です大佐、傷は浅い」


銃弾は体を貫通していったようで、背中だけでなく胸側にも穴が空いて、とめどなく血があふれ出してくる。

とりあえず、ポケットからハンカチを取り出して傷口にあてがおうとすると、大佐は手をわずかに上げて制した。


「いや…いい。もう、持たん」


さっきまで、冗長に話していた人とは思えない、かすれた声だった。

思わず手が止まる。全身から血の気が引いていくような感覚がした。今目の前にいるこの人は、もう数分もしないで死ぬのか。


「それより、少佐。以後、部隊の指揮は、貴官が引き継げ」


光の消えかかった目でこちらを見る。

俺は「了解しました」と答えるので精いっぱいだった。


「彼女らを、頼んだ」


そう言うと彼は、胸元の認識票を俺に渡そうとする。しかし、少し持ち上げたところで、それは握られた手とともに彼の胸の上に落ちた。

俺はその手を握り、もう一つの手で認識票を外した。


顔を上げて周囲を見ると、辺りは火の海になっている。大佐を診ている間に乗っていた車両は爆発し、その後ろにあって、今壁にしているトラックも

それから引火したのだろうか、爆発し、炎上していた。


大佐の遺体に目を落とした。

彼は彼女らを頼むと言った。その彼女たちは大佐の部隊のことだが、誰一人としてここにはいない。今は会えるかすら怪しい。

大佐とはとても親しい、というわけではなかったが、一人の人間が死の間際に残した遺言を、唯一聞いていた自分が叶えられない。

それがとても不名誉で、情けなく思えた。悲しみよりも、悔しさが強くにじんで唇を噛む。


まだ、何かないかとすがるような思いがあったのかもしれない。

もう一度顔を上げてみると、火はトラックの後部の荷台に張られていた幌へ移ったようだ。急速に燃え広がってどんどんなくなっていく。


おおよそ半分ほど燃えてきたとき、荷台の中に何かのシルエットが見えた。

焼死体かと思ったが違う。


あれは、そうだ。思い出した。

出発前に一瞬だけ積み込まれるのを見て、その後に車両で読んだ書類にもあった。



車列を襲ったのは、占領地域内で活動するレジスタンス。韓国は徴兵制を導入しており、ほとんどの成人男性は数年の軍役に就く。

任期満了後も、8年間は予備役として収集に備え、その後は満40歳まで民防衛隊(韓国の民間防衛隊)に所属する。有事の際はこれらすべてを動員し、文字通り民族の盾となって主体思想から大韓民国を守る。つまり、民間人であっても徴兵対象者であったなら、ある程度は戦闘行動が可能ということ。

このレジスタンス部隊は、初期の戦いにおいて壊滅状態となった複数の部隊の、生き残った兵士6人を中心に、民防衛隊の8人でもって構成されていた。


彼らは何よりも物資が欲しかった。自分たちだけではない、山中に隠れている家族や友人のためでもあった。住んでいた家を焼かれ、着の身着のまま逃げ出してきた彼らは等しく飢えていた。

そこに車列が通りがかる。5両編成で先頭、中央、最後尾は装甲車だが、間の2両はトラックだった。

トラックの中身が何かは知らないが、物資であることは間違いないだろうと思ったようだ。彼らはその車列を襲撃することに決めた。

最大火力が旧式のLAW無反動砲である彼らにとって、戦車がいないだけで襲撃の難易度は大きく下がったのもある。


歴戦の隊長の下、手元に残っていた2つの爆薬を設置。背は低いが草が生い茂り、所々に土の小山と、人が隠れられるほどの小岩、木のある、放置されて結構経った畑に身を隠し車列を待った。遮蔽物はあまり多くないが、準備時間等を考えるとそこがベストだった。

爆薬はちょうど先頭と最後尾を標的にできる位置を狙って設置された。部隊の伍長が火を入れると、それは見事に目標を吹き飛ばした。


トラックは運転席を狙ってドライバーを無力化。動き出した装甲車にはLAWを撃ち込み、十分な損害を与えた後に爆発。

脱出しようとした乗組員も一人には当たった。

成功した奇襲、順調に行く戦闘。部隊のほぼ全員に、勝ったという確信があった。

その中の一人、彼は燃えていくトラックを惜しげに見ている。あの1両が無事だったなら、もっと良かったのにと思いながら。


荷台を覆っていた幌が燃え落ちていく。予想に反し物資はほとんど詰められていない。

半分以上が燃えたところで、何かが見えてきた。それは人影のようだ。

焼死体かとも思ったが…徐々に全体が明らかになるにつれ、その正体がわかると共に先ほどまでの余裕は消え失せていく。


背中から伸びる長大な砲身、華奢な体にまとわれた重厚な装甲…少女でありながら戦車。

おおよそのシルエットがつかめたところで、小隊長の叫び声が聞こえる。


「撃て!早く撃て!」


急いでLAWを構える。照準器に少女の姿を収め、ためらう間もなく撃った。




幌が無くなり、俺の目の前に映ったのは

間違いなく―Женщина-танк(ジェーンシィナ-タンク、戦車女)。

人型のサイズに戦車の能力を宿した少女。

大佐の部隊が一人もいない、というのは訂正しなければならない。唯一、一人だけがここに、目の前にいる。

その後ろ姿は主砲と装填装置によってあまり見えないが、後ろでまとめられたブロンドの美しい髪が、あたりに漂う火の粉にも負けないほどに輝いている。

そこへロケットの飛翔音。数秒もせずに眼前の戦車娘へ直撃する。

しかし、彼らの使っている旧式な無反動砲では、彼女の装甲は貫通できなかったようで、膝をつくことすらない。


爆発音の後、彼女の腰部後方に付けられたエンジンが唸っているのに気が付いた。

彼女は履帯の取り付けられた足を踏み出した。荷台から降りた衝撃で周囲が少しだけ揺れる。

彼らは無反動砲が効かなかったにもかかわらず、動き出した彼女に小銃弾による攻撃を浴びせている。一部の兵士がパニック状態に陥っているのだろうか。

無論、有効な損害を与えられるはずもない。弾はことごとく弾き返されている。


彼女も黙って撃たれているわけではない。腰部にマウントされた重機関銃を操作して射撃を開始した。

12.7mmの曳光弾が、こちらから見えるマズルフラッシュの位置へ正確に撃ち込まれていく。左から右へ、いくつかの血飛沫が舞う。

重い銃声がバーストで数回放たれるたび、辺りに響く銃声の数が少なくなる。それを止めるかのように、また無反動砲が撃ち込まれて爆発する。


やはり、通用していない。ただし重機関銃の掃射は一度止んだ。止みはしたが、今度は主砲が起動し…彼女の肩越しに撃てる位置へ来る。

砲身に据え付けられた取っ手と照準器を利用して方向を指定。

無反動砲の発射地点へと、地を揺らすように低く、重い発射音と共に榴弾が撃ち込まれた。辺りに巻き上げられた粉塵が漂い、パラパラと同じく舞い上がった小石の落ちる音がする。

すぐ後の炸裂音。土の小山があった場所には、小さなクレーターだけが残っていた。それを目の当たりにしたところで、ようやく敵部隊は撤退を始めた。

いや、撤退と呼べるような規律は持ち合わせていなかった。武器を捨て、背を向けて逃げ出す者は後ろから撃たれ、

匍匐して逃れようとする者には榴弾か銃弾が。中にはそのまま這いつくばって難を逃れようとする者もいたのだろうが、

怪しいところには片端から撃ち込まれていき、生きているかどうかわからない。


少しして、すべての銃声が止む。辺りは先ほどまでが嘘のような静寂に包まれた。

最後に聞こえたのは彼女が放った銃声だった。奇襲時の発砲音の多さからして、少なからぬ人数がいたのだろうが、それを壊滅状態にさせてしまった。


キャリキャリ…と履帯がきしむ音が、トラックの向こうから聞こえる。彼女がこちらに回ってきた。

燃え尽きた残骸の前で、俺と少女は対面する。先に口を開いたのは彼女だった。


「少佐、敵性部隊の無力化に成功しました」


感情をほとんど感じさせない、無機質な声。俺より少し低い程度の少女が、礼儀正しく敬礼をする。

先ほどまで、無慈悲に敵を撃っていたとは思えないほど、美しく、そして儚げな少女だった。


「部隊指揮官に詳細報告を行うため、面会したいのですが、指揮官は今どちらに?」


彼女の言っている、指揮官は…大佐のことだ。


「…指揮官、大佐は…戦死なされた」


少し言いよどんで、そう言うと、彼女はそのポーカーフェイスを保っていたが、わずかに驚いたような様子を見せた。

その後、重たげに口を開く。


「了解、しました」


先ほどの無機質な声が、少し落ち込んでいるような。そんな感じがした。


大佐は俺に「彼女らを頼んだ」と言った。今、目の前にいる少女はその一人だった。

彼の遺言もあるが、軍人として引き継ぐべき職務もある。俺が彼女の新たな指揮官とならなければならない。


「…私は副官のミハイル・イヴァノヴィチ・ニジンスキー少佐。彼より、指揮を委任されている」


彼女は下がっていた目線を上げてこちらを見る。

当然、不満はありそうだった。なにしろ彼女と私にはほとんど面識はないのだから。

とはいえ、彼女も彼女なりに何かを飲み込んだようで。ややあって、口を開いた。


「…状況を把握しました。以後、ニジンスキー少佐を指揮官として記憶します」


私はうなづき、背を正し軍帽を被り直して、彼女に問う。


「では、再編に当たって貴官の詳細を確認したい。機体名、階級を名乗ってくれ」


そう言うと彼女は直立不動の姿勢となり、敬礼をしてはっきりとした声で答える。


「はっ!ジェーンシィナタンク、モデルT-72S<ウラル>、階級は曹長!」


言い切るまでの間、目をそらすことはなかった。

まさに典型的な軍人と言うべき立ち振る舞い。まるで生まれた時から軍隊にいるのではないかと思わせる。

少し息を入れ、彼女は再び口を開いた。


「よろしくお願い致します、少佐殿!」


両方とも、まだ信頼を持てるだけの時間を共にしたわけではない。だが、彼女は力強くそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る